鍛冶師と調教師と幼女
キルロは、療養中だという事も忘れ、廊下をバタバタと慌ただしく駆け抜ける。起きぬけに起こった未知との遭遇に、キルロの頭はパニック寸前だった。
「ハルヲー! ハルヲさーん! ハルヲ様ー!」
従業員と共に動物達を世話しているハルヲの元へ、勢いよく飛び込んで来たキルロに対し、“チッチッチッ”と舌打ちの速射砲で迎え入れ、あからさまな嫌悪を隠そうともしなかった。
「キルロさん、随分回復しましたね」
ハーフ犬人のモモが、朝から爽やかな笑顔をキルロに見せた。
「いやあ、おかげ様で⋯⋯って今そこじゃない! ハルヲ! 部屋に裸の女の子が⋯⋯」
と、言いかけるやいなや。
「グアッ!」
キルロの脳天にハルヲの手刀が飛んで来た。鈍い衝撃に涙目になりながら顔を上げると、人ってここまでクールになれるのか⋯⋯と、震えがきそうな程冷たい眼差しをハルヲはキルロに向けていた。
「話しを聞け、いや聞いて下さいませ」
キルロは、突き刺さるような冷たい視線に耐えられず、思わずへりくだってしまう。
「はぁ!? 怪我人で世話して貰っている分際でおまえ⋯⋯」
「待て! 待て! 待って! 朝オレ起きた、知らないオンナの子いた、びっくりした、ハルヲ知らない? 女の子?」
極度の混乱と手刀の恐怖で、キルロは片言になってしまった。訝しるハルヲの視線は冷たいままだった。
「女の子? おまえの子じゃないのか?!」
「なんでそうなる! 子供なんていねえよ! オレは清い体だ!」
キルロは胸を張って、清い体をカミングアウト。
従業員の女の子達はクスクス笑い合う中、フィリシアはニヤニヤしながらも、エレナの耳を塞いだ。
アウロは腹を抱えて隅っこで爆笑し続け。
顔を真っ赤にしたハルヲの渾身の一撃が、キルロの脳天をまた貫いた。
「グアッ! 本気か?! この馬鹿力!」
零れ落ちそうな涙を堪え、キルロは不条理を訴える。
せっかく怪我が治ってきたというのにまた傷が悪化してしまうではないか。
「ああー、そうだ⋯⋯ハルヲ、おまえの子が迷い込んだじゃねえの?」
キルロは割れそうな痛みを抱える頭をさすりながら、ハルヲに反撃を見せた。
「バ、バカ言ってんじゃないわよ! こ、こ、子供なんていないわよ! き、き、清い体なんだから!!」
ハルヲは耳まで真っ赤にして、自ら地雷を踏む。
従業員の女の子達はキャッキヤッとざわめき、アウロは鳴らない口笛を吹きながら聞こえないフリをする。
耳を塞がれているエレナは、何が起こっているのか分からず、小首を傾げていた。
「ともかく、アンタの部屋に行ってみましょう。話はそれからよ」
ハルヲが、キルロの寝ていた部屋の扉をソッと開け、扉の隙間から中を伺う。ベッドの足元でスヤスヤと熟睡している女の子の姿が確かにあった。
肌の色は透き通るように白く、輝くような白髪、目は閉じているのでわからない。
“なぁ、ハルヲ。だれ? あれ?”
“知らないわよ”
“なんでいるの?”
“だから、知らないって”
“服はどこいったんだろ?”
“知るかっ!”
