10‐1「錆びた鉄」
もしもフランが生きていたとしたら、ソラの逃亡劇は彼の邸宅を訪れた時点で終わりを迎えていた。恨みにとりつかれた男の恐るべき執念が明らかとなった日から三日が経過した。
ノーラの執務室で倒れたソラもどうにか元気を取り戻し、セナとロカルシュを伴いカシュニーを離れる朝がやってきた。ソルテから今まで旅を助けてくれた馬たちは新たに、幌つきの小さな荷車を引く任を与えられた。騎士の二人はそれぞれの愛馬を駆り、ソラたちはケイを加えた四名で馬車に乗り込むことになっている。
エースとジーノが旅の道具を積み込んでいくと、当たり前に荷台のスペースは狭くなっていった。荷を全て載せたあと、幌の下で座れるのはせいぜい二人がいいところだ。はみ出る人間は御者台に座ってもらうしかなくなる。
杖をついて手持ちぶさたなソラはベールの裾をわずかに持ち上げ、前方で馬をいたわるセナに尋ねた。
「これから向かう先ですけど、騎士様たちは私を王都に連れていきたいんですよね?」
「そうだ。お前らのわがままを聞いてやった結果、クラーナを経由することにはなったが……」
「当然さ。王都行きは例の二人を追跡するついでなんだ」
横からひょっこりと顔を出したケイが冗談めかして付け加えた。
「バカ言うんじゃねえ、そっちがついでだろ。テメェの要求が通ったからって勘違いすんなよ」
「ハァ……、小騎士殿はドがつく真面目でいけない。キミは本当にフィナンの部下なのかね」
「アンタが隊長の知り合いじゃなきゃ、こんな大回りをすることもなかったのによォ。無駄に顔が広いババアだぜ、腹が立つ」
「アッハッハ、悔しいなら小騎士殿も少しは愛想良く振る舞いたまえよ。人脈や人望は購える代物ではないのだから」
「……、さっさと支度しろ」
ぐうの寝も出ないセナは吐き捨てるように言い、ケイは生意気な子供に肩をすくめてエースたちの手伝いに戻った。ソラは南東方向を見つめ、暗雲が立ちこめる行き先に不安を募らせる。
碩都の襲撃後に宿借りの標的となった村では、少年が一人だけ生き残った。宿借りが彼に対して「魔女」と騙ったのは三日前にロカルシュが言ったとおりだ。また、少年の証言により宿借り二名は南方の大都市クラーナへ向かうものと判明した。
当初、セナは宿借りの追跡など考えておらず、ソラを連れて王都へ直行するつもりであった。そこに厚かましくも意見をねじ込んだのがケイだった。彼女はセナの上司と面識があるのをいいことに、命を助けた過去がどうのこうのと粘って、宿借りを追跡させろと説き伏せたのだった。
こうして商都クラーナへ到着するまでの間に限り、ソラとケイは宿借りを追う許しを得た。期限内に確保できなければ以降の追跡は断念し、ソラは予定通り大陸中央の王都へ向かう段取りである。
荷積みが終わり、ケイが急にそわそわとし始めた。首を長くして通りの隅々まで見渡し、誰かを待っている。それからあまり時間を置かずにノーラが見送りにやってきた。
彼女はケイに小さな木箱を差し出した。
「約束の品。純粋で癖のない玻璃石を用意したわ」
「指輪部分は白金か?」
ふたを取って中身を改め、ケイが聞く。
「合金ものだけど、品質は確かよ」
「うむ、うむ。期待以上の代物だ。無理を言って悪かったな」
「何を今更」
悪戯が成功した子供のような表情を浮かべ、ノーラはケイの肩を叩いて送り出した。
エースが御者役として乗り込み、隣にケイが座る。ソラはジーノに手伝ってもらい、荷台に乗った。最後にノーラを振り向き、挨拶を交わす。
「博士、お世話になりました」
「……道中、気をつけて」
言葉は短く、互いに表情は硬く。楽しい旅路ではないのだから、別れの空気は相応に重かった。
かくて六名と一羽は碩学の都を発った。東門を通り過ぎ、車軸の回る音が森の中へ消えていく。
木々のトンネルを人気がないところまで来て、御者台のケイが後ろを向いた。
「ソラ、キミに渡すものがある。受け取ってくれ」
「私ですか?」
ソラはケイが差し出した小箱を手に取り、ふたを開けた。
「ノーラに用意してもらった魔鉱石だ。キミは宿借りの上位魔法に対抗できる唯一の人間なのだし、今日からこれで魔法の練習を始めるぞ」
箱の中には指輪がひとつ、紐でクッションの上に固定されている。ソラは結び目を解き、それをつまみ上げてしげしげと眺めた。
艶を消した白銀の環に無色透明の鉱物が輝く。石は小指の爪よりやや小さい偏球状で、華奢な爪で中抜きの石座に固定されている。正面と裏のどちらからでも石の向こう側が透けて見え、傷や曇りもない清水のような透明度を持っていた。
