④君は妄想の中を生きればいい。
「私、好きな人が出来ましたわ! お慕いする方と嫁ぐ事が出来るなんて、私はなんと幸せなのでしょう」
そう彼女が言った時、僕は嬉しかった。
彼女も同じ気持ちなのだと。
僕と彼女は政略結婚ではあるが、お互い想い合っているのだと。
──彼女の次の言葉を聞くまでは。
「私は将来大好きなカレル様と結婚しますわ!」
「──…………え?」
その後の事はよく覚えていない。
彼女はどれだけ彼が素晴らしいのかを語っていた気がするが、全て頭を通り過ぎるだけだった。
人生で初めて味わった絶望。
その日から僕の心には、黒い染みが出来た。
「ジェーン、君の婚約者は僕だよ。伯爵家のカレル君ではないよ。君は僕と結婚して、将来王妃になるのだから」
翌日、僕は彼女を王宮の庭園に呼び寄せた。
昨日のアレは僕の夢で、彼女はそんな事を言っていないという期待も僅かながらに抱いて。
「……? 何を言っていますの、殿下?」
僕の言葉に彼女はぽかんと呆けた。
その反応に、やはりアレは夢だったのだと内心ほっと息をつこうとした。
「私の婚約者はカレル様ですわ。殿下の婚約者などと、私には恐れ多いですわ」
けれど、彼女から返ってきたのは明確な否定だった。
そしてそれは、僕と今まで2人で過ごしてきた時間への裏切りでもあった。
彼女は王妃教育を受けていた。
その為に王宮へと頻繁に出入りをしていたし、僕と2人で将来どんな国にしていきたいかも話した事がある。
毎年、頭を悩ませながら彼女には誕生日プレゼントを贈っていたし、彼女もそれを喜んでくれていた。
彼女の事が好きだと言葉にした事もある。
その、全てを。
今まで共に過ごしてきた時間を、思い出を。
君は全てなかった事にするのか?
心に滲んだ染みはいつしか広がり、全てを黒く染めていた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
──これからはジェーンを学園に通わせ、公の場にも出席させよう。
「娘を学園に? しかし、アレク王太子殿下、娘は……」
政務ではいつも雄弁に舌の回る公爵が、僕の指示に珍しく言いよどんだ。
「分かっている。全て分かった上で僕はお願いしているんだよ」
笑みを深くしてそう告げると、公爵は得体の知れぬものを見るような恐怖を一瞬浮かべた。
僕の考えが理解出来ないのだろう。
それとも、僕の内に根付く狂気を悟ったのか。
「心配しなくて言い、これで全てが上手くいくよ。僕はね、考えたんだ。彼女が妄想の中でしか生きられないなら、その妄想をねじ曲げてしまえばいいってね」
彼女は妄想の中でしか生きられない。
それはこの10年近い年月をかけて身に染みて理解した。
彼女は他者の思想も価値観も必要としていない。
彼女1人でその世界を確立させてしまっている。
だから、僕は彼女の妄想をねじ曲げる事にした。
彼女の妄想を壊して、汚す。
その準備はもうしてある。
僕の都合の良いように侵食するのだ。
「全て正しい形へと戻るんだよ」
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
結果は望んだ通りのものとなった。
ジェーンはカレルへの恋心を捨て去り、新たに僕へとその恋心を向けた。
長年苦労してきた時を思えば、いっそ呆気ない程であった。
「──君には色々世話をかけたね、アンジェリカ嬢。お陰で上手くいったよ」
王宮の一室で招いた少女に笑いかけると、少女も同様に笑みを返した。
少女の名はアンジェリカ。
カレルの幼馴染みにして婚約者だ。
「いいえ、私にも利がある事。これで、無事にカレルと問題なく式を挙げられます」
アンジェリカとはある取引をしていた。
彼女の前でカレルとの仲睦まじい姿を見せるように。
どんな不運、又はジェーンが呼び寄せているのか、カレルとアンジェリカの婚約が危うくなったのだ。
アンジェリカの家の領地は日照りが続き作物が枯れ、商売の尽くが失敗して没落寸前であった。
だから、僕は彼女へと手を差し伸べた。
アンジェリカが困っていたから。
「そう、幸せそうでよかったよ」
僕もようやく幸せを掴む事が出来そうだ。
あるべき形に戻るまで本当に長かった。
「それでは、私は失礼致します……あぁ、私とカレルは今後中央へは近付く事はないのでご安心を。学園では広く学べましたから、領地運営に精を出します」
退室しようとして、思い出したかのようにそう告げた彼女は本当に賢い。
僕の心の内を分かっている。
「ふふ……本当は消してしまおうかとも思ったけれど……彼女に免じてそれは避けてあげよう」
カレルは僕にとって本当に邪魔な存在であった。
何度殺してやりたいと思った事か。
だが、今までは出来なかった。
ジェーンの妄想がどう転ぶか分からなかったからだ。
命と共にその存在も消えるのであれば、何も問題ない。
寧ろ、都合が良いくらいだ。
けれど、此方の思惑とは真逆の方向へと向かったら?
悲劇のヒロイン気取りで、生涯をカレルへと捧げる可能性もある。
又は、僕や公爵がやった事だと勘づき復讐に走る事も。
この場合、どう証拠を消そうが問題ない。
彼女の中でそう決まったのなら、真実はどうであろうと黒なのだ。
「……僕も今は機嫌がいいからね」
もうあの2人が顔を合わせる事は2度とない。
ジェーンは結婚式を挙げ次第、後宮から外へは出さない。
他の男を近付けるような真似はしない。
ジェーンを囲う檻はもう出来ている。
後は中にジェーンを入れるだけだ。
「君は僕の作る妄想の中で、ずっと生きていればいい」
そうすれば誰も傷付かないし、僕も君も幸福なまま人生を送れるよ。
これにて終了です。
お読み頂きありがとうございましたm(_ _)m
短編はわりと需要度外視なので、好き嫌いは分かれそうですがたまに書きたくなるんですよね(-_-;)
他にも主人公頭おかしい系のやつがあるので、またそのうち投稿するかも。
……乙ゲー転生の見直し進めなきゃな。