三話 老人
10/20改稿しました
黒の森のすぐ近く――といっても人間の足では遠いのだろう――に一軒の家がある。木が生い茂り、黒の森ほどではないが、暗く空気が重い。
建っている家は崩れそうなほど、古く、地盤の変化により傾いている。荒削りの木はよく言えば味があり、悪く言えば素人の作。家主の特徴がよく表れている。
「おや、魔女様」
正面の木に降りると、この家の持ち主の老人、バルドが声をかけてきた。
しわだらけの手で握っていた鍬を手放し、よろよろと近づいてくる。出会った頃から変わらず今にも死にそうな様子だが、それではや二十年がたつ。実は人間ではないのではないかなんてうっすら思ってしまう。
「なぜここへ? まだ薬は切れてませんぞ」
「知っているわよ。呆けの始まったお前と一緒にしないで」
木からふわりと着地する。養分をよく含んだ土の感触がした。
「ふぉっふぉ。まだ呆けは始まっておりませんよ。薬でないとしましたらば、何か御用ですかな?」
「ええ、お前に依頼」
「おお、珍しい。この老人に出来ることならなんでも言って下さい」
バルドは髭をなでながら、興味深げに聞いてきた。相変わらず慇懃無礼というか、胡散臭いというか。
この私にこんな態度をとるのはバルド位だろう。
「……子供を拾ったの」
「ほお!」
大げさに反応するバルドに目を細める。
「齢十三で金髪碧眼。見目は申し分ない。名は、サリヴァン」
「……第二王子」
うむ、とバルドが唸る。
「どうするおつもりですか?」
「勿論、拾ったのだからこき使ってやるつもりよ。まぁ、使えるようになるまで少し指導が必要かしら。最低でも魔獣くらい狩れるようにならないとね」
「つまり、あの大の大人でも七人掛かりでやっと倒せるほど、と言われている魔獣を一人で倒せるほどに鍛えて差し上げるのですね。それは大変良い案ですな。貴女ほど良い師範はいないでしょうから。ビヒーデルに簡単に対抗できますな」
わざわざ説明するように話す男だ。嘲笑して聞き流す。
「十年こき使えば飽きるかしら。そうしたらお前に譲ってあげてもいいわよ」
王位継承権を持つ彼は国を復活させるために必要だろう。
「ふむ。是非お譲りいただきたく存じます」
「そう。それまで精々この世にしがみついておくことね」
それでなければ無効だ。
「ふぉっふぉっふぉっ。長生き頑張りますよ。お気遣いありがとうございます。それで、御用とは?」
私の嫌味はさらりと受け流された。……バルドと話すと彼のペースに巻き込まれるので疲れる。
「服が必要なの。良い服を扱う店をしらない?」
「おや。作って差し上げないのですか。貴方の服以上に良いものなぞ知りませぬぞ」
私の着る服は自ら作っている。黒の森にしか生息していない蜘蛛の糸を使い、私の魔力を込めながら織っていくのだ。唯でさえ蜘蛛の糸ということで頑丈なのに、黒の森に生息する強力な蜘蛛、そしてこの深淵の魔女の魔力を編んだという付随価値がつく。確かにこれにかなう服はないだろう。
「無理よ。あれにどれだけ時間がかかると思っているの? 一月よ」
「おお! それほど魔女様の時間を削ってまで儂にこの服を下さったのですな。感激です」
「……ええ、感謝しなさい」
本当にバルドとの会話は疲れる。この私を疲弊させるなんて大した人間だ。
じろりと睨みつけると、顔をしわくちゃにさせる。笑顔のつもりかそれとも威嚇なのか、皺が多すぎて判別が付かない。
……おそらく前者なのだろうと言えるくらいにはこの男と付き合ってきた。
「では、儂の知っている服屋にお連れいたします」
といっても、連れて行くのは私なのだが。
魔術式を展開させ、姿を変える。
闇を煮詰めた黒い髪に、血のように赤い瞳。こんな容姿を持つのは私くらいだ。すぐに魔女だと知れ渡る。混乱で起きる悲鳴を聞くのはうんざりだし、魔女にすり寄り甘い蜜を吸おうと寄ってくる欲深い人間を願い下げだ。内心では私を恐れ、軽蔑している癖にさも私を素晴らしい存在のように語り、媚びを売る。そんな人間の態度はバルドの胡散臭い態度よりよほど不愉快だ。
