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第一話 話したい娘

    挿絵(By みてみん)


村のはずれにサトの家はある。

裏手はすぐ山で、朝になると杉の匂いやクヌギの樹液の匂いが漂う。

風が強い日は、干した大根が揺れて、軒の縄がきゅうきゅうと鳴った。


サトは明るい娘だ。少し小柄だがよく働き、よく笑い、そしてよく喋る。

丸顔のかわいい顔をしている。笑うと目が細くなり、眉尻が下がる。


「鶏って、どうして朝だけあんなに偉そうなんだろうね」

朝、餌を撒きながらひとりでそんなことを言う。

誰も聞いていなくても口が動く。沈黙が苦手なのだ。


母にはよく笑われた。

「おまえは本当に口が休まらないねえ」

「だって静かだと落ち着かないもん」

「山でひとりになったら困るよ」

「喋っていれば誰かが見つけてくれるよ」

そう言って、サトは笑ったものだ。


今は、その相手もいない。

父は遠国に行商に行き、行方知れずになってしまった。

母や祖母は亡くなって、家にはサトひとりだ。


それでもサトは、相変わらずよく喋る。

声を出していないと、家がやけに広く感じるからだ。


そんなサトには、子どもの頃から妙に気になる話があった。

祖母が冬の夜によくしてくれた「鬼刃」の話。山の昔話だ。


夜の山小屋に、知らない男が来る。

その男とは決して話をしてはいけない。

黙っていれば何もされない。

だが、こちらが口をきくと、欲しがっていたものを差し出してくる。

強い斧、切れる刃、ザクザクと薙ぎ払える鉈。

そして、それをもらった者は、やがて山の中に消える。


「なんで喋っちゃだめなの」

幼いサトが聞くと、祖母は火を見ながら答えた。


「その男は、人の口が開くのを待ってるからさ」

「待つ?」

「沈黙がつらい人間は、つい何か言いたくなるだろ。そこへ入り込んで来るんだよ」


その言葉だけは、なぜか大人になっても残っていた。


 


夜の雨が上がって、サトは朝から山道を歩いていた。

村の炭焼き小屋に味噌を届ける役目だ。

春先で、道ばたにはまだ小さなふきのとうが出たばかり。湿った土の匂いがする。


途中で、薪を背負ったケイに会った。

「お、サト」

「お、じゃないよ。そんなに背負って転ばないの」

「転ばないよ。俺は足腰が強いから」

「足腰だけはね」

「失礼だなあ」

ケイは笑った。片頬にだけえくぼができる笑い方をする。


少し先の道で、年上の娘たちが二人、立ち話をしていた。

ケイを見ると、にやにやと顔を見合わせる。


「あら、ケイ。また山?」

「今日は子供のお相手?」

「美味しいキノコでも見つけたら、今度は私たちにも分けてよ」


からかうような言い方だった。

ケイは困ったように笑う。

「そんな簡単に分けられるなら苦労しないよ」


娘たちはくすくす笑って、さらに何か言いかけた。

サトはその様子を横で見ていたが、口をはさまず、少しだけ距離を取った。


自分は、ああいうふうに言えない。

ああいうふうに笑えない。

まだ子どもっぽいし、あんなふうに人の気を引くこともできない。


ケイは一度だけサトの方を見たが、そのまま娘たちに軽く手を振って、歩き出した。

「行くよ、サト」

「うん」


並んで歩く。


「気にするなよ」

「何を?」

「さっきの」

「気にしてないよ」

サトはすぐに答えた。うわずった。

ケイはそれ以上は言わずに、うつむきがちに歩いた。


 

しばらく歩いて、サトの足がもつれた。

味噌の入った桶が揺れる。


ケイが手を伸ばして、さっと支えた。

「重いだろ」

「大丈夫」

「貸せよ」

「いいってば」

そう言いながら、ケイが桶を持ってしまった。


サトは少しだけむっとしたが、何も言わなかった。

助けてもらっているのに、素直に喜べない。

それが少し悔しかった。

「ありがとう...」

「どういたしまして」

ケイは優しく答えた。

それだけのことなのに、サトの胸に少し残った。



「今日はどこまで行くの」

「裏山の小屋まで。ソウジ爺と二人だ」

「裏山? あんまり人が入らない方の?」

「そう。あっちの木は硬いんだよ。でも、まっすぐでいい木があるんだ」

「山の神が人嫌いだって云う?」

「そうそう。会ったら謝っとくよ」

「気楽だなあ」

サトが笑うと、ケイも笑った。


「じゃあ帰ったら土産話してやるよ」

「イタチや蛇の話じゃなくて、ちゃんと面白い話にして」

「じゃあ、山の神が実は酒好きだったってことにする」

「勝手に決めないでよ」


そんなふうに笑いながら別れた。




昼過ぎ、村へ戻ると、ソウジがいた。

古い斧を何本も並べて、軒先で刃を見ている。

ソウジは年老いたきこりだが、しゃんとしていた。

背は少し曲がっているものの、目が生き生きしていて、口調はゆったりと耳心地が良い。

村の子どもたちには、面白い話をしてくれる爺さまと好かれていた。


「爺さま、今日は裏山なんでしょ」

「そうじゃ。若いのが張り切っとるから、年寄りは見張り役だ」

「ケイは真面目に頑張ってるんだから!」


ソウジはニヤニヤした。

「おまえ、あれに気があるのか」

「ないよ」

「そうか。あやつは飯はたくさん食うぞ」

「そういう話じゃないって」

サトがむっとすると、ソウジは愉快そうに笑った。

笑ってから、ふっと真顔になる。


「ただ、裏山は気をつけんといかんなぁ」

「熊?」

「熊ならまだ分かりやすい。山にはもっと面倒なもんもおる」


鬼刃(おにば)とか?」

サトが半分冗談で言うと、ソウジは少しだけ目を細めた。


「祖母さまの話を憶えとるか」

「憶えてるよ。喋るとだめなんでしょ」

「そういう話は、面白がって聞く分にはいい。だが、山では思い出すなよ」

それだけ言って、ソウジはまた斧の刃に目を戻した。


 

サトは帰り道、ソウジとの話が少し気になった。

でも、空は明るいし、村ではいつものように子どもが走り回っている。

夕方には味噌汁の匂いが、あちこちの家から流れて来る。

怖い話など、遠い昔話に思えた。


 


その夜、サトは寝る前にふと思い出して、ひとりで笑った。

「ケイ、ほんとに山の神に謝ってそう」


それから、少しだけ間を置いて、

「ケイって、面白い...」

と、ボソッとつぶやいた。


 

そのときは、まだその程度に思っていた...

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