作戦名は『いのちをだいじに』にです
「……どうだ?」
《敵の気配はありません》
非常階段を降りて左右を見回す。
裏通りからなら巻き込まれずに逃げられそうだ。
《帰宅には環状線を越える必要があります》
「迂回すれば問題な――」
リンゴンリンゴン♪
クオヴァディスがベルを鳴らしたのかと思った。
違うな。
耳で聴いているというより骨伝導に近い感覚だ。
何これ?
《スキルの警鐘です》
「斥候長の基礎スキルだっけ?」
《意識に上がらない五感情報から危険を察知し、お知らせします》
簡単に言うと「立ち止まり周辺を警戒しろ」ってことらしい。
あれか。
進行方向すぐ手前、大通りを跨ぐようにキラキラした細い何かが張られている。
「これは糸?」
《ただの糸ではないかもしれません》
触れる代わりにセラミックナイフの刃を当ててみると――強い手応え。
ピアノ線みたいな強靭さがあってそう簡単に断ち切れない。
「ワイヤートラップってヤツか、気付かず走り抜けたら大怪我してたな」
《目の前だけではないようです》
よく見ればキラキラは通りの奥まで続いており、あちこちに張り巡らされている。
この先を進むには一々掻い潜っていく必要があるようだ。
《上をご覧ください》
「上?」
言われるままに見上げると、何かが宙を浮いている。
「吊られた……唐獅子?」
何匹もの唐獅子が糸に絡めとられ、ビルの三階くらいの高さまで釣り上げられていた。
死んでるのかと思ったが、よく見ると違う。
野鳥観察によって強化された視力は、どの唐獅子もわずかにピクピクと筋肉を痙攣させているのを見逃さなかった。
《神経毒か何かで麻痺していますね》
「つまりは――⁉︎」
警鐘――バックステップ。
一秒前に立っていた場所にサッと現れた何かが、鋭い攻撃を繰り出してくる。
避けるのには成功したがすぐに敵を見失ってしまう。
一瞬の出来事だったがあれは蜘蛛だ。
もう少し離れるのが遅かったらあいつの餌食になっていた。
「どこだ!?」
《壁に張り付いてます》
見上げると近くのビル壁に一匹の蜘蛛が張り付いている。
大きさや見た目は入道蜘蛛と大差なかったが赤く光る眼がふたつ。
そして背中には「門」の文字に似た白い模様がある。
《門ヶ前と命名しましょう》
「あっはい(名前とかどうでもいいです)」
門ヶ前さんはフシューフシュー言いながら前足の先から太い針のような爪を出し入れしている。
再び警鐘――あの爪から物騒な雰囲気がひしひしと伝わってくる。
あれには唐獅子たちを動かなくさせた神経毒とやらが仕込んであるようだ。
「強靭な蜘蛛糸……毒爪……完全に入道蜘蛛の上位互換じゃんか」
《どうしますか?》
「作戦名『いのちをだいじに』に。いつも通りひたすら逃げるのみ」
猛ダッシュでその場を離れる。
妙に足運びがスムーズだ。
フットワークが軽くなっているだけではなく早足にもかかわらず靴音を立てずに走れている。
《忍び足のスキルです。特殊な歩法とそれを行使する脚力を得ることができます》
「ほう」
腿が良く上がるし足の運びが格段にスムーズになってるし陸上選手みたいにフォームも良くなっている。
《使いこなせば足の指先で突起を掴んで壁を上れるでしょう》
「壁歩きってもはや忍び足と関係なくない?」
《スニークウォークではなくニンジャウォークなのです》
「なるほど……ってそんなこと気にしてる場合じゃなかった」
《門ヶ前が壁を這って追いかけてきます》
狭い通りをひたすらに逃げる。
どれだけ兵種やスキルを手に入れて強くなろうが行動原理は変わらない。
戦ったところで何を得られる?
寧ろ戦わない方がお腹は減らないし怪我の危険もないし良いことづくめだ。
振り切れるかな。
遠回りになるが線路に平行するルートを進もう。
駅に近づいてしまったが主戦場になっているロータリーにさえ出なければ何も問題ないはず。
「うわ……この通りにもワイヤートラップがあるじゃん」
《門ヶ前さんはあちこちに罠を仕掛けているようですね。厄介です( ̄д ̄;)》
進行方向にキラキラと張り巡らされた無数の糸――そして付近のビルに壁には案の定、別の蜘蛛が待ち構えている。
「うひい、こんなの回れ右だろ」
《このままではロータリーに向かうことになりますよ?》
だが元の道にもワイヤートラップがある以上、引き返すルートは却下だ。
何処かのビルへ逃げ込もうかと思ったが見る限りどこもシャッターが閉まっており、侵入できそうにない。
何処へ逃げればいい?
《私に良い考えがあります》
「任せる!」
《このまま真っ直ぐ二十メートルです》
「だからそっちはロータリーだろ?」
野鳥観察と暗視のおかげで近づいていくと駅舎周辺の様子がよく見える。
まるで地獄絵図だ。
そこらじゅうに溢れかえった犬と蜘蛛の魑魅魍魎どもがじゃれあうように血肉骨腹わたを振り撒いている。
「良い考えってまさか地下通路?」
《その通りです》
「だって蜘蛛の巣窟じゃん。今あんな場所に踏み込むのは自殺行為でしか――」
《あと十メートル》
クオヴァディスに考えがあると言うのならそれに従うより他ない。
覚悟を決めると指示に従って、地下入り口の階段を転がるようにして下った。
◆
「はあ……はあ……蜘蛛の巣穴に飛び込むなんて……無謀過ぎるだろ」
《暗視がLevel4になりました》
すぐ暗視のレベルを上げて周囲を警戒する。
見渡す限りは敵の姿はない。
地下に入った途端に蜘蛛の群れに襲われるかと思ったが、地上の争いが嘘のように地下連絡路はガランとして静まり返っている。
どうして蜘蛛がいない?
《皆さん地上の戦争に出払っているようですね》
まさかのお留守か。
意外な盲点だ。
「問題はここから先だな」
《この隙に地下通路をとおりぬけて駅の反対口に出るルートをお勧めします》
「それはさすがに無謀では……いやいけないこともないのか?」
どちらにせよ二択しかない。
地上に戻って門ヶ前さんをいなしつつ環状線を越えるか、このままアンダーグラウンドを経由して環状線を越えるか。
それにしても色々スキルを手に入れていたおかげも大きいが、
昨日のタイミングで強化してなかったら何度か死んでいたな。
「さてどうするかな――うわ警鐘?」
身構えると地下鉄の改札方向から物音が聞こえてくる。
わさわさ湧いて出てきたのは入道蜘蛛たち――総勢九匹。
更には遅れて大型――大入道蜘蛛ものそのそとやってくる。
「……」
《^^;》
声を聞きつけてやってきたのかもとドキドキしながら壁に隠れて様子を窺った。
蜘蛛たちはこちらを気にする素振りすらなく別の出口へ向かっていく。
《地上への増援部隊だったみたいですね》
「……ふうビビった」
今、蜘蛛たちは地下の防衛にはまるで興味がなく地上の決戦に注力しているようだ。
本当にチャンスかもしれない。
かなり無謀とも言えるようなクオヴァディスの策だったが、実現可能な気がしてきた。
端末に表示された経路図を確認してみる。
ここから反対側の西口に出るには昼間のルートを経由して改札の傍を通り抜ける感じか。
「この距離なら走り抜ければ数分だな……さっさとオサラバするか」
《オサラバ(^^)/~~~》