キルロはハルヲの肘鉄をくらいながら、小声でやりとりしていた。
パチクリと少女が目を開けて起きあがると、大きな欠伸と伸びをして辺りを見回した。
美しい金眼は切れ長だがキツい印象はなく、成人にはまだまだ早い、かわいいというよりは美しいという形容詞が似合う幼女がそこにいた。
「キルロー」
少女が少女らしい声色で、辺りを見回しながらキルロを探している。
“ほら、呼ばれているぞ”
と、キルロは、ハルヲに押されて扉の中へ転がり込んだ。
「や、やあ、おはよう、今日はいい天気ですね」
会話の取っ掛かりの定番といえば天気の話だ。
「曇っているよ」
幼女は窓の外を眺めながら小首を傾げる。
その間の抜けたやり取りに、扉の外ではハルヲが頭を垂れていた。
「あぁー、ホントだ。曇っているね。アハ⋯⋯アハハハ」
「変なのー」
キルロが横目でハルヲに助けを求めると、“行けって”と、小声で手を振って見せる。
「なぁ、お嬢ちゃん⋯⋯誰?」
「? ⋯⋯キノだよ」
「え?」
「え?!」
「えぇ?!」
「えぇえ?!」
驚きのあまり部屋に飛び込んで来たハルヲとキルロは、二人は視線を交し合い絶句してしまう。
『『『ぇええええええーー!』』』
ふたり驚きの絶叫をハモってしまった。
「キノ?? はこう白くてニョロニョロしていて、細長くて、なぁハルヲ」
「そ、そうよ、白くてニョロニョロしていて、細長いの⋯⋯」
ふたりは、同じ言葉を繰り返す。
幼女はケタケタと二人のワタワタしている様を笑い、状況の飲み込めないキルロとハルヲは次の言葉が見つからない。
ホントにキノ? こんな事あんのか?
蛇人とか⋯⋯?
そんな亜人いるのか?
「なぁ、蛇人っていたりする?」
「知らない⋯⋯聞いた事ないだけかしら⋯⋯」
「でも、亜人も生まれた時から亜人だよな。猫として生まれて猫人になるわけじゃないもんな」
「そうね」
「そもそも爬虫類系の亜人って? リザードマン?」
「あれは怪物でしょう」
「だよな」
「そもそも、この子がキノって言い張っているだけかもよ?」
二人が、あぁでもない、こうでもないと議論している様子を、幼女はニコニコしながら眺めていた。
「いつも仲いいね」
笑顔で幼女が二人に声を掛けると、二人揃って真っ赤になって口ごもってしまう。幼女はその姿を見て、またケタケタと指差して笑った。
キルロが幼女の鼻についているピアスに気づいた。
「ハルヲ、これって⋯⋯」
と、キルロはハルヲに指差して見せる。ハルヲはそれをジッと観察して、驚きの表情を浮かべその調教済を示すピアスに目を剥いた。
「キノがしていたやつ⋯⋯間違いない。⋯⋯ねぇ、ちょっとこれって」
今度はハルヲが首筋を指差す。
“Ha-553”
キノのテイムナンバーが首元に刻印されていた。キルロとハルヲは顔見合わせ、今目の前で起きている事を精査する。だが、自身を納得させる答えは見出せず。疑問と混乱だけが積み重なっていった。
裸でいつまでも居さす訳にはいかないと、幼女を毛布で包むとキルロがお姫様抱っこで外へと運び出す。幼女は何の疑いもなくキルロに抱きつき、素直に運び出された。
「この子がキノじゃないとするとキノはどこいったんだろ?」『う~ん』
二人は揃って頭を抱えるいると、ふたりのお腹がグゥーと鳴り、とりあえず、みんなで朝食をとることにした。
「エレナー!」
幼女はエレナ見つけるになり飛びついた。
エレナは一瞬困惑した顔を見せたが、すぐに笑顔で迎え入れる。
「キルロさんが言っていた女の子? お人形さんみたい、綺麗ね」
「キノだよー」
幼女は、ちょっとふてくされて主張する。周りの従業員も何言っているのだか、と笑顔で顔を見合わせた。
幼女はキルロに助け舟を求めたが、キルロは唸るだけで何も言えないでいる。
