21 ナート家の総意は慈悲をもらう
「フルール様。わたくしはハンナではございませんがお答えいたします。その通りあの方はあなたの婚約者のリリック様でございます」
「まあ!」
まあ! はこちらです! と本日のお付きこそ声を上げたかった。
今日フルールの面倒を見てくれているのは、フルールの母の実家が寄越してくれた侍女で、ハンナの妹クララだ。
あのスケッチブックを葬りたいナート家はもうフルールを演習場へはやれないと考えていた。
しかし、そこで頷くフルールではない。
フルールの性格を思い知っている面々は、ここで無理にやめさせて事態が拗れるよりは、フルールの行動を監視したほうが良いと判断した。
領地にいたころ、領民を巻き込んだ誕生日パーティのようになる事だけは避けたかった。
目的の為ならば度肝を抜くような事をする娘だ。
なんとしても婚姻までは隠し切る!
婚姻時に『返品不可』の条件を設ける事を、ナート伯爵家の総意とした。
そう、ナート家はフルールの所業を隠し切る事にしたのだ。
今こちらから証して良くない噂が流れ出すよりも、もし噂になるのであれば嫁いだ先でお願いします、というスタンスだ。公爵家が後ろにいれば表立って噂をすることは憚られる。幸いにも公爵が自らフルールを望んだと公言している。これもあの時夫人が言った、公爵家の権力のひとつなのだろう。
最も大事なことを隠して嫁がせるなんて卑怯な手段だと思うが、貴族の結婚は大なり小なり下心を含むものだ。
娘たちを守るためにはと、伯爵は罪悪感で胃を痛めながらも自分を納得させた。
フルールは眼鏡をかけていたので素顔は見られていない。事実、不気味な眼鏡令嬢と呼ばれているのをハンナは聞いたことがある。
素顔のままいたのはハンナだが、ハンナはハンナでつばの広い帽子で日除けをしていたのでどうやらリリックからは確認できていない様子だった。
実際伯爵家で顔を合わせても特に気にする様子はなかった。もっともあの瓶底のような眼鏡に目がいってしまいハンナの事など誰も見ていなかったであろう。
元より若い騎士たちがお付きの年老いた侍女に目をくれるはずもない。
問題が出るとすれば演習場の出入り口をチェックしている門番だが、たぶんあれは事務方だろう。
こちらはフルールの素顔しか見ていない上に、文官と武官の交流は多くないと聞く。
──点と点は繋がっていない。
つまりは、誰にもフルールと眼鏡令嬢が同一人物だと気づかれていないと言うことだ。
なんとかなるだろうとハンナは考えた。
ハンナの予測が外れたのは騎士がちゃんと周りを見ていて、ハンナの事も把握していた事だが、把握していたのは背格好だけでやはり顔までは認識していなかった。
そしてあの強風の中、やり取りを聞かれていたとは思わなかったが、それが少なからず功を奏していた。
どうやら天は伯爵家に慈悲をかけてくれたようだ。
「あ、そうだったわ。ごめんなさいクララ」
姉のハンナから聞いていたとは言え、本当に体しか見ていないフルールにクララは仰天した。
自分の婚約者がわからないとは何事でしょうか。