「――、――――、――」
呪文を唱える。髪はよくあるくすんだ金髪に、瞳は赤とは正反対の青に。
魔術を知らない人間には聞き取れない呪文の音。それは時に歌のように聞こえるらしい。バルドは心地良さげに耳を傾けた。
頭部を熱を持った物が上から下へと駆け抜ける。瞳が冷たい水のなかに入った時のようにひやりとする。
周囲に霧散していた魔力が消えた。これで魔術完了だ。
「行くわよ」
いつものようにバルドをかごに入れ、浮き上がる。高く上がると森を抜け、光が射し込んでくる。
「ふぉっふぉっふぉっふぉっふぉっ! 最高ですぞ!」
死にかけの老人に相応しくない陽気すぎる声だ。バルドは空を飛ぶのが好きなようで、何かと機会があればこれでの移動を勧めてくる。
私としてはあまり喜びすぎるとこの老人がうっかり心臓を止めてしまいそうなので極力避けたいのだが。仕方ない。
「そういえば、サリヴァン王子は今お一人ですか」
「ええ」
「大丈夫ですかのう」
少年の体調面ではないだろう。私が治療したと言った。バルドならその効果をよく知っている。
「大丈夫とは?」
「精神面ですよ」
そちらは私には手の施しようがない。自分で立ち直ってもらうしかない。
「……仕事をいいつけてきたわ。日が沈むまでに終わるように、と」
「おお、さすが魔女様。仕事があれば多少は気が紛れますな。しかし、日の暮れが分かるでしょうか? ここは暗いですからなぁ。そもそも夜だと思っているのでは?」
黒の森は時間の経過がわかりにくい。生い茂る木々で陽光が遮られるためだ。さすがに多少は入るため昼夜の判別はつくが。
「驚いた反応はなかったし、辺りをしっかり観察していたわ」
時計の場所も教えた。あの賢王の子がそれで日の暮れが分からないようなら、血の繋がりを疑う。
「うむ。なんだ、心配は無用でしたな。なにせ聡明な魔女様だ。老いぼれの行き届く範囲の気配りなどすませてるに違いない」
「はっ、気配り? 随分都合の良い解釈ね。こき使ってるだけよ」
「魔女様は素直ではないなぁ」
「落とすわよ」
バルドのけたたましい笑い声か森に響いた。
「少年には黒より明るい服がいいと思いますよ」
四着の服を選んだ私をみてバルドが眉をしかめた。
「……」
自分のものを選ぶ感覚でつい、黒ばかり選んでしまった。
「では……紫?」
「暗いです。赤は?」
「却下。その色を視界に入れたくないわ」
「ふむ。まあ、森では目立ってしまいますな。ということは、白、黄も同じく駄目、と。では青は?」
「いいでしょう」
「あとは、緑は如何でしょう? 森にとけ込めますよ」
「ええ。それで」
そのまま会計を済ませようとして止まる。
人間には喪に服すという習慣がある。それをふと思い出した。
「やっぱり黒にするわ。同じ色にしておいた方が主従関係が分かりやすいもの」
「……貴女がそう仰るなら」
不服そうだったが、頷いた。後でごねられても面倒なので勧められた青も一着入れておく。気分転換にはいいだろう。
賑やかな町の中心から逸れた、冷たい印象の路地。飛ぼうとしたところではた、と気がついた。
「バルド」
「なんでしょう」
「……人間の食事は作れる?」
「それはもちろ、……まさか拾ってから食事を与えてないなんてことは……?」
不信げな目を向けるバルド。失礼な奴だ。
「適当にパンを選んだわ。でも、確か、パンだけでは、駄目、よね」
言葉が途切れるのは大昔の微かな記憶を思い出しながら話すからだ。
「パンだけではあの年頃には足りませんな。第一、飽きます。肉と、野菜も取らないといけません。果物もあると健康に良いですよ」
「野菜なら薬草が生えているし。果実も奥に行けばあるわ。肉も、トカゲの肉があったわね。買いに行く必要は、」
「大いにあります!」
言葉尻を奪い取るように叫ばれた。目が必死だ。
いったい、なにが悪かったのか。
バルドが勢いこんで、食事は儂が作ります! と宣言した。
都合よく転がったと思っておこう。
魔女さんはバルドあいてにはやや素直です。