こうなったらやぶれかぶれです
《どうしますか?》
「勿論、逃げるさ」
《さすが御主人様。清々しいまでに淀みのない回答です》
生存戦略でどれだけ鍛えようが、基本コマンドは「逃げる」一択。これだけは譲らない。
前脚でエスカレーターを破壊できるような重機相手に、生身で立ち向かう馬鹿がどこにいるのか。
「エスカレーター以外に外に出れそうなルートは?」
《南階段です》
地図によればレジカウンターの傍を通り過ぎてフロア奥に進めば南階段から地下一階に行けるようだ。
幸いあれの動きは機敏ではない。むしろのっそりしていて鈍重と言ってしまってもいい。余裕で逃げ切れるはずだ。
見ればようやくエスカレータを降りたところだ。罠を張るような策に走ったのは、移動速度という弱点をカバーするためかもしれない。
《前方の排泄物にご注意ください》
「うおっと、っと?」
レジカウンター付近に差し掛かった辺りでクオヴァディスの注意喚起。
進行ルート上の床に白い粘着物が撒かれていた。
迂回しようとしたがよく見るとあちこちに設置されており、どの路も塞がれている。
「ゴキブリホイホイかよ!」
うっかり踏んづけでもしたら詰みだ。引き剥がすのに時間を取られて追いつかれ殺される。
《相手は逃走経路を読んで罠を設置してきているようです》
「こっちだって何度も喰らうほど馬鹿じゃないさ」
忍び足で鍛えたフットワークを駆使し、間隙を慎重にそろーっとそろーっと踏んでいく。本当は華麗に走り抜けたいが、一歩でも踏み間違えるとアウトな地雷原なので仕方ない。
後方で派手な音がした。
見れば、神輿入道蜘蛛が経路上の障害物を薙ぎ払いながら向かってきていた。ショッピングカートの列、お歳暮の陳列棚、天吊り広告などが次々に蹴散らして直進してきている。
「うお……ブルドーザーかよ!」
《御主人様、足留めです(`_´)┳※》
「ああ……!」
あわよくば複眼のどれかを潰すつもりで威嚇射撃。
ー二発当ててひびを入れたが、それから先は前脚でガードされ火花を散らして終わる。
《どう見ても皮膚ではなく甲殻――それも金属並みの硬度です》
「手長足長もそうだったけど防御力高すぎ」
《進みましょう。まだ距離のアドバンテージがあります》
追いつかれて一撃でも喰らおうものなら即死だ。
でも最悪なのは致命傷だろう。
大怪我をしてもこの世界にERなんてない。残り時間を苦痛に悶えながら死を待つなんて想像するだけで地獄だ。
だから死んでも敵の攻撃を受けてはいけない。一撃でも受ければその場でゲームオーバーだ。
「よし、罠を切り抜けた!」
何とか階段の手前まで辿り着いた。
神輿入道蜘蛛との距離はまだおおよそ十数メートルある。
これなら余裕で逃げ切れる――……という考えは甘かった。
「嘘だろ?」
《階段が粘着物ペレットだらけです^_^;》
階段を上り、踊り場まで辿り着いて愕然とした。
踊り場から地下一階に至るまでの床と階段とが粘着物で隙間なく埋め尽くされているではないか。
「いつの間に仕掛けたんだよー……」
神輿入道が巡回するふりをして、エスカレーターで奇襲をかけてくるまでの間は、わずか数分程度だ。
これだけの罠群を設置できるとはとても思えない。
《この階に降りてきた時点で既に仕掛け終えていたと思われます》
「つまりそれって――」
《はい。だいぶ前から我々の存在に気づいていたことになります^_^;》
「いや……そんな馬鹿な……」
だってタイミングを考えたら最初にニアミスした地下一階の京菓子売り場だろ。
神輿入道蜘蛛はあの時、既に気づいていたのか。だが襲いかかってくる素ぶりはかけらもなかった。
《気づいてあえて見逃した。気づいていないフリをしたと考えるべきでしょう》
「何故?」
決まっている――「追いかけても逃げられる」からだ。
確実に仕留めることができる状況に持ち込めるよう、巡回を続ける振りをした。
そしてどこかに潜んで地下二階に潜る様子をみていたのだ。
《恐ろしいまでの手際の良さ、勘の鋭さ、そして計算高さです》
「本当に粘着質なのはあいつの性格だったか……」
この先を進めば間違いなく白い塊の罠に足をとられる。
階段は飛び越えられる距離じゃない。
せめて何か下に敷くものがあれば――
警鐘!
