五話 涙
詰め込みました。
月明かりが鬱蒼とした森に僅かな光を落とす。
「……っ、父上、様。……はは、上様……兄上……!」
隣の部屋から声を押し殺した嗚咽が聞こえた。絶望の色濃いそれは、少年のもの。目を閉じて、《透視》を展開する。
少年は部屋の隅で全てから隠すように小さな体をさらに縮めていた。……無理もない。父も母も、兄も、居場所も一度に亡くし、こんな恐ろしい森に支えさえなく一人でいるのだから。
彼は気高い人間だ。きっと他のものには涙はみせない。はじめに見せた涙は事故のようなものだ。率先して水に触れる仕事をするのはともすれば溢れそうになる涙を誤魔化すためだろう。
「嗚呼」
気がつけば私も小さく呻いていた。
少年の悲しみに共鳴するように遠い昔の記憶が掘り起こされそうで、強く拳を握った。
※
「おはようございます。エル様。何かお手伝いすることはありますか?」
「使用人のつもり? 滑稽だこと」
目の腫れは髪でうまく隠したようだ。王族だったのに、こういう使用人がするような細かい技術をどこで覚えたのか。
まぁいい。まずは適性検査だ。
「お前、自分の魔力を感じたことは?」
「……私にもあるのですか?」
まさかそこまで初歩的な事を聞かれるとは思わなかった。王族だし計測くらいはしていると思っていたが。
「はっ、これだから無知な人間は。魔力なんて誰でも持っているものよ。そうね、お前は……」
目を細めて、少年の魔力を《視る》。
「……」
「……どうですか?」
「ま、人間にしてはなかなかね」
なかなか……。私ほどではないが、これは人間にしてはかなりの量の気がする。
この量で暴走されると私でも骨が折れる。魔力制御の指輪でも用意しておかないと。
「これから少しだけ私の魔力を流し込むわ。手に意識を集中させなさい」
少年の手をとり、ゆっくり流し込む。
「……あたたかい」
「これが魔力の感覚よ」
「え? これは……いえ、なんでもありません。魔力の感覚は分かりました」
「そう。次はあの魔法陣にたって」
何か言い掛けていたが、言い掛けてやめるくらいなら大した用事ではないのだろう。
昨日書き上げた魔法陣の中央に立たせる。
「これは?」
「ここの中央にいるとお前みたいなひよっこでも魔力を感じやすくなるの」
他人の魔力を感じるのは割と簡単だが、それを己の内に見つけるのは難しい。
「自分の魔力を感じることが出来たら言いなさい」
いくら優秀と言えども三日はかかるだろう。
……ああ、そういえば丁度良い暇つぶしがある。
立ち上がると、少年がぱっと目を開けた。
「エル様、どこへ」
どこへ行くのですか? 少年はよくこの質問をする。何かの作業に気を取られている時もどこか不安げな表情で問うてくる。
「外」
短く答えて窓からでる。少年を待っている時間、暇なので服を作ってやってもいい。下手に防御力のない服を着て簡単に死なれたら死体を回収するのが面倒だ。
「貴方の糸。少し、もらっていくわ。ごめんなさいね」
シューシューと糸を吐き出す大きな蜘蛛。その糸をさけて、結晶の様に張り巡らされた糸に手をかける。
この蜘蛛の作る糸は二種類ある。獲物を捕まえるのはかなり粘着力の強いもので、使えないが、網はまだ粘着力が弱く何度か洗えば使えるようになる。
背後から迫り来る糸を火を操って燃やしながら、網を極力壊さないように丁寧に糸をとる。銀色にきらきら輝く糸は本当に綺麗だ。
「ありがとう」
不服そうに手足を動かす蜘蛛にそう告げて少年の待つ屋敷に戻った。
「エル様、おかえりなさい」
「蜘蛛の糸よ」
手に持ったものをじっと見つめてくるので質問される前に答えた。
「何に使うのですか?」
「聞く暇があるとでも? 自分の事に集中しなさい」
魔力を流し込みながら、編んでいく。私の魔力を感じた糸が黒く染まる。
開けていた窓から風が吹き込む。沈黙の落ちる部屋に葉のざわめきが静かに響いていた。
魔力を感じるのに集中する少年をちらりと見つめた。目を伏せる様子はさながら宗教画の天使のように美しい。
真剣な様子を邪魔するのにやや躊躇したが迷った末、口を開く。
「そう言えば、お前の他の兄弟は無事に生きているみたいよ」
「……!」
大きく息を飲む音が聞こえた。
「まあ、会わせてやるつもりはないから、私の言葉が信じられないのな、らっ」
とん、と軽い衝撃が背中に走る。驚いて振り返ると、少年が私の背中に縋るように服を掴んでいた。小さな肩が小刻みに震えている。
「……な」
背中に走った衝撃よりはるかに強く、その事実が私の胸に鈍器で殴ったような衝撃を与える。
「……た。よか、た……っ、みんな、生きて……ああっ」
―――少年が、泣いている。私の前で。
「うわぁぁぁあっ、……ぁぁああ……!」
悲しみも、絶望も、安堵も、怒りもすべて籠もったただただ悲痛な、泣き声というより咆哮に近いそれ。この小さな体から溢れたとは思えないほどの量で、空気をふるわせる。
彼はいったい、どれだけ耐えていたのだろう。この短い期間で、瞳から感情を消し去る事を覚えるほどの絶望に、どれだけ。
「……」
少年の頭にのばしかけていた手を止める。
泣く姿さえ美しい彼に、触れていいとは思えなかった。
しばらくして、泣き疲れたのか少年は床に崩れた。手を出して支えてやる。
「え、るさま」
必死に目を開けようとする少年の額に手をおいた。少年は素直に目を閉じた。
「……よく、お眠り」
少し熱もあるようだ。
腕にかかる重みが増したことで少年が意識を失ったことを理解した。
少年をベットへ運ぶ。熱がある。かなりの高熱だ。息も荒くなってきた。
しばらく症状を見て、熱に効く薬草を調合しようと立ち上がろうとした。
だが、
「……」
引き留めるように服を掴む小さな手に邪魔された。思わず眉がよる。……仕方ない。
近くの椅子に腰掛ける。
背中を叩いていると、少し表情が和らいだ。
願わくば、今はこの子が今は何も考えず眠りにつけますように。