プロローグ
はじめまして。ご覧いただきありがとうございます。
暇な時に空を見上げてたら大まかな物語ができてしまい、なんとなくの投稿です。当方、社畜のため執筆は遅いですが、ゆっくり続けたいと思っております。
このプロローグの登場人物は、かなり後に出てきます。飛ばしても大丈夫です。
王城の地下深く。
日の光が届かない広間に、巨大な魔法陣が描かれていた。
床一面に広がる複雑な紋様の周囲には、大小さまざまな魔石が配置されている。その外側には、杖を手にした魔術師たちが並び、儀式の開始を待っていた。
広間の奥では、豪奢な衣装をまとった男たちが、緊張した面持ちでその様子を見守っている。
「本当に成功するのだろうな?」
男の一人が尋ねた。
「古い文献に記された術式を、可能な限り再現しております。ただ、実際に成功したという記録は……」
「もうよい。成功させれば済む話だ」
言葉を遮られた魔術師は、深く頭を下げた。
国境では隣国との緊張が続き、各地からは魔物による被害の報告が届いていた。兵を増やしても、武具を揃えても、状況は思うように好転しない。
そんな折、古い書庫から発見されたのが、異世界召喚に関する記録だった。
異なる世界から人を呼び寄せるという、禁じられた魔術。
記録には、召喚された者が常人にはない知識や力を持つと記されていた。
「準備が整いました」
魔術師の一人が声を上げる。
奥に立つ男がうなずいた。
「始めろ」
杖が掲げられ、魔法陣へ魔力が流れ込む。
床に刻まれた線が淡く輝き始めた。
光は徐々に強まり、魔石が一つ、また一つと輝きを放つ。低い振動が石床を伝わり、広間の空気が震えた。
やがて、魔法陣の中央に奇妙な揺らぎが生まれた。
そこだけ景色が歪み、奥に何かがあるようにも見える。
「……続けろ」
誰かが呟いた。
魔術師たちはさらに魔力を注ぎ込む。
光が広間を満たし、誰もが思わず目を細めた。
◇
「……ここは?」
高瀬美咲は、辺りを見回した。
どこまでも白い。
床があるのか、空があるのかさえ分からない。足元に視線を落としても、そこには何も見えなかった。
それなのに、確かに立っている感覚がある。
「なんだよ、ここ……」
近くで男の声がした。
振り向くと、見知らぬ三人がいた。
美咲より年上らしい男性が二人と、同じくらいの年頃に見える少女が一人。
全員が困惑した様子で周囲を見渡している。
「すみません。皆さんも、気づいたらここに?」
スーツ姿の男性が尋ねた。
「ええ。そうですけど……」
美咲が答えると、男性は困ったように眉を寄せた。
「そうですか。私も、どうしてここにいるのか……」
「夢じゃないのか?」
もう一人の男が口を挟んだ。
美咲が何か答えようとした、そのときだった。
少し離れた場所に、光が現れた。
初めは小さな輝きだったものが、ゆっくりと大きくなり、人のような形を取っていく。
成人した女性を思わせる立ち姿だった。
けれど、その全身が柔らかな光を放っているため、顔立ちも衣服もよく見えない。目を凝らしても、輪郭がわずかに分かる程度だった。
「ようこそ」
声が響いた。
穏やかな女性の声だった。
「あなたたちは、元いた世界で命を落としました」
四人は、すぐには言葉を返せなかった。
「……死んだ?」
男の一人が聞き返した。
「ええ。残念だけれど、あなたたちの人生は一度終わっているわ」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
美咲は思わず声を上げた。
「死んだって、どういうことですか? 私、さっきまで……」
そこまで言って、口を閉じた。
思い出したのだ。
自分の身に、最後に何が起きたのかを。
ほかの三人も、何かに気づいたように黙り込んでいた。
スーツ姿の男性は胸元に手を当て、もう一人の男は険しい顔で俯いている。
少女は両手を見つめたまま、動かなかった。
「あなたは……どなたなんですか?」
スーツ姿の男性が尋ねた。
「私は、あなたたちとは違う世界の女神よ」
「女神……?」
「そう。あなたたちには、これから私の世界で生きてもらうことになるわ」
「異世界ってことか?」
もう一人の男が顔を上げた。
「ええ。あなたたちのいた世界とは、ずいぶん違う場所ね。魔法があって、魔物がいて、国同士の争いもある。決して安全な世界ではないけれど」
女神は、そこで少し間を置いた。
「その代わり、一人につき一つだけ、願いを叶えてあげる」
「願いって……何でもですか?」
美咲が尋ねる。
「叶えられるものならね」
「元の世界に帰ることは?」
「それはできないわ。あなたたちは、もう死んでいるもの」
