最終話 天は見た!気高く生きたこの女の人生を!!
かつて預言者は言った。この地、この年、この日に、右腕に流星の印を刻みし者生まれんと。そしてその者、勇者となり魔王を倒さんと。
予言を聞いたその国の王は国中にお触れを出して探し回り、その予言に期された運命の子と思われる赤子を、北の地のパジャルという街で発見した。
そしてその赤子は密かに、大切に、だが強くあるようにと育てられ、すくすくと成長していった。そしてその国では成人と認められる年の14歳になると、少年は街を出て修行の旅に出ることとなった。
少年は強かった。冒険者ギルドのクエストをこなしながら、わずか一年で字を呼ばれるまでに成長した。その強さには誰も並び立つことが出来ぬほどで、故に彼は常にひとりで戦い続けた。
彼には倒すべき相手がいた。予言の通り、ここより南の地に出現した魔王の討伐こそが彼に課せられた使命だと考えていた。
魔王アネモネ。飢饉の混乱に乗じ、腐骸竜クロを始めとする魔物たちを従えて自らの王国を造り圧政を敷き、さらには隣国の王を殺して土地を奪い、暴虐の限りを尽くしたのだという。
さらには自ら国を出て、名だたる武人を打ち倒して配下にすると、続けて各地の魔王を復活させて主従を結んだ。そして、その他にも強大な力を持つ人外たちを従えて、数年前に国へと帰還したとのことだった。
そのアネモネこそが自らが倒すべき魔王なのだと考え、少年は実力を磨き続けてきた。そうして旅に出て二年が過ぎ、成竜をもひとりで倒すことが出来たとき、少年は魔王を討伐する決意を固めて、アネモネ王国の首都アネモネシティへと足を運んだ。
「なんのつもりだ?」
「なんのつもりだ……とは?」
念願である魔王アネモネと対峙した少年が第一声に放ったのがその言葉である。
少年は王都アネモネシティにたどり着くと、そのまま王城アネモネパレスへと突き進んだ。そして城門の前で魔王アネモネを退治しに来たと告げると、そのまま、ここに通されたのである。
聞いていた話とあまりにも違う。この街は道行く人々の顔には笑顔があふれていた。花と緑の混在した美しい都市だった。圧政とは何の話だったのか。暴虐の限りとは何のことだったのか。
だが、アネモネが魔王であることも、魔物を配下に従えていることも、誰も否定しない。そして何よりも退治しに来たと口にする自分を平然とこの王の間まで通したのである。
「ふむ、まあ良い。ここでの闘いのルールは簡単だ。勝者が敗者のすべてをもらう。それだけだ」
アネモネが構える。
「よく分からねえが、ようは俺が勝てばいいってだけだろうが」
そう言って少年も剣を抜いた。
そして、周囲にいる長髪の生首を担いだ痩せ男、斧を背に背負った獣人、窓の外には腐骸竜クロ、それ以外にも何人もの恐ろしい気配を漂わせた者たちが見守る中で闘いは繰り広げられた。
少年の剣は早かった。そして強かった。わずかな間があれば、すかさず魔術を放ってきた。その歳を考えれば驚異的な力量だと言えるだろう。だが当たらない。少年の剣は空を斬り続けた。
そして、アネモネが腰を落とし、わずかにその姿がブレたと少年が思考したときにはもうアネモネは真横に立っていた。そして少年は反射的に剣を振るうも、蹴り飛ばされて10メートルは吹き飛んで意識を失った。
「ふむ。手の皮一枚切り裂かれたか」
そうアネモネが口にした。蹴りは見事に命中。だがカウンターの一撃をわずかにもらってしまった。油断したつもりはなかった。つまりは単純に少年の技量が高かったということだろう。
「なかなか見所のあるヤロウじゃあねえですかね」
『……確かに』
ガルーがそう口にし、クロが同意する。
アネモネはその手から流れ出る血を見ながら、あることを決意していた。待ち続けても現れなかった。自ら探しに行っても見つからなかった。ならば、別の手段を探さねばならないと。
「やはり己が育てるしかないか」
そうアネモネは口にして、王座へと座り込んだ。
近頃は昔に比べて身体が重くなった。時間はない。急がねばならない。
そして時は過ぎゆく。
少年はアネモネのものとなり、そしてアネモネは子供たちを養成するよう動き出した。
アネモネがオーガの群れを壊滅させてから早8年、ここまでの間にアネモネに勝てる者はいなかった。西の竜の里にいた最強の剣虎竜ギルヴァラも倒した。魔王を何人か復活させたがやはり勝ってしまった。大魔王は魂だけの存在で接触すら出来なかった。
もはやこの世界にアネモネの彼氏となれる者はいないと判断するしかなかったのだ。故にアネモネは自らの手で自分の彼氏を育てようと考えたのである。
そうしてアネモネ主導の元で教育機関が生まれ、様々な分野で活躍するべき子供たちの教育が始まった。すべてはアネモネの彼氏を作るためだ。
だが、アネモネが二十歳になったとき、彼女の短い生涯は唐突に終わりを告げることとなる。
