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九話 魔術指導

二、三、四話改稿しました。読み直さなくても内容自体に大きな変更はありません。加筆が割とあります。

 朝は嫌いだ。陽光の射さないはずのここでもなぜか眩しさを感じて煩わしい。

「エル様、おはようございます」

 私が起きたことに気がついた少年が声をかけてくる。

「……おはよう」

 最初は違和感しかなかったこうした挨拶も最近では慣れた。

 少年がきて二月ふたつきが経つ。それはつまりジノヴァが攻めいられてからの期間だ。

 賢王から愚王へ。

 その影響は至る所に出ている。バルドとみた街の景色も今はもっと酷くなっているのだろう。 

 

 

「なに、これ」

 そう呟いたのは、質素なテーブルの上に二人分の食事が並べられていたから。

 湯気の立つスープは琥珀色をしており、旨みを凝縮したような匂いがする。並べられたパンは少し酸味のある黒パン。だが、穀物がふんだんに入っているそれは決して平民の買うような安いものではない。メインデッシュらしい魚には彩りよくハーブが添えられかつ、臭みを消してもいる。


「いかがでしょうか? 初めて、ひとりで作ってみたのです」

 まじまじと見つめてしまった。

 魔術の扱いをはじめ、髪を結う手つき、薪割りの早さ、器用な人間だと思っていたが予想以上だった。

 丁寧な盛りつけは、中級貴族程度なら通用するだろう。

「……ふぅん? 上手いものね」

「ありがとうございます」

 それにしてもまだ料理を始めて一月ひとつき程度しかたっていないのによくここまで出来るものだ。王族で経験もないはずなのに。毎日教えにくるわけでもないし、バルドの教え方が上手いということは絶対ない。相当努力したのだろう。


「あの、それで、エル様」

 おずおずと少年が切り出す。

「……もしよろしければ、食べていただけませんか?」

 気遣いのつもりなのか。無意味な台詞を吐くものね。

 すぅ、と見下げる。

「私に食事は必要ないと言ったはずよ。何度目? おかしいわね。お前って学習しないのかしら?」

「もちろん、覚えています。けれど、取れないわけではないのですよね?」

 魔女に馬鹿にされているというのに全く笑みを崩さない。拾った当初はもう少し警戒心がむき出しだったのに、熱を出して以来妙に懐かれた気がする。

「そうよ、それが何」

「でしたら、エル様に食べていただきたいです。それに、一人で食べるのは少し寂しいです」

 だから、以前食べないと言ったとき少し悲しげな顔をしていたのか。


「……バルドは」

「エル様に食べていただきたいのです」

 聞き流した「エル様に」という台詞をまた口にする。ため息が出る。

「なぜ」

「感謝を、つたえたくて」

 感謝されるような事をした覚えはない。命を助けたことなら利用価値があると思っただけにすぎない。そんなもの掃除や薪割りなど毎日世話をさせていることでとっくに支払われている。

