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私がそれを望むから  作者: 未鳴 漣
第三章「白昼の悪夢」
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9‐14 ロクでもない女

 閉じていた手のひらを眼下に開き、ソラは掴めなかったナナシの手を思い出す。あのとき――恐怖を振り切って追い縋り、両手で掴んだ彼の手を意地でも離さなかったなら、違う今があったかもしれない。


 ソラ自身も一歩踏み込むべきだったのに、道を分かつ決断を彼一人に託したのはあまりに無責任だった。間違えてしまった選択が早くも重くのしかかってくる。


 気を落とすソラの斜向かいでロカルシュが控えめに口を開いた。


「魔女さん……。そのことなんだけど、たぶんお医者先生の予感が当たってる」


「どういうことですか」


「さっきね、報告が入ったの。魔女を名乗る二人組が村を襲ったって」


 ソラが全身を凍らせた。


「生き残った子の話を聞くに、手配書で顔がバレたから姿を変える魔法を使ったとか言ったらしいんだよね。だから今は宿借りの二人組が〈魔女〉ってことになってる」


「それはまずいな。あの二人は実際に陰の魔力を持たないのだから、捕まったとしても姿を真似られたと言えば簡単に潔白が証明できてしまう。そして……」


「魔女の証を持つ私が彼らの罪を被ることになる」


 ソラは最悪の未来を口にし、ずっとほったらかしにしていた茶をグイと飲み干す。


 味はしない。


 冷めていたか、まだ熱かったか、何も分からない。


 目に映る茶器の曲線につられて、我を失った唇が弧を描く。その表情にあわせて喉が鳴り、ソラは二、三回と低く笑った。


 引き攣れた声は吐き出した息とともに消え、


「あーあ……、せっかく小騎士様の誤解が解けたのに」


 指先から生気と一緒に力が抜けていって、茶器を持つ手が緩む。ソラは器の落下をスローモーションで捉え、バラバラに割れてしまったそれに自分の死に様を重ねた。


 何も成せず、穴の底で墜落死とは、かわいそうに。


 彼女はよそよそしい手つきで散らばった四肢をかき集めた。


 とがった骨――実際には磁器の破片が指に突き刺さる。


「痛っ……」


「ソラ様! 大丈夫ですか!?」


 ジーノが手を取り上げ横からケイが首を伸ばした。


「どれ、見せてみなさい」


 指に医療用の魔鉱石を通して傷を治療しようとするが、いくら魔力を送り込んでもソラの傷は治癒しなかった。むずむずとする指の表面で膨らんでいく血液。それがこぼれ落ちそうになったところで、ケイはハンカチを取り出して傷口を圧迫止血した。


「そうか。考えてみれば簡単なことだ。ソラと私たちでは持っている魔力が異なる。しかもこちらは下位の四属なのだから、上位の二属を持つキミを治療できるわけがないんだ」


「いやまぁ、別に。こんなのそのうち治りますし、気にしないでもいいですよ」


 そう言った本人であるが、まるで貧血でも起こしたように上半身が揺れた。彼女は徐々に顔を青くしてソファのへりに倒れた。エースが受け止めてくれたおかげで頭からひっくり返ることは避けられたものの、血相は最悪である。


「ごめん、エースくん。ちょっと、めまいがして……」


「あんな話のあとです、無理もありませんよ」


「ノーラ、どこか休めるところはないか?」


「この子の場合、人目に付かない方がいいわね」


 ノーラは入り口とは別のドアを開け、エースとケイを手招きした。


「私が仮眠室代わりに使ってる部屋よ。外への扉はいつも鍵をかけているし、誰かが入ってくることもないわ」


「ソラ様はそのまま楽にしててください」


 エースがソラを抱えて部屋へ運ぶ。カーテンを閉めてやや薄暗い室内は資料室も兼ねているらしく、立ち並ぶ棚いっぱいに本が押し込められていた。隅に質素なシングルベッドが寂しげに置いてあり、そこへソラを寝かせる。