その不調をガルーは自分がかつて飲ませてしまった毒のせいだと気に病んでいたが、すでに何年も前から老化という形でその兆候は現れていた。つまり寿命である。
オーガの成長は早い。僅か七歳で成人を迎えるオーガの寿命は僅か15年程度。それを考えればアネモネは長く生きた方だと言えるだろう。彼女の命の炎はその運命に従い、終わりを迎えることとなっていたのだ。
そして死にゆく彼女が生涯最後に見た光景は、彼女の配下と彼女が育てた多くの子供たちの姿だった。皆が涙を浮かべ、アネモネの眠るベッドを取り囲んでいたのだ。
「何を泣いている?」
そして死にゆくときもアネモネはアネモネであった。だから側にいるトリスが人としての常識を教えるのだ。いつものように。
「それはですね。陛下がもうじきいなくなってしまうからですよ」
「そうか。それは泣くことなのだな?」
その質問にトリスは深く頷いた。オーガには死に対する恐怖というものはない。またひとつ学んだなとアネモネはひとり頷いた。
「……お母様」
そう口にしたのはアネモネの最初の教え子である、かつてアネモネの手を傷付けた少年がそのアネモネの手を握る。
お母様と少年たちはアネモネを呼ぶ。自らの男を作ろうとしたのだが、出来たのは子供だった。だがそれも悪くないとアネモネは思う。腹を痛んだ子を産めなかったことに後悔がないとは言えない。だが目の前の子供たちを授かったことは幸福だったとアネモネは思う。
(本来であれば、私を倒し、長となるべきなのだがな)
まあ良いとアネモネは目をつぶる。眼を開いているのもすでに億劫になっていた。
「今日から貴様が長だ。分かっているな」
少年は頷いた。
「群れを守れ。そして勝て。それが長の役目だ」
そう言いながらアネモネは最後の力でその拳を天へと突き出した。それはかつてのそれとは違う、か細い拳。だがこの場の誰もが力強く感じる拳だ。
その拳に少年は拳を重ね合わせる。横にいたガルーも、トリスも、子供たちも皆が拳を重ね合わせた。
(ああ、良い……それで良い)
その触れ合う拳の暖かさに、意識が深いところに落ちていくのを感じながらもアネモネは微笑みを浮かべる。
その生涯において遂にアネモネは恋を知ることはなかった。だが愛は手に入れた。その愛の結晶たちに囲まれ、アネモネの魂は天へと昇っていく。
そして女王の崩御を知らせる鐘が首都中に鳴り響く。
天には竜が舞い、王城に光が射した。
その光の道を昇るアネモネの姿を見たと街の誰かが口にした。
街の誰かは天使たちに囲まれていたと言っていた。
その天使のひとりが巨大な筋肉の塊だと言う発言にはさすがに冗談の類だろうと思われたが、それらを多くの民が見たと証言しているのは事実である。
やがて光が消えたとき、その場にいる誰もが涙を流した。
それがアネモネが起こした最後の奇跡となった。
──そしてさらに30年の時が経過した。──
「うーん。なんでえ、ここは?」
黄金の野原に男がひとり立っていた。
男の名はガルー、かつてアネモネ王国という国の将軍であったが、今はもう引退して孫たちに囲まれながら老後を送っているハズの男だった。
だが今の彼は老人の姿ではない。かつて彼がもっとも輝いていた頃の、あの最愛の人の隣にいた頃の自分の姿がそこにはあった。
「若えな」
黄金の野原の横で流れる小川に映る自分を見ながらそうつぶやいた。
といってもアネモネと一緒にいた頃と同じなのだから、それほど若いというわけでもない。今の自分の姿は40前後と言ったところだろうとガルーは考え、ひとり頷いた。
「しっかし、ここはどこなんだろうなぁ」
そう口にしながら見渡す。黄金の野原、黄金の雲、見渡す限り、そればかり。
「なんだか天空の草原みてえだな」
人が死んだ先にあるという神々の住まう領域『天空の草原』。この光景はいつか見た、その場所を想像して描かれた絵画によく似ていた。
(となると俺はもう死んだのかねえ)
ここ近年は確かに体の動きも鈍り、食事もあまりとれなくなっていた。筋力も衰え、孫を持ち上げるのでさえ悲鳴を上げる始末だったのだ。それを思い出してガルーは苦笑する。
「もうじきお迎えが来て、アネさんところにいけるかと思ってたんだがな」
そうは思うが、周りには誰もいない。見渡しても人っ子ひとりとして……
いや、ひとりそこに立っていた。
「探しましたよガルー将軍」
「……お前は」
トリス・ジンク。かつてアネモネ王国の宰相を務め、そして3年前に流行病で死んだはずの男がいつの間にやら、そこに立っていた。それもやはり若い姿だった。
「トリス、なんでお前がここに。やはり、ここは死後の世界というやつなのか?」
ガルーの言葉にトリスが苦笑すし「まあ、そんなところでしょう」と口にする。
「それよりもちょうど良い頃合いでやってきましたねガルー将軍。もしかして狙ってました?」
「なんのことだ?」
