後編 邪神の生贄と聖女
「王太子殿下に真実を教えて自重を促すという意見もありました。でも国王陛下の現状を思えば、そのほうが危険だという結論になったのです。それに……ああいう存在は名前を呼ぶことで力を持ちますから」
隣国の王家は、かつて世界を滅ぼそうとした邪神を封印した聖女の子孫です。
ときどき王祖の聖女に匹敵する力を持つ女児が生まれます。私と叔母様がそうでした。
叔母様は、先代女王陛下の婿になりたいと望んで邪神と契約した王配に生贄とされた国王陛下を救うために婚約をしたのです。
残念ながら陛下は邪神の生贄にされるという恐怖から酒に溺れて判断力を失い、酒場女だった妃殿下に操られて叔母様と婚約破棄してしまいました。
妃殿下の後ろにいた黒幕は、たぶん王太子殿下の側近の方々のご実家です。
王女を娶ることで隣国の影響が強まるのを嫌ったのでしょう。邪神の存在を信じていらっしゃらなかったのかもしれませんね。ご子息達に注意喚起をしていなかったようですし。
「嘘だと思わず信じていらっしゃるということは……現れたのですね」
「……」
殿下は無言で頷きました。
私が待っていると、やがてぽつりぽつりと話し始めます。
「昨夜、男爵令嬢や側近達ともども父上に呼び出されて打ち明けられた。いつもの酔っ払いの戯言だと思っていたが……アイツが、アイツが現れて、煙のようだったがわかった。アイツは、アレは邪神だ。普通の人間ではとても太刀打ち出来ない、強くおぞましい……」
「二十歳で生贄になるはずだった国王陛下がご健在でいらっしゃるのは、先代女王陛下が代わりに命を捧げたからです。本来の生贄ではないため十分な力は得られませんでしたが、それでも先代女王陛下を食らったことで影を顕現させるくらいの力は得ていたのでしょう」
もっと早く現れていたら殿下も危機感を持ったでしょう。
聖女である私と心を重ねて邪神に立ち向かおうとお思いになったかもしれません。いえ、だからこそ邪神は今まで沈黙していたのでしょうね。油断している獲物のほうが狩りやすいですもの。
私が聖女であることは秘してはいませんでした。邪神という言葉を使わなかっただけで、悪しきものから殿下をお守りするとずっと申し上げていました。
「……泣いているのか? 君はまだ私を愛してくれているのか?」
なにも言えなくなって俯いた私を見て、殿下がソファから立ち上がりました。
復縁を期待して言っているのではありません。泣いている私を案じてくださっているのです。
あの方に惑わされて私を捨てたとはいえ、最初から冷たく愚かな人だったのなら婚約破棄された悲しみに涙するほど好きにはなれませんでした。
「すまない。私は……っ!」
私に触れようとして伸ばした手を、殿下は慌てて引っ込めました。
焼け爛れた指先を呆然と見つめています。
「先代女王陛下がご自身を身代わりになさっても、邪神の生贄という契約は解除されませんでした。国王陛下から王太子殿下へ先送りされただけです。……邪神の生贄の運命を持つ殿下と聖女である私は、本来は触れ合うことも出来ません」
邪神の生贄とは邪神の依り代、邪神の入れ物になる存在です。こちらの世界に生贄という出口を得ることで邪神は封印から解放されるのです。
契約が結ばれた時点で生贄は邪神とつながっています。邪神を滅しようとすれば人間である殿下の体が邪魔をし、殿下を始末しようとすれば邪神が邪魔をするのです。
だから婚約によって魂を重ねて、邪神が生贄である殿下に宿ろうとしても浄化出来るくらい殿下の魂を清めようとしていたのです。一度破棄した婚約は二度と結び直せません。形だけならともかく、魂を重ねる婚約は──
私は家族とともに隣国へ行き、聖女であり隣国の伯爵夫人でもある叔母様とともに邪神封印の準備をします。今の状態では手出しが出来なくても完全な邪神になればべつなのです。
邪神を受け入れた殿下の体は変化して人ではないものになります。
周辺国に被害が出ないよう、この国自体も封じられることでしょう。
殿下と違って前から知っていたにもかかわらず邪神など絵空事だと莫迦にしていらした妃殿下が、王太子殿下の身代わりになることはないでしょう。実際逃げ出しました。
側近の方々と逃げ出したあの方が身代わりになるはずもありません。
この状態を呼び込んだ側近方のご実家が責任を取るとも思えません。
私は……婚約を破棄される前なら、聖女としての自分の力が及ばなかったのなら、身代わりになることを望んだかもしれません。
王太子殿下を愛していましたから。
でももう婚約は破棄されてしまったのです。
「婚約破棄の翌日では遅過ぎたのです」
自分自身の指で涙を拭い、私は殿下に告げました。




