七話 陽光
成長しきった木が倒れ、森が開けた場所。それなりに広いここは唯一まともに日の光を浴びることが出来る。
来なくてもいいと言ったのにも関わらずやってきたバルドが甲斐甲斐しく寝ている少年の世話を焼く。
「お前、そんなに世話好きだったかしら?」
「ふぉっふぉっ。いやぁ良いものですぞ? サリヴァン王子には失礼でしょうが孫の世話をしているようです」
「良かったわね、孫なんてもう一生無理でしょうから」
雲間に覗く鮮烈な青に目を細めた。
降り注ぐ光はあまりにも明るくどこか攻撃的なもののように思えるが、それは私が闇に近しい深淵の魔女だからだろうか。
人間には、これが必要だと言うから。
「……眩しいわ」
閉じた目を庇うように腕を乗せた。
「温かいでしょう」
「理解できない感覚ね」
「魔女様は目が慣れていないだけです」
慣れたら温かく映るとでも言いたげな言葉を無視してきつく目を閉じた。
そんな日、来るはずがない。
日を浴び始めてから四日後。
「……ん」
少年が小さく呻いた。細工のように上等な睫毛が震え、隠された空の瞳が露わになる。
「……ひ、かり?」
「お目覚めですか? サリヴァン王子」
よくやく目を、さました。
数日ぶりに光を映した瞳がまぶしげに細まる。
「……エル様は……? ここは、どこだ?」
エル様、の部分でバルドが弾かれたように私を振り向いた。
「魔女、様。あなたは、名を……」
「形式的な呼び名よ」
少年がご主人様と呼ぶから仕方なかっただけ。深い意味はない。本名なんてとうの昔に忘れた。エルと名乗ったのはただの気まぐれにすぎない。
「では、私もそうお呼びしても?」
「…………ご自由に」
「はい。―――エル様」
バルドの顔が綻んだ。
なぜ。
理解できない。少年もバルドも名前にそこまで拘るのだろうか。大切そうに呼んで。嬉しそうに笑うのだろうか。
「エル様」
心細げな声が私を呼んだ。
「ここは、どこですか?」
「森」
短く答えると視界の端に映るバルドがわざとらしく肩をすくめた。
「エル様、それでは伝わりませんぞ」
「……あなたは?」
「おお。これは失礼を。申し遅れましたサリヴァン王子。バルドです」
いつものようなやけに大仰で、慇懃無礼な態度でバルドが腰を折る。
「まさか……英雄王、バルド?」
「ふぉっふぉっふぉっ」
バルドは少年に近寄り額に手を当てた。
「ふむ。下がっておりますな。サリヴァン王子、どこまで記憶に御座いますか?」
「エル様が運んでくれたことは……」
ニヤケてこちらを見たバルドに冷ややかな視線を投げる。
病人を床に放置するような趣味は無いわ。
「ようございました。受け答えもしっかりしていますし、記憶も問題ない。何か食べれますかな?」
「ああ……」
「では。お作りしましょう。エル様はこちらでサリヴァン王子と待っていてください。すぐに持ってきます」
「待ちなさい」
生き生きとして、結界から出て行こうとするバルドに耳飾りを外して投げる。
「魔除けよ。持って行きなさい」
深淵の魔女の私の魔力の籠もったそれを持っていたら近寄る愚か者は少ないだろう。
ここには血に飢えた魔物が多くいる。何も持たずに入るなど自殺と同等だ。
「ありがとうございます。優しいですなぁエル様は」
「自惚れも大概にして頂戴。手間取ると長くここにいなくてはいけないでしょう」
出来るのなら日の光にこれ以上当たっていたくないだけ。相変わらず都合のいい解釈をする男だ。
バルドの姿が暗い森に溶けていく。
「エル様、ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」
運び出したベットから体をおこそうとした少年を制し、手を組んで口の端を上げた。
「私はバルドをこき使っていただけよ」
「はい。それでも、ありがとうございます」
少年は穏やかに笑う。
日の光がすこし攻撃的な色を潜めたように思った。