バシュ、バシュ――何かが飛来してきた。
避けきれず衝撃を受けて壁に叩きつけられる。
見ると右腕と腹部周辺にそれが貼りついている。
《粘着物ペレットです》
「射出も可能なのかよ!」
設置罠という印象づけをたっぷりしてから、これ以上にないタイミングで撃ち出してきやがった。
おまけに狙いもバッチリだ。
身体だけでなく、右腕ーーそれも拳銃ごとまで背後の壁に固定されてしまった。
逃げるどころか攻撃手段も封じられてしまった形だ。
「……神輿入道さんめ性格悪過ぎるぞ」
巨大蜘蛛がのっそりとその姿を現した。
「チェックメイトだな」と言わんばかりの余裕をうかがわせながらゆっくりと階段を上ってくる。
《御主人様‼︎》
「無理ゲーだろこれは……」
逃げようにも難しい。ジタバタもがいて粘着物を外そうとするが身動きだけではとても剥がれそうにない。
蜘蛛の巣に引っかかってもがく蝶の気分だ。
というかこの塊は蜘蛛の巣と同じ性質のものか。
いやそんな推察は後回しだ。
この窮地を逃れなくては――。
「こうなったらやぶれかぶれだ!」
自由の利く左手で掴んでいた買い物カゴの中身を漁った。
そして詰め込んでいた調味料やそのほか――胡椒瓶やら醤油瓶やら調理用のお酒やらをとにかく蜘蛛に向かって投げつける。
だがその殆どは体表にぶつかるも瓶が砕けることもなく終わり、或いは中身がまかれてもただ体表をよごす濡らすだけで大した反応も得られない。
ギイ……。
ついに神輿入道蜘蛛は階段の途中で脚の動きを止めた。
《動きが止まりました》
「あんなので効果があったのか……?」
いや違う。
神輿入道が動きを止めたのは必要がなくなったからだ。
それ以上、前に出なくてもいい。
何故なら既に前脚を伸ばせば届く距離に達し、攻撃の予備動作に移っている。
「まずいまずいまずいまずい」
《無理ゲーです(T . T)》
どうあがいても身動きがとれないし腕も上がらない。
まずは銃を向けることのできないこの状況をなんとか改善する必要があった。
「クオヴァディスさん、肉体強化だ!」
《( ゜д゜)ハッ!》
《肉体強化がLevel2になりました》
《肉体強化がLevel3になりました》
「ぐぬ……」
ミシ。
《肉体強化がLevel3になりました》
《肉体強化がLevel4になりました》
「ぐぬぬぬぬ……‼︎」
ミシ……ミシ……。
銃を握る右腕が少しずつ持ち上がっていく。
だが既に神輿入道蜘蛛は前脚の第三関節を折り曲げ、こちらに向かって爪を放とうとしていた。
《肉体強化がLevel5に――》
強力な粘着物がベリベリと音を立てる。
アナウンスが繰り返される度に、右腕が床から引き剥がされていく。
そして――
「こいつを喰らえ」
『神輿入道蜘蛛、複眼(正面)、100%』――ようやく狙えた。
神輿入道蜘蛛が爪を振り下ろす直前、放たれた弾丸が複眼のひとつを穿った。
急に寒くなってきました。
散歩の辛い季節です。