19 草取りにうっとり
そこへ来て今回のプレゼントだ。
あの時叶わなかった分リリックは張り切った。
「まあ!リリック様!」
書面にて正式な婚約を結んだ翌日。
リリックは手塩にかけた花たちを大きな花束にして、自ら抱えナート家に出向いた。
その姿は出迎えた伯爵家の使用人が呼吸困難になるほどで、毒のような美しさだったと見た者は言った。
最前線でその姿をみた夫人と姉は、心臓が止まる寸前で息を吹き返した。
そんな中で言葉を発せたのはフルールただ一人だった。
「こんなに大きな花束はじめて頂きました。ありがとうございます。ですがうちにはこんなに大きな花瓶がないので、分割してもよろしいですか?」
顔はおろか上半身が隠れるほどの花束を抱えて。
リリックからこんなに大きな花束をもらって「分割」などと事務的な会話を返せるのは、フルールしかいないだろう。
「ああ、もちろん構わない」
その後もフルールはリリックよりも花について興味を持ち、それが嬉しいリリックとの会話はとても弾んだ。
「では、こちらの花はリリック様が自ら育てたものなのですか?」
分割して生けた中でも、より今の二人に似合いの爽やかな色合いの花を選び、ハンナは二人からよく見えるところに飾った。
「ああ。庭師に手伝って貰う事も多いが、草取りや害虫駆除などなるべく時間を見つけて自分でやるようにしている」
「まあ、草取りも。あれはとても大変なお仕事ですわ」
「確かに大変だが、よく知っているな」
フルールは領地で過ごした時に草取りというものを学び、毎日見て回っていた。夏の暑い日などとても大変な仕事だ。そんな暑い日になぜ令嬢が外に出ているのかと言えば、暑ければ暑いほど、殿方が肌を晒すのを知ったからだ。
目に入らないよう額の汗を拭う腕の逞しい事と言ったらそれはもう。フルールが飛びつかないわけがない。
フルールはそれを見るために冷たい飲み物を持ち、濡れタオルを常備し、暑いさなか領地を歩き回った。目を輝かせるフルールと、灼熱地獄に連れて来られたような顔の使用人との見回りは夏の終わりまで続き、フルールの目の輝きに陰りがさした頃には、使用人が一人減ったとか減らなかったとか。
「ええ、領地にいるときに見ました。皆さん汗をかいて励んでおられました。とても感動する風景でした」
脳内が完全に筋肉に占領されている顔をしているフルール。
すかさずハンナが脳内の筋肉を押しのけるようにスケッチブックをフルールに渡す。
「お嬢様もし宜しければこちらをどうぞ」
渡したのは、フルールが前にリリックに見せたスケッチブック。
「以前リリック様がお嬢様の絵にとても興味をお持ちになったそうで、今ここで頂いたお花を描いてはいかがですか?」
おおそれはいい案だ、とリリックがそちらへ興味を反らせば、控えている侍女も使用人もホッと胸を撫で下ろす。
フルールの目は、領地の感動する風景にうっとりして、何かしら口を滑らすのではないかとハラハラしていた。
そんな事になったらせっかく決まった婚約に水を差すだけでは済まない。下手すると破棄される。
その後は勿論、男の裸にうっとりする令嬢と噂が流れる。
そんな未来が見えたフルール付きの若い侍女が、すぐさまスケッチブックを取りに行き、話の流れでハンナがフルールにパスをするという、素晴らしいコンビネーションで阻止した。
「ハンナ! なんで余計なことするの? リリック様の前でまた恥をかけと言っているの?」
リリック様の前で大声を上げている今、既にそれが恥でございます。とハンナは言いたかったが、それをぐっとこらえ「先に至らないところを夫となるリリック様にお見せするのは、とても意義のあることかと」と、多少の嫌みを込めて済まし顔で話題を変えた。
リリックへの牽制としてフルールの絵が下手な事をさらに刷り込みたいと言う伯爵家側の事情もある。
リリックが最初に訪ねたときの言動を聞くに、フルールに疑いの目があるのは確かでも、まだ核心部には到達していないとハンナは考えた。
あれだけはなんとしてもバレてはならない。
ハンナもリリック同様、小骨が引っ掛かりこの婚約に諸手を挙げて喜べる心情ではなかった。