美咲は唇を噛んだ。
女神の声には、申し訳なさも、ためらいもなかった。
まるで、決まっていることをそのまま伝えているだけのようだった。
「さあ、何を望むのかしら?」
◇
「……私からでも、いいですか?」
最初に口を開いたのは、美咲だった。
「もちろんよ」
美咲は胸の前で手を握った。
願い事。
何でもいいと言われると、かえって何を言えばいいのか分からない。
勉強ができるようになりたい。剣道がもっと強くなりたい。お金が欲しい。
そんな願いなら、いくつも思いつく。
けれど、どれもしっくりこなかった。
ふと、母親の声を思い出した。
『今度の試験、もう少し頑張れたでしょう?』
悪い成績ではなかった。
それでも、もっと上を目指せと言われた。
『進路のことも、ちゃんと考えておきなさい。あなたの将来のためなんだから』
父親も同じだった。
剣道の大会で勝てば喜んでくれたが、負ければ何が悪かったのかを何度も聞かれた。
美咲自身も、負けたことは悔しかった。
もっと強くなりたいと思ったし、稽古が嫌いだったわけでもない。
ただ、試合が終わって最初に考えるのが、親に何と言われるかになっていた。
進学先も、部活動も、将来のことも。
何かを決めようとするたびに、誰かの顔が浮かんだ。
「……自由に」
小さな声が漏れた。
美咲は顔を上げた。
「自由に生きたいです」
女神は何も言わず、続きを待っている。
「今度は、自分で決めたいんです。何をするのかも、どこへ行くのかも。失敗してもいいから、自分で選んでみたい」
言い終えると、美咲は少しだけ肩の力を抜いた。
こんなことを口にしたのは、初めてかもしれない。
「それが、あなたの願い?」
「はい」
「いいわ」
女神が片手を上げた。
美咲の身体を淡い光が包み込む。
「あなたの新しい人生は、あなた自身のものよ」
「あ……ありがとうございます!」
美咲は慌てて頭を下げた。
次の瞬間、足元の感覚が消えた。
白い景色が遠ざかり、意識が薄れていく。
◇
風の音がした。
美咲が目を開けると、目の前には広い草原があった。
青い空の下、背の低い草が風に揺れている。
起き上がって辺りを見渡した。
見覚えのある建物は一つもない。
人の姿もなかった。
「……本当に、来ちゃった」
呟いてから、自分の手を見た。
指を曲げる。
草に触れる。
柔らかな葉が指先をくすぐった。
立ち上がると、足元の草が音を立てた。
美咲はゆっくりと歩き始めた。
一歩。
二歩。
誰も何も言わない。
走ってみた。
風が頬を打ち、髪が後ろへ流れる。
しばらく走ってから、美咲は足を止めた。
「……あはっ」
思わず笑いが漏れた。
「あははっ! あはははは!」
声を抑える必要もなかった。
周りには誰もいない。
「自由だ! 私、本当に自由なんだ!」
美咲は両手を広げ、空を見上げた。
誰かに行き先を尋ねなくてもいい。
何時までに帰れと言われることもない。
何をするのか、どこへ行くのか。
全部、自分で決めていい。
笑いすぎて息が苦しくなり、美咲は草の上に腰を下ろした。
「……はあ」
大きく息を吐く。
空はどこまでも青かった。
しばらく眺めているうちに、ふと、母親の顔が浮かんだ。
続いて、父親。
学校の友達や、剣道部の仲間たち。
今頃、どうしているだろう。
そう考えて、美咲は動きを止めた。
「……あ」
もう会えない。
帰ろうと思っても、帰れない。
母親は、いつも口うるさかった。
父親とは、進路のことで何度も言い合いになった。
それでも、家に帰れば二人がいるのが当たり前だった。
友達との約束もあった。
次の大会だって、まだ終わっていない。
「……そっか」
美咲は膝を抱えた。
「私、死んじゃったんだ」
頬を伝ったものが、膝の上に落ちた。
一度こぼれると、止まらなかった。
自由になりたかった。
確かに、ずっとそう思っていた。
けれど、こんなふうに、何も言えないまま別れたかったわけではない。
「……お母さん」
呼んでも、返事はなかった。
美咲は膝に顔を埋め、声を上げて泣いた。
風が草原を吹き抜けていく。
どれほど泣いても、誰かが迎えに来ることはなかった。
◇
「じゃあ、次は俺でいいか?」
中村悠真が口を開いた。
見たところ、二十代ほどの青年だった。
女神はうなずいた。
「ええ。どうぞ」
悠真は腕を組み、少し考えた。
願いを一つだけ叶える。
その条件なら、使い道の限られたものを選ぶのは損だ。
金は使えばなくなる。強い武器をもらったところで、もっと強いものが現れるかもしれない。
そもそも、魔法がある世界だというのに、その仕組みも分からないまま能力を選ぶのは早計だろう。