ガルーは首を傾げる。トリスのいうことにガルーは全く心当たりがない。
「まあいいでしょう。ほら、さっさと行きますよ」
トリスはそう言うとガルーに背を向けて歩き出した。
「行くってどこに?」
「あの方が待ってますから」
風が舞い、空に黄金の葉が舞う。そして気が付けばガルーは別の場所にいた。その場所はマグマ溢れるどこかの火口だろうか。だが、そこには数千という数の人々が声を上げながら火口に浮かぶ岩の上で戦うふたりを応援していた。
『アネモネッ!』『デイモンッ!』『アネモネッ!』『デイモンッ!』『アネモネッ!』『デイモンッ!』『アネモネッ!』『デイモンッ!』『アネモネッ!』『デイモンッ!』『アネモネッ!』『デイモンッ!』『アネモネッ!』『デイモンッ!』『アネモネッ!』『デイモンッ!』『アネモネッ!』『デイモンッ!』『アネモネッ!』『デイモンッ!』
まるで悲鳴のような、熱狂的な声が響きわたっている。
しかし、すでに勝敗は決しているようだった。5メートルはある巨人が膝を付いているのに対し、2メートルほどの大きな人物は仁王立ちのまま、巨人に向き合っている。そしてその人物にガルーは見覚えがあった。
「どうやら終わってしまったようですね」
トリスはやれやれと肩をすくめる。戦っていたのは闘神デイモン。トリスの知識が正しければ、フィロン大陸の北部で広く奉られている闘いの神であったはずだ。
『なんという強さか。我は貴様ほどの強者を見たことがない。一体、貴様にとって戦いとは何なのだ!?』
巨人の言葉にその人物は迷わず言葉を継げた。
「我が闘争は全て性交へと通じている。そして性交の前の行いを私の母は愛撫と言った」
その言葉に闘神デイモンは笑う。
『愛武か。なるほど、闘争の修羅の中に身を置いて尚、菩薩の愛をも失わぬ武……というわけだな。ただ闘争のみに身を委ねた我では勝てぬわけよ』
デイモンは得心いったとばかりに頷き、その場で倒れた。
そして周囲から爆発するように歓声が響き渡る。その人物も勝利の雄たけびをあげる。この一年、休むことなく延々と戦い続けてきたのだ。叫び声が上がるのも無理はない。
「あれは……あれは……」
ガルーはその姿を見て、その声を聞いて目を丸くしている。
「あの方はどうやら、天へと上がった後にすぐさま最高神様に挑もうとされたらしくてですね。まあ自分に挑むのならばまずは順番に挑めと言われたらしいんですよ」
トリスの声が横から聞こえるが、だがガルーの耳には入らない。彼の目の前には、もう二度と届かないと思っていた人の姿があったのだ。他のことなど考えられるはずもない。
「そんなわけで陛下は今も神々相手に戦い続けているそうです。ヴィンジーさんなんて陛下が死んでストレスから解放されたせいか、陛下の死後一ヶ月くらいにすぐに亡くなってたでしょ。どうもずっと一緒だったらしいですよ」
トリスが続けて何かを言っているが、だが何も聞かずにガルーは走りだした。
「アネさんッ!アネさんッ!アネさんッ!アネさんッ!」
声を張り上げながらガルーは走り続ける。あの背中は間違いなかった。憧れている、心の底から愛している人に間違いなかった。いつしかガルーの瞳からは止めどもなく涙が流れ出していた。
そして、その人物はガルーの声に気付いたのだろう。その顔をガルーに向けて、こう口にした。
「来たなガルー」
そこにはアネモネが立っていた。力強い、ガルーの愛したあの頃の姿のままで立っていた。
その周囲には筋肉だるまのオーガや、古き知り合いのヴィンジー、そのほか知っていたり知らなかったりする様々な人物が並んでいたのだが、しかしガルーの目には入らなかった。
「へい、アネさんっ」
ガルーはただアネモネの姿に、アネモネの顔に、アネモネのその声に涙を流しながら返答するだけだ。
「なぜ泣く?」
「アネモネ陛下、人間は死に別れた最愛の方と再び会えた時には愛おしくて泣いてしまうものなのですよ」
いつの間にやらアネモネの横にいるトリスの言葉にアネモネは「なるほど」と頷いた。
「まあ良い。行くぞガルー。まだ我が男となるものには出会えていない。このままでは私はアラサー、アラフォーになってしまう。それでは遅いのだ!」
アネモネにその意味は分からない。だがまだジッカからなにも言われてないのであればまだなのだろうと思うだけだ。
そのアネモネの言葉にガルーは力強く「はいっ!ついて行きます!!」と答えた。
そして、黄金の野原を風が駆けていく。そこをアネモネを筆頭にして群れの仲間が歩んでいく。その先にあるのが何かはまだ分からない。だがアネモネは歩み、仲間たちは続いて行く。
そう、まだアネモネの戦いは終わらない。
アネモネの彼氏探しは終わらない。
いつか出会う彼のために、彼女は今日も、明日も、戦い続けるのだ。
本当の恋が見つかるその日まで……
〜 オーガのアネさん☆子作りしたい(//∇//) 〜 完