それから、数日立つと少年の熱は完全に下がった。
使えなくなると後処理も面倒だ。仕方なくさらに三日ベットに縛り付け、魔術修行を再開した。
少年はバルドと親しくなったようだ。口の軽いあの男がよけいな事を言わなければいいけれど。
バルトに食事の作り方を学ぶ事にしたらしく、魔術とともに料理の勉強も始めた。
魔術修行を再開してはや一週間がたち、少年も少しずつコツをつかみ始めた。今までは周りに霧散させていた魔力がやや少年の周りに集まるようになった。二日で魔力を感じ取るようになってしまった少年に新たに出した課題は腕だけに魔力を纏わせることだ。
乾いた大地が水を吸収するようなスピードで魔術を覚えていく少年ならあと二週間も掛からずに腕に纏わせるようになるだろう。
もう魔法陣を必要としなくなった少年はなぜか私の隣で魔術の修行をする。私の巨大な魔力で自分の魔力が感じにくくなるからやめろといっても聞かない。
隣に少年を感じながら、糸を編んでいく。バルドのものを作ったときは1ヶ月掛かったが、少年はバルドより小さい。成長のことを考えて多少大きく作ってもそれほど掛からないだろう。
「……何」
じっとこちらをみる視線に耐えかねて顔は動かさないで問う。
「あの、髪。邪魔ではありませんか」
少年の視線が私の髪をなぞった。
先ほどから確かに前に垂れてくる髪が不愉快だと感じていた。私が髪を後ろに払うのを魔力を集める練習をしながら、見ていたのだろうか。
全く、……集中力の足りない。
「だったらなに。お前が使用人のように結い上げるとでも言うの?」
「はい」
「で、……は?」
ではどうしようもないわね。下らない事を考えるのなら、集中したら?
言い掛けた言葉は予想外の返答のせいで行き場を失った。
少年は王族だ。王族なら何も言わずとも使用人が全てを行うはずだ。なのに、少年はやけに自分で身だしなみを整えることになれている。
いったい彼は、どんな生活をしてきたの?
「駄目でしょうか?」
ふっ、と息を吐く。返答を待つ少年を目を細めて見やる。
「余計な、」
「妹の、髪を」
断りの台詞をまた飲み込んだ。だって、
「妹が私に結ってほしいと我が儘を言っていたので。よく、結っていたのです」
少年が懐かしむような目をするからだ。
「駄目でしょうか?」
「……勝手にすれば」
櫛と結び紐の位置を教えると、一度嬉しそうに笑ってぱたぱたと軽い足音で駆けていった。
しばらくして戻ってきた少年が慎重に私の髪にふれる。恭しく何度も髪をなぞる手つきに妙に落ち着かない気分にされる。
「エル様の髪は艶やかで美しいですね」
意識せずとも嘲笑が口から漏れた。
この不吉な色が美しい? おかしなことを言う。
「媚びを売るにしても言いようがあるでしょうに」
「え?」
“それなら。忌みの黒髪を持った____が適任だろう”
“忌みの黒髪を育ててやったんだから”
ああ、眩暈がする。嫌なことを思いだしてしまった。
「死の色、不気味で暗い闇の色だと正直に言えば?」
少年の手が止まった。
「……エル様」
「何」
「私の兄は黒髪でした」
―――……嘘。
少年の兄と言えば、第一王子、つまり王太子だ。黒髪で王として認められていた……? そんなことあり得るはずがない。これは不気味な色だ。死を象徴するような見ているだけで不快になる――そんな色だ。
「なにを言っているの」
さらりと少年が私の髪を梳く。
「多少珍しい色であることは確かですが、今では黒髪の人は何人もいます」
私は、そんなの知らない。
「昔は忌み色などと呼ばれていましたが、今ではそう呼ぶ人はおりません。だから、大丈夫ですよ」
まるで聞き分けのない子供に言い聞かせるようなやけに優しい口調だ。
「……」
「はい。エル様出来ました」
少年はすっと手を離すと私の隣に移動し、修行を再開した。
首筋に手をやる。少年の手は、温かかった。
申し訳ありません。受験までまたしばらく更新停止します。