「申し訳ありません。エル様は気高き魔女様。やはり、人間のモノなど食べたくないのでしょうか」

「勝手な解釈はやめて。不愉快よ」

 少年の長い睫が伏せられた。綺麗な青い瞳が見えなくなってしまう。

 それは、やはり惜しい。

「……不味かったら、捨てるわよ」

 渋々椅子に腰掛ける。ぱっと顔を上げる気配がした。きっと笑顔なのだろう、まんまと思惑乗ってしまったようで、スープに視線を落とした。


 琥珀色のスープは厚切りのベーコンと、大きく切られた野菜がごろごろと浮いている。油と水が綺麗に溶け合っているから、よほどしっかり混ぜたのだろう。

 野菜の一つをすくった。

 食欲を刺激する香りが鼻まで届く。琥珀色に揺れるスープを飲み込むと温かいものが抵抗なく胃に滑り落ちた。


 スプーンを置くと伏せた瞳に不安のにじむ視線を感じる。

「濃い」

「あっ、申し訳ありま」

「けど、」

 謝罪を遮る。

「……不味くはないわ」


 高慢そうな笑みを持って少年を見つめた。

「今回は特別に食べてあげる。食材への礼儀よ」

 食料は、貴重だ。

 今は食事の必要などないのにそう思うのは人間だった頃の名残なのだろう。あの頃はじわりじわりと命を削る飢えが恐ろしかった。

「ありがとうございます」

「ふん、私に食べさせたいのならもっと上達なさい」

「それは、また食べて下さると言う意味で構いませんか?」

 憎まれ口を叩いたのに少年は声弾ませた。

「……アレはお前を気に入ってるから、どんな出来でも褒めるでしょうね」

「確かに、師匠は」

 少年の口から苦笑がこぼれる。

 師匠とはバルドの事だ。剣術と料理を教わっているから、らしい。私も魔術を教えるなら初めからそう呼ばせれば良かった。

「そのような方ですね。焦がしてしまった卵も天才だ! と」

 バルドがするのはただの、甘やかしだ。

 この利口な少年は手放しで褒められた所で喜ぶ愚か者には見えない。

「まあ、私もろくに食べてないから正当な評価なんて出来ないでしょうけど、バルドよりはマシね」

「はい!」

 ああ、本当に。よく笑う子供だ。




「今日は、本格的に魔術式を使っていくわ」

「はい」

 熱を出した時にいた少し開けた場所。

 倒木によって光が射し込むここは暗い森とは別世界の様に明るい。

 屋敷からそう遠くはない距離なので歩かせたが森に慣れてないと難しかったらしく所々葉や枝で切り傷がついている。 

「お前の魔力属性は火だから、まずは火を使うものからよ」

「魔力属性?」

「そんなことも知ら……いえ、いいわ。廃れた文化でしょうし」


 “サリヴァン王子は傷付いていらっしゃるのですから、あまり厳しい言葉ばかりかけてはいけませんぞ”


 バルドの言葉が脳裏に浮かび、言い掛けた台詞を飲み込んだ。ヤツは奴で甘やかしすぎだが。

「魔力に色がある、というのは教えたわね?」

「はい。エル様は黒、私の色は白でしたよね」

 ちなみにバルドも魔力持ちで、色は赤だ。奴は魔術は使えないけれど。

「色とは別に魔力には属性があるの。種類は火、水、雷、土、風、光、闇の七つ。稀にそれ以外もあるけれど。得手不得手は属性で決まるわ。お前みたいに火の属性を持つと、水魔術との相性は最悪ね」

 属性は色とは違い、法則性があるという説が有力だ。本人の性格によるらしい。もっとも私は信じていないが。


「エル様の属性は何なのですか?」


 悪気なく尋ねる少年に嘲笑を向ける。

「はっ、属性は逆をとれば弱点よ。お前に教えるわけないでしょう」

「…師匠には、教えたのですか?」

 肩に掛かる髪をするりと払う。

「随分下らない質問ね? 時間の無駄」

「っ貴女にとっては」

 息をのむ音が森に響く。滅多に動揺を見せない彼のそんな様子に驚き、視線を下げる。

「下らない質問だろうと理解しています。けれど、私にとってはそうではないのです! ……だから。どうか、お願いします……っ」

 縋るような青と視線がかち合った。


 何、その目は。


 雛が親鳥に向けるような、その目は。まるで。まるで、私を。


 青から目が外せない。視線で全身を絡め取られているようだ。

 胃の辺りが絞られるような感覚がして呻くように「言ってない」と答えた。

「! そうなのですか!」

 ああ。良かった。もうあの目ではない。ほっと肩の力が抜け、胃の感覚は消えた。

「ほ、本当に?」

「くどい。当たり前でしょう。言っていないわ」

 言ってはいない。慇懃無礼で妙に鋭いあの男なら気が付いているだろうけど。

 