「もうー、キルロ助けるのハルヲと大変だったのに。なんで、なんでー、キラキラしたとこで、キルロ見つけてあげたのにー」
と幼女はふてくされる。
その言葉に、ハルヲの顔色が一瞬で変わった。
「ちょっとこっち来て」
ハルヲは幼女を隅っこへ手招きした。何やら二人でこそこそと話し始める。ハルヲはびっくりして目を見張ったり、少女は小首を傾げたり、何の話しをしているのか、さっぱり分からないでいた。
「あ、そういえばアウロ、生き物全般に詳しかったよな。蛇人っていたりするの?」
「う~ん、いるかもしれないし、いないかもしれない」
「あぁ、要するに、わかんねぇって事ね」
ハルヲが幼女の肩に手をやり戻ってきた。ハルヲは複雑な表情を見せながら、幼女を椅子に座らせた。
「結論から言うと、キノね。この子。そうと考えないと、いろいろ辻褄が合わないわ」
『え!?』
その場にいただれもがハルヲの一言に固まってしまう。ハルヲもまだ半信半疑なのか、強く言い切るとまではいかない。
みんなが驚いている中、ハルヲは悩ましそうに言葉を続けた。
「この間の吹き溜まりでの事、この子ほとんど知っている、というか覚えている。それこそ私達しか知らない事をね」
ハルヲの一言は芯を捉えている。ハルヲと動物達しかそこにはいなかった。尾行したとかも、現実的に考えられない。その場にいなければ決して知りえない情報を持っていたとしたら、それが一番納得する解となるだろう。
でも、なんで⋯⋯。
「キノ? なの⋯⋯」
キルロの口元から、心許ない言葉が漏れてしまう。いくら、状況がそうだと言っていても、蛇が人になるなんて早々信じられない。
「さっきからそう言っているでしょう!」
“もう”と幼女はむくれた。
パン!
ハルヲが手を叩く。
「この子に起こった事は、くれぐれも口外しないように。どう考えても知れ渡れば、面倒事にしかならないわ。門外不出よ、いい?」
皆を見回して静かに語った。そこのは強い圧が込められており、皆黙って頷く。ハルヲの表情から、事の重要性は十二分に伝わった。
この子はキノなのか。
何で人になったんだろう⋯⋯。
わかんないけど、まぁキノはキノか。
と、キルロはキノの頭をポンポンと撫でた。
いつか帰した方がいいんだよな。
ま、それも追々考えるか。
「とりあえずそのピアスと首元のナンバー消しましょう」
「これはダメ」
キノは、ピアスを手で隠した。
「それはでも調教済の証だから、人がつけてたらダメなのよ」
「似合っているって、言って貰ったからダメ」
キノは、頑なに拒否する。
ハルヲが困ったと嘆息していると、キルロはポケットの中の石を思い出す。
「そうだなキノ、似合っている鼻ピアスは取らない方がいいよな」
キルロが笑顔で、キノに提案をする。
「うん」
キノは力強く頷いた。
「でも、家帰ったら、もっと似合う石に変えてやるから、その石はハルヲに返そうか」
キルロの提案に腕を組んでしばらく悩み“わかった”と言って、キノは鼻先をハルヲに差し出した。
ハルヲはピアスを外し、ナンバリングのインクを吸い出せる布で擦って消していく。
「キノはどこから来たんだ?」
キルロが問いかける。
いずれは、帰さなきゃいけないもんな。
キノはキョロキョロとして指差した。
「あっちのほう」
あっち?
北? か。
「そっか」
と、キルロはそれだけ答ええおいた。
「あ、そうだキルロ!」
ハルヲが急に声掛けてくる。キルロが振り向くと、ハルヲは口元に悪い笑みを浮かべていた。
「3万ミルドね」
「へ? オレのち、治療代??」
「そこはいいわよ。テイムモンスターの解除料、実費だけなんだから、ありがたいと思いなさい。そして崇めなさい!」
「崇めるか! つうか払うしかない?」
「ない!」
そうですか。
今日イチのダメージ喰らいました。
キルロはどっと疲れ、がっくりと肩を落とした。