76 Sランクの冒険者ここに散る
さて、あの戦場と化したデビュタントから二週間。
フルールとリリックは公爵家の馬車で王宮へ向かっている。
二週間前とまったく同じ装いで。
馬車にはハンナも同乗している。
なぜハンナが同乗しているかはさておき、デビュタント用に誂えた衣装を着ているという点から御分かりのように、本日王宮ではデビュタントが開催される。
そう、あの戦場で散った者たちの意を酌んで。
か、どうかは定かでないがデビュタントのやり直しが決定した。そのためにあの日、あの時間、あの場所にいた者はリリックとフルールと同じように王宮を目指していることだろう。十日前に届いた招待状を手に、その招待状の数が本来より二通少ないことは知らずに。
「リリック様、今度こそダンスをしましょうね!」
隣に座る笑顔のフルールをみながら、体が強張るリリック。
あの日の帰り「ダンスができなくて残念でしたね……」と溢したフルールの口調からは、心底ガッカリした様子が窺われ、それを聞いたリリックは王太子に願い出た。せめてダンスだけでもさせてもらうことはできないだろうかと。デビュタントを仕切り直せとはいわないからどうか、と頭を下げた。
だが、それが実現するとなると及び腰になる。フルールとのダンスは拷問に近いのだ。
やり直しを国王に直訴してくれたのは王太子フレデリック。ただでさえ真面目で責任感の強いとされる王太子だ、リリックに言われる間でもなく真っ先に国王に掛け合ってくれていた。
一言の冗談で血まみれの負傷兵が現れるとは思わなかったフレデリックは、あの一件で、時と場合と人をみて言葉を選ばないと大惨事に見舞われることを学んだ。
「あなた、今回は無事に終わるといいわね……」
「ああ……」
先のデビュタントで、疲弊でクタクタになりながらも、やっとの思いで家に帰り着いたナート夫妻。正直、今日の参加は見送りたかった。地方の下位貴族などは財政難のため子どもだけを送り出すこともある。中央でも特に家族の同伴は強制ではない。ないが、中央ではあまり見かけない。更には公爵家で仕立ててもらったドレスを着て娘が参加するのだ、そこに両親が揃わないのは不義理も良いところだ。
こんな事ならば早くにこちらで用意してしまえばよかったとは今更もいいところで、では、あの時すでにドレスが仕上がっていたとして、公爵夫人の申し出を断る事ができたかと言えばそうではない。何と言っても気の弱い伯爵のことだ、無理だっただろう。
なるべくしてフルールのドレスは作られたのだ、諦めるしかあるまい。
そうこうしているうちに最後の入場も終わり、ダンスまでに余白をもたせ暫しの歓談となったその時、またフルールに近づく影があった。今度は同時に二体。
「あなた!」
伯爵夫人の顔がサッと青くなったのは仕方ない。ステラドとビアンカがフルールの前に立ったのだ。
「まさか今日はあのご令嬢を相手にするのか……」
アリーとセリーナに絡まれたのは記憶に新しい。
顔が死んでいく伯爵夫妻。
さらにエーデル公爵が動いた。それが何を意味するのか分からないが、公爵もフルールの方へ進み出た。公爵が娘に寄ったのだから親である伯爵も出ないわけにはいかない。
しかしなんと正直な体なことよ。
嫌々ながらに出す歩はままならないのか、ぎこちなく重そうだ。……ほぼ進んでいない。
ん? この匂いは……身体強化液! Sランクのお姉さまたちだわ。
「見て、ステラド様とビアンカ様よ」
そう、確かそんな名前だったわ。
フルールは嗅いだことのある匂いに反応した。
リリックとフルールの前に進み出たSランクふたりは「申し上げてもよろしいでしょうか」とリリックの許可を取った上で祝いを述べた。
「エーデル公爵家ご子息リリック様におかれましては、此度のご婚約、誠におめでとうございます。心よりお祝い申し上げます」
ステラドが口を開けばビアンカも淑女の礼を取り口上を述べる。
「エーデル公爵家子息リリック殿に申し上げます。この度のご婚約心よりお祝い申し上げます。幾久しき繁栄がお二人に降り注ぎますように。つきましてはお隣のナート伯爵家令嬢フルール様へのご挨拶の許可を頂けますでしょうか」
フルールの前に出て身を挺して盾になっていたリリックは驚く。あんなに付きまとっていたふたりが、名ではなく家名を指し、それ相当の距離を踏んで挨拶をしたのははじめてだ。
「フルール・ナートと申します。お祝いのお言葉ありがとうございます」
先手必勝とばかりに、またしてもフルールはリリックへの会話をぶんどった。
訳のわからない話題に巻き込まれるのは二度とごめんだわ。ここはサックと挨拶して終わらせるのがいいわよね。ハンナも余計なことを言って会話を広げるなと言っていたもの。
なんとなく合っているようで、合っていない解釈はフルールの十八番だが、ハンナは多分、会話するときもリリックの指示に従えと言いたかったのではなかろうか。
リリック殿の許可を待たんか!
そこに心の中で突っ込んだのはナート伯爵。
頼むから学習してくれ……。
前回同様の流れに汗が止まらない。
伯爵夫人はすでに足元がおぼつかなくなっている。
「ステラド・イリツヤと申します。イリツヤ侯爵家の次女でございます。今後もお会いすることがあるとおもいます。お見知りおきください」
「ハイドン侯爵家が娘、ビアンカ・ハイドンでございます。どうぞよろしくお願いいたします」
「重ね重ねご丁寧なあいさつありがとうございます。何も持たぬ身ゆえ、どうかご指導のほどよろしくお願いいたします」
フルールも畏まって礼をした。
「イリツヤ侯爵令嬢、ハイドン侯爵令嬢、我が息子の婚約者に礼を尽くしてくれたこと感謝する。本人も口にした通り、まだ淑女としては足りないものが多くある。しかしリリックの婚約者はフルールだけだ。そなたたちが手本となってくれるなら心強い。これからも良き手本となってくれ」
会場は水を打ったように静まり返る。
たとえ足りないものが多くとも、公爵家が望むのはフルールただひとりだと言ったのだ。広い世界の中でこのフルールだけだと。
ああ、あの今更はここに掛かるのね。
ステラドは少し前に公爵に詰め寄った事を思い出した。
あの時言っていた「今更」とは意思が揺るがないことを指していたのね。固まった意思が「今更」変わることはないと。何を言っても変わらないと。それはリリック様の意思がこの子にあるって事だったようだわ。だから公爵様も関与しないと……そういう事なのね。
自分たちがフルールに進み出た途端、警戒を表し身を挺したリリックはまさに姫を守る騎士そのものだった。
ビアンカもステラドもここまでハッキリ言われてしまえば引き下がるしかない。
様子見がてら、少しからかってやろうという気持ちがなかったわけでもない。だが、先日の不発に終わったデビュタントで、セリーナにいいように動かされていたのかも知れない、なにかがおかしい、とも感じていた。
ここが潮時なのかもしれない。
ここまで言われてなお食らいつくのは女としての矜持にも反する。
いい機会をもらったと下がるのが賢明だ。
ラスボスが最前線で火を噴いたのだ。
二人はススっと身をかがめ、公爵に一礼して下がった。
それを見た伯爵夫妻は息を吹き返した。
公爵と言う名のラスボスが噴いた火は、まだ幼さの残る淑女ふたりの慢心や傲慢を焼いただけで、負傷者は一人も出なかった。
緊迫した空気が消えたと感じた指揮者はタクトを軽やかに振った。