「落ち着くまで使って。焦らないでいいから」


「ありがとう……ございます……」


 息も絶え絶えに礼を返すソラに、ノーラは不機嫌そうに口を引き結んで執務室へ戻った。彼女はジーノに水を持ってくるよう頼んでいるケイの腕を乱暴に引っ張り、ジーノを置いてけぼりに二人で外へ出た。


「獣使いの坊や、この扉に鍵をかけて私たちが戻るまで開けないように」


「お願い~の一言もないのは気に入らないけど、魔女さんのためだし聞いてあげるぅー」


 中で錠を下ろした音を聞いてからノーラは部屋を離れた。十分に距離を取ったところでケイを振り返る。


「どういうつもり?」


「どうとは?」


「おじ様のことよ!」


「ソラには打ち明けておくべきだろう? ちょうどいい頃合いだったと思ったんだ」


「こっちにとっては最悪よ!」


 ついに胸ぐらを掴んで詰め寄ってきた彼女に、ケイは両手を上げて降参のポーズを取る。


「貴方、私の性格を分かってて言ったでしょう!? ここで白状する必要なんてどこにもない……」


 ケイの父親は既に没している。先述の通り、彼に行き過ぎた憧憬を抱くノーラは記憶の中で生きるその人に失望されたくなかった。


 ケイの父親は誰にも分け隔てなく、損得も考えずに善を成す人物だった。たぐいまれな魔術の技で苦しむ人々を救い、見返りを求めない。この地(カシュニー)において獣使いとして生まれた我が子を、卑屈に暮れないよう育てた偉大なる人だ。その生き方には思慕さえ覚えたこともある。


 彼の後ろ姿を追いかけたいと思いながらも、ノーラの人生は汚点まみれだった。田舎の小娘は魔法院でのし上がるために何でもした。名家の後援を得ようと望まぬ男と結婚し、当てが外れたとなれば「夫に騙されていた」と被害者を演じて、ふてぶてしく古巣に復帰した。


 異界人に対する院の非道も、見て見ぬ振りをしてきた。もしも宿借りによる襲撃がなく、ケイも居合わせることがなければ、ノーラは自分を訪ねてきたソラたちを躊躇なく捕縛しただろう。今のこの状況はまさに奇跡だった。


 そこでノーラはケイの意図に気づき、掴んでいた胸ぐらから手を離す。


「そういうこと。だからわざわざ、私がいる前で」


「理解してもらえたようで何よりだ」


 ケイはホッと息をついて襟を直した。彼女は己の悪辣を自覚した上で慈愛あふれる笑みを浮かべる。


 ついぞ交わる道を行けなかったノーラの、決して忘れえぬ一人の男。その面影むすめが挽回の行動を強いる。「思い出」に言い訳したいのなら、「今」目の前にいる人間を救え、と。


「貴方って本当にロクでもないわ」


「何せお前の親友だからな。それでどうする」


「パッと思いつくのは、魔女を騙った連中の言い分を利用する策ね」


「ほう?」


「魔女は自分の正体を隠すため、得体の知れない魔法でソラって子の姿を借りてなりすましていた。お付きの兄妹共々、情報は信憑性に欠けることを元老に進言するわ。時間稼ぎにしかならないけれど、当座はしのげるでしょ」


「氷都の面目を潰すことになるが?」


「どうでもいいわね。場末でくすぶってる老僕ごとき、キャンキャン吠えてるのがお似合いよ」


「頼もしいついでに、もうひとつ頼まれてくれ。ずぶの素人にも扱える癖のない魔鉱石を用意してほしい」


「どうしてそんな物を……いえ、あの子(ソラ)に魔法を使わせる気なのね。仕方ないから引き受けてあげる」


 図々しいのもここまでくると天晴れで、ノーラは二つ返事で了承した。


「恩に着る。ひとつ借りを作ってしまったな」


「ハァ? 貴方ついに脳味噌まで筋肉になったの? ふたつでしょ。しっかり返しなさいよね」


「分かっているさ、我が友よ。ありがとう」


「まったく、調子いいんだから……」


 仰々しくお辞儀をしたケイの足をノーラが踏みつけ、二人は並んで執務室へと戻った。

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