六話 熱
大変遅くなりました!
……おかしい。
少年の熱が、下がらない。
私の服を掴んでいた手の力はとても弱くなっていた。手を組んで、魔力を集めた。しばらくおいていたので温くなっているだろう水を冷やす。
呼び出したバルドが少年の汗を拭い、手を額や首筋に当てて容体をみてうなった。
「……悪化していく一方ですな」
手元にある薬湯の皿を揺らす。ドロリとした薬湯はただぼんやりと影が分かる程度でしか光を返さない。
「ああ、魔女様が調合した薬が悪いわけではありませんよ。魔女様の薬の効き目はこのバルドが保証いたします」
「……そんな心配はしていないわ」
効果があるのは当たり前だ。この魔力を含んだ黒の森の薬草を使い、深淵の魔女たる私が調合した薬なのだ。バルドに保証されずとも効果は王都の医者以上だという自負くらいある。
この森で長い時を生きた。たかが人の数十年が私の数百年に適うわけがない。
けれど。治らないのならそれも同じ事だ。
「……あと数日、治らなければ、覚悟が必要でしょう」
ガシャン。
作った氷が大きな音を立てて、桶の中に落ちる。小さい舌打ちが漏れた。
失言でしたかな、とバルドは困ったように皺を増やして笑った。
「サリヴァン王子が居なければジノヴァに明るい未来は来ないでしょう。老体では住み難くなりますなぁ」
「安心なさい。お前なら大丈夫でしょう。それに」
ビヒデールは私の森を焼いた。いつまでも甘い蜜を吸わせてやる気は毛頭ない。
ちりり、と目の奥に熱が籠もった。
「―――その時は、私が潰すわ」
許すものか。
ここは私の大切な森。
私に生を与えてくれた、世界で唯一息の吸いやすい、眠りにつくことの出来る、私の居場所。
その森をビヒデールは焼いた。卑怯なことに私が動けない時期に。一部だったが、その損害はいくら魔力に満ちたここでも修復に数年を要した。
報復は決して忘れない。
この深淵の魔女の怒りを買ったこと、生の終わりまで後悔させてやる。
「……おお、なんと頼もしい。その時は是非ともこのバルドもお力になりますぞ」
バルドの戯れ言を鼻で笑った。
「足手まといは結構よ」
「そう、おっしゃらず。これでも若い頃は名を馳せたものです」
バルドは得意げに髭を撫でる。
確かにこの男の度胸や、黒の森ほどではないとはいえ魔物も出るあそこに住んでいる事を考えるとあながち嘘でもないのだろう。
まあ、使うつもりはないけれど。老人はせいぜい間の抜けた顔で過ごしていればいい。手を借りるほど私は弱くない。
少年の苦しげな咳の音が会話の途切れた室内に響く。
「サリヴァン王子との生活はどうです」
「ずっと寝込んでいるのに生活も何もないわ」
額の布が乾いていると指摘してやる。バルドは何が楽しいのかにやにや笑った。
「いやぁ、随分と違うでしょう。自分以外の音が響く部屋は」
「興味ないもの。音なんて耳にも入らないわ」
「そういうことにしておきますかな」
バルドはまたにやぁと笑う。もともと締まりのない顔立ちなのに笑うと皺が増えてさらに緩む。見苦しいこと。
開いた窓から夜の匂いがする。
「遅くなったわね。連れて行くわ」
「いえ、魔女様はサリヴァン王子を見ていて下さい。今日は月も明るいですから、一人で帰れますよ」
「お前の目は節穴のようね?」
余計な気を利かせてそういうバルドを睨みつける。
この鬱蒼と生い茂る木々は、太陽の眩い明かりだって遮るのだ。多少月が明るい程度で道が見えるほど光を通すわけがない。
「余計な気遣いは結構。死に損ないが木の根に足を引っ掛けでもして死んだら、処理が面倒だわ」
「……それだ!」
は?
急に叫んだバルドに眉を寄せた。
「そうです魔女様! 明かりだ。ここはあまり日の光を通さない!」
「何を今更」
森は成長しきった木の葉が覆い太陽の光をほとんど通さない。日が昇っても多少明るくなる程度、注意していないと時の流れさえ分からなくなる。故に黒の森と名がついたのだ。
バルドは勢い込んで言う。
「太陽の光は人間の体に必要な物なのです。陽光に当たらないと人間は弱る」
「……それはまあ随分と脆弱だこと」
ああ、そうか。
私は平気だった。だって、もう人間ではないから。少年を私と同じ物差しで考えてはいけない。
「森にも日の当たる場所はあるわ。明日、そこに連れて行く」
「ええ、それだけが希望です」
質の悪い鈴を鳴らしたような虫の声が夜の森に落ちた。
バルドを送り届けてから、少年の額の布を替えた。小さなうめき声が漏れる。
視線だけ投げて少年の横で糸を編む。
きらきらと光を返していた糸は私の魔力に反応して黒く染まっていく。
黒、白、赤、青。魔力にはそれぞれ色がある。
私の魔力は闇を煮詰めたような黒だ。 何をもって色が決まるのかは分からない。少なくとも得意魔術の分野や、量で決まるわけではないのは確かだが。
けれど、なんとなく分かる。
少年はきっと、輝くような白だろう。




