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私がそれを望むから  作者: 未鳴 漣
第三章「白昼の悪夢」
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10‐2 ババアのワガママ

 カシュニー独特の雨がちな空も薄曇りの晴天となることが増え、いよいよクラーナ入りが近い。


 細い街道を抜ける途中、御者台に座るケイとジーノの間にエースが身を乗り出して進行を制した。


「魔物がいます。止まって」


 前を行くセナが疑り深い顔で振り返る。少年の不満そうな態度に見向きもせず、エースは台を乗り越えて馬の前に降り立った。彼は驚いてたじろぐ馬たちをなだめ、前方を睨む。


 やや時間を置いて、近づいてきた敵意にセナも目つきを鋭くした。うっすらと漂ってくる腐臭に鼻を曲げ、馬から下りていつでも魔法が使えるよう備える。


 一気に緊張が高まるが、敵の気配は五十メートルほど先にて動きを止めた。魔物は人間を認めるや否や、己の不利も顧慮せず襲いかかってくる猛進的な存在だ。それが獲物と敵対しながらも二の足を踏むとは、奇妙な状況だった。魔物除けのお守りを持っているとはいえ、手のひらに収まる大きさの黒泥石では、せいぜい周囲三メートルを牽制するくらいの効果しかないはずなのに。


 不審に思いつつ、腰から剣を抜いたエースが重心を低く構える。


「何だか様子がおかしい……」


「フンッ、向こうが来ないならこっちから行くまでだ。無視してほかの行人に被害が出たら困る」


「俺が露払いを務めます。騎士様は魔法で始末を」


「分かった」


 駆け出したエースは気配の位置に視線を巡らせて茂みの中を剣で突き、隠れていた一匹を切り上げた。離れたところからセナが魔法を放ち、空中で灰も残さず焼き尽くす。


 魔物はエースが忌避範囲から出てきた途端に襲いかかった。しかしエースは飛び込んでくる獣のなれ果てを危なげなく避け、次々と切り捨てていく。彼の動きには迷いも無駄もなく、その軌跡を追ってセナの炎が立ち上り、まるで流麗たる舞踏の一幕を見ているようであった。やがて殲滅の舞は終わり、魔物の気配が消え去ったと同時にエースは剣を鞘に収めた。


 セナは戻ってきた彼に口笛を吹いて賞賛を表す。一方で、その身ごなしから師範であるケイの腕前を推し量り、苦い顔をした。二人そろって反抗されたら、セナとロカルシュだけで押さえ込むのは難しい。よもやの場合に備えて、相棒とは事前に役割を決めておいた方がよさそうだ。


 行動を共にするとは言え、信用はしない。セナはわざの師弟と火力の妹をギラギラとした視線で見やり、口を険しく引き結んで馬の背に乗った。そんな彼の頭上を鳥の影が走る。


 空を見上げると、一羽の鷹が音もなく降りてくるところだった。ケイの陪臣、ホークである。ケイは魔法で籠手を編み、彼を腕に止まらせた。足に括り付けられた筒のふたを開け、納められていた返信を読む。


「小騎士殿、悪いがクラーナへ入ってすぐの港町に寄ってもらえるかな。そこで東ノ国の御仁と落ち合うことになった」


「アン? 何の用事だ」


「魔術の助言を賜りたいのと、彼の国に伝わる異界の口碑を少しばかりでもお聞かせいただければと思っている」


「その話、まだ諦めてなかったのかよ。というか、何で異界に関する言い伝えが東ノ国にあるんだ? 聖域はこの大陸だけにしかねえってのに」


「さてね。こちらが求める情報を得られる確証はないが、魔法院の連中よりは当てになりそうなんだ」


「どうせババアが与太飛ばされたんだろ」


「〈巫女〉の身分にある方が冗談でそんな嘘をつくとは思えん」


「……しかも相手は使節様かよ」


 セナの機嫌が急降下する。観光客ならまだしも、外国から使わされた公人を無視するわけにはいかない。こちらから引き止めたとなれば、なおさらだ。


 寄り道が増えてげっそりするセナに、馬車の後ろからロカルシュが声をかける。


「ついでにその港町で魔女さんたちの服も買ったら~? 私とセナは仕事柄あちこち行くから地方に合わせた制服を持ってるけどぉ、クラーナだと今の格好じゃ茹だっちゃうんじゃなーい?」


 ソラと兄妹が着ているのはペンカーデルでの生活に適した耐寒仕様の服だ。だいぶ南下してきたせいもあって、最近は熱がこもりがちになっていた。ソラは高温高湿の夏に慣れているので耐えられるかもしれないが、北方出身のエースとジーノには堪えそうである。


「でも、私たちにそんなお金はないし」


 ソラがエースを見て表情を曇らせる。その暗澹をケイが壮快に払いのけた。


「そこでババアの出番だ!」


「ババアって、先生……」


「私が買ってやろうじゃないか。なぁに、気にすることはない。財は持て余しているのでな!」


 ケイは孫に物を買い与える祖母の顔になっていた。肩をウキウキさせる彼女にソラが上半身を引いて首を振る。


「……私はさすがに悪いですよ」


 相手がエースとジーノだけならソラも遠慮しないよう言うところだが、そこに自分も含まれるとなると話は別だ。援護を求めて兄妹に目をやると、二人は達観の眼差しで遠くを見つめていた。


「ソラ様。一度決めた師匠はこっちが頷くまで絶対に諦めません」


「お兄様の言うとおりです。早々に観念した方が面倒にならなくて済みます」


「アッハッハ! 面倒とは失礼だぞ、ジーノ」


「すみません、つい本当のことを言ってしまいました」


「お前はそういうとこあるよなぁ」


 ケイは扱いを心得ている二人に破顔一笑した。こうなるとソラも申し出を受けるしかない。


 馬たちが歩みを再開し、車輪をガラガラと回して街道を進んでいく。

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