「綺麗ですね」
「ノーラには極力不純物を含まない玻璃石をと頼んだが、私も正直ここまでの物を用意してくるとは思わなんだ」
「もしかして一級品だったりします?」
「魔鉱石はその純度が高いほど、魔法を出力する際の魔力浪費が少なくて済む特徴がある。また、一度に流し込める魔力量は石の硬度に比例して多くなることは知っているかな?」
「はい。エースくんの記憶にありました」
「硬度指数が七である玻璃石は使い手を選ばない標準的な魔鉱石として一般に多く流通している。キミはその中でも最高品質の石を貰い受けたことになるね」
「……」
石英といえど、値段はピンからキリまである。ソラの中にあるエースから接いだ感覚が言うに、ヤバいくらい高価なヤツ。心拍が次第に大きくなって、ソラはすぐにでも指輪を箱の中に返したい気持ちだった。
向かいのジーノが自分の杖を腰から抜いて言う。
「ひょっとすると、私のものよりも価値があるものかもしれませんよ」
「え、っと。ジーノちゃんは何の石を使ってるのかな?」
「これは亡くなった両親から受け継いだもので、金剛石だと聞いております」
「つまりダイヤモンドだ」
「ダッ、イ……!? お、おぅ。マジですか……」
一等の宝石より値が張るとなれば、なおさら箱に戻しておくべきだ。環を紐で結び直そうとするソラの手をケイが止め、「こらこら、片づけてどうする」。ソラの左手に無理やり指輪を通す。
「魔法院の次期元老を助けた礼としては相応だよ。遠慮するな」
「いやいやいや。実際に助けたのは先生でしょう」
「なら、私が受け取った治療報酬をキミに譲るということで。自慢じゃないが私には後援者が多くてね、金には困ってないんだ」
「……左様でございますか」
人差し指に光るそれは軽いようで重い。せめて見せびらかさないようにと、ソラは石を内側に向けた。
「ところで先生、魔法の練習とのことですけど、光陰どちらの魔法を?」
「私としてはどちらもと言いたいが」
ケイは渋い顔のジーノをちらと見て、
「ジーノに心配をかけるわけにはいかないな。小騎士殿にも怒られそうだ」
「では、光の方ですね」
「そうなる。属性の使い分けは理解しているか?」
「何となくですが、エースくんが魔法を使うときの感覚を私も覚えているので。たぶん大丈夫だと思います」
言いながらソラは左の手のひらを上向け、魔法を形にしようと試みる。
体を巡る光の魔力は細い川のようにさらさらと流れていた。清らかなせせらぎに指先から沈めて、椀の形にした手で水を静々と汲み上げる。窪みに湛えたそれこそが「魔力」だ。ソラはもらい受けた魔鉱石を介して、生まれ出ずる活力を望むものに変貌させる。
清水を求めればそれは手のひらから溢れ、曇りなき氷を想像したならば冷気を纏って氷結した。ソラは最後にそれを煌々と燃やし、手を握ると同時にかき消す。
たったそれだけのことだったが、魔法の実演を終えた彼女の顔には疲労の汗が浮かんでいた。
「やっぱり頭で分かってるだけじゃダメですね。繰り返して慣れていかないと、魔力を掴んでから魔法に変換するまで時間がかかりすぎて使い物になりません。いやぁ、これ結構しんどい……」
「エースの感覚が基礎にあるおかげか、筋は悪くないぞ」
「本当ですか?」
「私の父はついぞ魔法を扱えなかったからな。初手でこれだけ形にできるのなら、いずれ防御魔法も使えるようになるだろう」
「へ、へぇ~! 何かモチベーション上がってきました。私、頑張りますね!」
ソラは表情を明るくして意気込む。これから森の中を行く数日の間、彼女は体内の魔力を関知し、魔鉱石に集約する基礎的な訓練を積むことになった。とはいえ、能力は何事も平均やや下止まりのソラである。宿借りに追いつくまでの短期間で魔法を使いこなせる自信はなかった。
それでも、やらないという選択肢はない。今は一分一秒でも長く魔力に触れ、愚直に魔法への理解を深めるのみだった。
ところが今回はソラの心配もよそに、彼女の魔力操作は日毎にみるみる上達していった。これはやはりエースの技術を下地にしているのが大きい。少量の魔力をやりくりして魔法へ変換する彼の技は、実に巧妙で効率的だった。
ソラは朝から晩までエースの経験を丹念になぞり続け、周囲の景色が森林から低木中心の原に移り変わる頃にコツを掴んだ。魔力を練る時間は大幅に縮小され、思い描いた魔法を意のままに形成し、空中で操るまでに成長したのだった。




