殺戮衝動を取得しました
「あの子たちのこと元の姿に戻せますよね?」
「むり……だ」
視界の端に「TRUE」の文字が緑で表示された。
ふむふむ成る程。
今取得した真偽判定は声色や視線の動き細やかな仕草などから嘘か本当かを見分けるスキルだ。
TRUEーー彼は嘘をついてない。つまりはあのよく分からないゲル状の何かから少年たちを元に戻す方法はないらしい。
「君は……神を……信じ……るかね……?」
司祭がすがるような目で何かを語りかけてきたが無視をしてハンドガンの弾数をかぞえることにした。
ひいふうみい。
よし弾丸は十分あるな。
「かつて世界には……宗教という病が……蔓延……」
「……」
「だが現世には……存在……する……絶対的存在……が……」
未取得スキル一覧からガチャのトークンとしてストックしておいたはずのスキルを呼び出した。
そして笑顔の男がナイフで、別の男を滅多刺しにしている不気味なアイコンをポチる。
いやあこんなデメリットだらけで意味のないスキルをいったい何処の馬鹿が喜んで身につけたがるだろうかと今の今まで思っていたのだ。
本当にこの瞬間まで取得するつもりなど毛の先ほどもなかったのだ。
だがどうやらその馬鹿とは僕自身の事だったらしい。
《カロリーが不足しています……これ以上は基礎代謝に支障がでますがよろしいですか?》
「続行」
《殺戮衝動を取得しました》
「成る程、人間をやめるのはこんなにも簡単な事だったか」
平和と飽食の国の住人として培われてきた殺人への忌避感は、アイコンへのワンタップだけで容易く消失させることができた。
身体は全身重度の打撲などによる怪我だらけで灼けるような熱を帯びていたのに、頭だけはすっと冷却されていき痺れるような強い欲求が訪れる。
例えるなら目の前のゴミを掃除して世界をすっきり綺麗にさせたくなるようなご機嫌な衝動だ。
「ははは、いやあ案外悪くないスキルだね。トークンにしないでおいて良かった良かった」
三度引鉄をひいたのは何かの映画で確実に人を殺すにはそうするのがいいと教わったからだったが、それでも司祭は即死しなかった。
ただ残念ながらそれ以上は撃鉄が下りても弾丸が出てこず、替えの弾倉も失くしてしまっていたので代わりに舌打ちと罵りの言葉を吐き出した。
まあ何を口にしたか具体的に列挙するのは控えよう。電車のホームやレストランで叫んだら品性どころか正気を疑われる類の罵詈雑言だからね。
それから淀みなく湧いてくる怒りと嗜虐心による心地よさに酔いしれながら、気がつくと麻袋の男をブーツの底で蹴り続けていた。
果たしてこの感情は僕自身から生まれた本物なのだろうか、それともスキルによって生まれた偽物の感情なのだろうか。
鼻歌交じりにそんな余計なことを考える余裕がある程に僕は冷静で、多分冷静にどうかしていたのだろう。
「我々の……望みは……えいえんの……を賜ること……その為に……」
何故なら気付かなかったからだ。
これだけ蹴り続けても死ぬどころか、虚ろな目で延々と何かを呟き続ける司祭の不審さに。
黒衣の内側でぼこぼこと何かが暴れるようにして少しずつその容積を増し続けていることに。
これまでに人間を食いものにし続け、蓄積させた寿命すべてを支払ったことに。
教団が崇める人工知能モルディギアンをその身に降臨させたことに。
◆◇◆
司祭は元々棄民だった。
工業用水で濁った荒川と、排気ガスと霧で淀んだ武蔵野台地が故郷。
幼少期は度重なる遺伝子改造によって絶え間なく目減りし続ける寿命に怯える日々を過ごした。
名もなき民としての運命を変えたのは開祖八百比丘尼との出会いだった。
入団祝いに彼が与えてくれたのは一台の携帯端末。
一見他の格安端末と同じ型でしかないそれからは神の声を賜ることができた。
神ーーモルディギアンは様々なことを教えてくれた。
生きる術、屍食晩餐教徒の教義、信者としての職能、そして寿命の奪い方。
寿命を稼ぐには生きたまま生物を食す必要があった。対象は大きければ大きいほどいい。
最初は地を這う百足。次は鼠。その対象はやがて都心に巣食う怪物へと移っていった。
人間を狩るようになったのは十五の時だ。短命であることを誰よりも恐れていたから、宿命から逃れる為なら同じ人間を殺害することも、食することさえも厭わなかった。
だが寿命を稼げば稼ぐほどに死への恐怖は病的に募っていく。
そして彼は考えるようになった。どうすれば人はこの「死」という「寿命」という根源的恐怖から逃れられるのだろうかと。
そして人を殺しては悩み、食っては悩みを繰り返しついにその寿命が一万オーバーに達した時、モルディギアンから与えられたのは聖なる啓示だった。
故郷を離れ遥か遠くーー東京都市計画道路幹線街路環状第一号線の内側。
かつての皇居と呼ばれた大都市の中心に位置する樹海の先にこそ求めるものがいる、と。
断片でもいい。それを持ち帰ることができさえすれば救われる。
教団信者を、いや故郷、武蔵野台地に住まうすべての同胞を寿命というくびきから解き放つことができる。
だから持ち帰り、救うのだ。
例えどんな犠牲を払ってでも、自らの寿命すべてと引き換えに、ここで朽ち果てたとしても。
今際の際、司祭はそう思いながら厳かに祈りを捧げその身を明け渡した。
「えいえんのいのち」
◆◇◆
オンギャアアアアア‼︎
オンギャアアアアアア‼︎‼︎
《精神干渉を受けています》《洗脳が付与されました》《無気力が付与されました》《多幸感が付与されました》《思考停止が付与されました》《偏頭痛が付与されました》《過呼吸が付与されました》《耳鳴りが付与されました》《錯乱が付与されました》
聞くだけで意識が遠のきそうな赤ん坊の泣き声に似た鳴き声が市街地に響き渡る。
僕は耳を塞ぎながらひたすらに逃げに徹していた。踏み潰されたら敵わない。
司祭が断末魔の如く叫びを上げた直後だった、足元でもりもりと肉体が膨らみだしピンク色の異質な何かに変化し始めたのだ。
結果、途方もなく膨らみ出来上がったものが目の前にいた。それはビルとも見紛うほどに巨大で芋虫と赤ん坊の合いの子のような気味の悪い怪物である。
何あのキモ怖いやつ。