 しばらく笑みをうかべていたが、少年ははっとしたような顔をして謝罪の言葉を口にする。

「……」

 少し考えて、魔力を纏わせ指を振る。

「わぁ!」

 先ほどとは打って変わって瞳を輝かせ、歓声をあげる。

 五指からそれぞれ出した赤、青、黄、茶、緑の色の玉を円上に並べた。

「光と闇以外は円上に考えなさい。火は水が、水は雷が、雷は土が、土には風が、風には火が相性の悪い属性になるわ」

「相互ではないのですね」

「この五つはそうね。ただ、光と闇だけは相互になっているわ」

 呪文を唱え、白い玉と黒い玉をさらに出して、円上に並ぶ玉とは別に並べる。


 少年は頷いてから、ためらいがちに口を開く。

「えっと。その、火、水、雷、土、風までは思い浮かぶのですが、光と闇が分かりませんでした。光は火や、雷と同じでは?」

 いい質問だ。

 きっと王宮時代ついていた家庭教師にとっても良い生徒だったのだろう。

「光は治癒よ。怪我を塞いだり、疲労回復。病気は医術の分野だから治せないけれど。闇は幻術。姿を変えたり、幻覚を見せたりするの」

 金髪が理解を示すように揺れる。


「では先ほど仰っていたその他の特殊な属性にはどんなものがあるのですか?」

「代表的なものだとお前たちが『呪い』と称する呪術。あとは身体や精神を操る傀儡、結界、透視や千里眼、距離が離れてても会話の出来る念話、霊と会話の出来る死霊術、身体能力を上げる補助が一般的ね。本当に少数だと記憶操作、予知、植物の成長促進もあるわ」

「魔術と一口に言っても多種多様なんですね」


 少年は教えた知識を手帳に書き込み始める。すらすらと迷いなく動いていた手は途中でピタリと止まった。

「転移はどこに区分されるのですか?」

「ないわ。魔術が万能だなんて人間らしいおめでたい考えね」


 魔術は万能ではない。

 たとえば予知でも見たいものを正確に視ることが出来るわけではない。予感、に映像と音がつくようなものだ。

 それに時間を止めたり戻したりする魔術や天候を操る魔術もない。不老不死。死者を生き返らせる蘇生魔術も。

 起こり得ない事象というわけではない。ただ、それらは全て神の御業だ。人間は当然魔女たる私でも使うことはできない。

 大地が作られた時に落とされたという幻の神器を使えばあるいは可能かもしれない。


「そうなのですね。なんだか意外です。でも、かえって身近に感じられますね」

 落胆するかと思ったのに、少年の発言は前向きだった。

 また手帳を開き、彼らしい達筆で文字を綴る。が、すぐに手を止め首を傾げた。

「あれ? ですがエル様は前に転移していませんでしたか?」

「……無駄なことはよく覚えてるのね」

 あれは、転移ではない。

 転移に見せかけただけだ。幻術で姿を消してから窓から飛んでいった。なんでそんな面倒な事をしたのかなんて、私だって知らない。


 無言の聞くなという威圧を感じ取ったのか、少年は質問を変えた。

「ええと。私は水と相性が悪いと仰いましたが、水魔術はつかえないのですか?」

「いいえ。相性がいいと詠唱や魔法陣なしでも使えるけど、相性が悪いとそれが出来ないだけね」

「良かった。使えるんですね」

「質問は以上?」

「はい。大丈夫です」

 ペンをしまったのを確認してから、魔法陣を描いた羊皮紙を渡す。

 魔法陣の種類は多種多様。私の描く魔法陣はバルド曰く絵のよう。すべて意味ある線で構成されているが、分からないとそうみえるかもしれない。歌に聞こえる詠唱と同じだ。


「目を閉じて炎を想像なさい。下から上に向けて魔力を流し込むように」

「はい」

 少年が目を閉じると、白い魔力が光りながら、腕から指を伝っていく。


 美しい。


 宗教画のような光景に息をのんだ。

 日光と少年の魔力が溶け合い、よりいっそう煌めく。宝石の放つものより高貴で、夜の星のように優しい。魂の純白さを表すような目映い光。


 思わず見惚れていたが、その魔力が指から一向に羊皮紙を伝わらず、周囲に漏れていることに気が付いた。

 柳眉がより額に汗がにじんでいる。

「そこまで!」

 止めると少年の息は少し上がっていた。

「すみ、ません……。上手く、できなくて」

「自分ならすぐ出来るとでも思ったの? 初心者はこんなものよ。思い上がらないことね」

 彼の魔力属性が火のため仕方ないが、最初に炎というのは良くなかったかもしれない。

 動物は火を本能的に恐れる。攻撃的なイメージも強い。無意識に力を制御してしまってるのだろう。


 仕方なく少年の背後に回り、肩に手をおく。

「恐れることはないわ。魔力は私達の身体に流れるもの。古より寄り添ってきた力」

 少し、ほんの少しだけ動揺した。

 想像以上に肩が細い。

 この肩にはこの国の未来が、数多の命が乗っている。彼にとって重い重い、枷。生を受けたときから決められた定め。


 隙間を埋めるようにぴたりと寄り添うと、心臓の位置に少年の頭がくる。

「緊張しないで力を解放して。お前程度が暴走した所で、片手で止められるわ。安心なさい」

「は、い」

 肩から少し力が抜けた。 ああ。本当に、力が抜ければますますその細さが伝わる。力を込めれば折れそうな肩だ。

 折れられては困るから。少しだけなら代わりに背負ってやらないこともない。


「もう一度、ゆっくり、魔力を紙へ流して」

 少年は無言で頷き、今度は先ほどよりゆっくり魔力が腕を伝っていく。

 集中の邪魔にならないよう小声で囁く。

「想像して。暖炉に揺らめく炎ではないわ。夜、本を読むとき使う蝋燭の、ささやかな光」

 

 腕からてのひらへ。

 てのひらから指へ。

 指から爪へ。

 爪から紙へ。


 白い軌跡が流れ込む。

 魔法陣が少年の色に染まっていく。


「……っ」

 半分ほど染まったところでパチリと魔力が爆ぜて途切れる。

「まあ、充分かしら」

 膝から崩れそうになった少年の腹に手を回し支えてやる。

「え、る様……」

「最初に魔力を使いすぎたのが失敗の原因」

 魔力切れとは違うが、それまで当たり前にあったものが大量に身体から抜けていったので神経が混乱しているのだ。

 少しだけ私の魔力を流し込んでから、手を離した。

 よろめいたが、少年はしっかりと立つ。

「感覚は理解できたわね?」

「は、い。魔法陣に魔力を流し込む作業は、なんというか、酩酊感がありますね」

「その内慣れるわ。今日はこれで終わり」

 さっと踵を返し歩き出す。ふと気分が変わって、足を止めた。


「……風魔術を教えてあげる」

 少年に向けて指を鳴らす。

「え? っうわぁ!!」

 齢十三にしては華奢な身体がふわりと浮いた。少ししか地面と離れていないのに少年が悲鳴を上げて暴れる。

「わ、え、エル様っ」

「五月蠅い」

 仕方ないからバタバタ動く手をつかんで私も浮き上がる。


 高度を上げて、空へ、空へ。澄み切った青に向けて飛び立つ。

 森の高い木々を追い抜いた。空気が、景色が、変わる。

 少年に目を開くよう促す。


「―――わぁ!」

 ぱあっと表情が華やいだ。

「すごい! 森は広いのですね! 屋敷も見えます! あ! あちらにあるのは師匠の家ですか?」

「そこのボロいのならそうよ」

 こういう年相応に輝く顔は、嫌いではない。

 けれど、

「……あれは」

 その顔は絢爛豪華な建物を瞳がとらえると消えてしまった。瞳から感情を消して、じろりとそれを睨みつける。

 それはかつての少年の居場所。今は血と陰謀で彩られた敵の居城。


「ビヒデール……っ!」


 繋がれた手に力がこもる。これはきっと少年の憎悪。

 ……良かった。

 彼からまだ憎悪は消えていない。傷は治ってもその魂に刻まれた屈辱を忘れてはいない。

 治療を施し、魔術という人間にとっては夢物語のような力を授けたのはこのためなのだから。

 少年は圧税に苦しむ民にとっての希望の星。贅につかるビヒデールへの反撃の嚆矢こうし。私の駒。

 牙を鈍らせてくれるな。

 声を出さず、私はそう呟いた。



 きっと私の思いは矛盾している。

 彼に同情する。期待を押しつける民を身勝手だと思う。けれど、私も。潰れない程度には彼を利用する。


 私は、醜悪で、冷酷な、人間嫌いの魔女なのだから。

お読み下さりありがとうございます


【補足】サリヴァンのバルドへの嫉妬?は恋愛感情というより今は縋るものがエルしかないから。

エルは好意や善意を向けられるのが苦手で、サリヴァンの目が怖かった。

エルが転移に見せかけたのは警戒して気の休まらないサリヴァンの前から早く立ち去って上げたかったから

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