悠真は子供の頃から、勉強で苦労した覚えがほとんどなかった。
授業を聞いていれば大抵のことは理解できたし、試験でもよい点を取れた。運動も得意で、体育の授業では周囲に頼られることが多かった。
進学先も、周りが難しいと言う学校を選んだ。
そこでも結果は残した。
だから、就職してからのことは、今でも納得がいかない。
説明の下手な上司。
要領の悪い同僚。
自分の意見を聞こうともしない連中。
あんな職場では、誰だって嫌になる。
辞めたあと、悠真は家で過ごす時間が増えた。
ゲームをして、動画を見て、ネットで情報を集める。
気づけば朝になっていることも珍しくなかった。
家族から仕事の話をされるたび、うんざりした。
働く場所さえまともなら、いつでも結果を出せる。
わざわざ条件の悪い仕事を選ぶ必要はない。
そう思っていた。
そして今、目の前には願いを叶えるという女神がいる。
次の世界では、最初から有利に立てる。
「何でも調べられる能力が欲しい」
悠真は言った。
「スマホみたいに、知りたいことを検索できるやつ。こっちの世界のことも調べられて、必要な情報がすぐ分かるような能力がいい」
「何でも?」
「ああ。魔法でも、地理でも、歴史でも。知らないことを調べられるなら、かなり便利だろ?」
女神は少し黙った。
「……ずいぶん欲張りな願いね」
「一つだけなんだろ? だったら、できるだけ使えるものを選んだ方がいい」
「そうね。ただ、そのまま叶えるのは少し難しいわ」
「なんで?」
「あなたの魂では、その力を収めきれないの」
悠真の眉が動いた。
「……それ、どうにかならないのか?」
「少し待っていて」
女神は、悠真から視線を外した。
その先には、白い空間しか見えなかった。
けれど、女神の目は、もっと遠くにある何かを捉えていた。
まだ生まれていない、小さな命。
そこに宿るはずだったものへ、女神は手を伸ばした。
指先がわずかに動く。
何かが引き離された。
小さな命は、声を上げることも、抗うこともできない。
女神は取り出したものを見つめ、悠真へと向き直った。
「これで大丈夫よ」
「お、できたのか?」
「ええ。あなたの願いは叶うわ」
「なら、よかった」
悠真は満足そうに笑った。
何が起きたのかを尋ねることはなかった。
女神が手をかざすと、悠真の身体が光に包まれる。
「新しい世界を楽しんでね」
「ああ。そうさせてもらうよ」
悠真の姿が消えた。
◇
橘美羽は、二人が消えた場所を見つめていた。
まだ幼さの残る少女だった。
先ほどから、両手を胸の前で握りしめている。
「あなたは、どうしたい?」
女神に声をかけられ、美羽は顔を上げた。
「あの……」
言いかけて、口を閉じる。
指先が小さく震えていた。
白い空間には、血の匂いも、煙もない。
けれど、美羽にはまだ、あの声が聞こえる気がした。
◇
修学旅行のバスは、山道を走っていた。
車内では友達同士の話し声が飛び交い、窓際の席からは時折、景色を指さす声が上がっていた。
美羽も隣の友達と話していた。
旅行先で何を買うか。
帰ったら写真を見せ合おう。
そんな、何でもない話だった。
突然、激しい衝撃が走った。
身体が座席から浮き、何かに強く打ちつけられる。
悲鳴が聞こえた。
続いて、身体が何度も揺さぶられた。
何が起きたのか分からないまま、美羽の意識は途切れた。
次に目を開けたとき、車内は大きく傾いていた。
割れた窓。
曲がった座席。
床に散らばった荷物。
誰かの泣き声と、苦しそうなうめき声が聞こえる。
美羽は身体を起こそうとした。
「っ……!」
足に激痛が走った。
壊れた座席の下に挟まれている。
動かそうとしても、びくともしなかった。
「……美羽」
すぐ近くから声がした。
顔を向けると、同級生が倒れていた。
「助けて……」
美羽は息を呑んだ。
腹部がひどく傷つき、こぼれ出た臓器が血に濡れていた。
喉の奥から何かがこみ上げる。
美羽は口元を押さえ、必死に飲み込んだ。
「……大丈夫」
声が震えた。
美羽は慌てて口元を引き上げた。
「大丈夫だよ。私、ここにいるから」
「痛い……助けて……」
「うん。うん、分かった。ちょっと待ってね」
美羽は手を伸ばした。
足が挟まれているせいで、身体を近づけることも難しい。
それでも必死に身を乗り出し、同級生の腹部に触れた。
どうすればいいのか分からなかった。
保健体育の授業で、こんな怪我の手当てを習ったことはない。
ただ、こぼれ出たものをこのままにしてはいけない気がして、震える手で押し戻そうとした。
指先が滑る。
吐き気が込み上げる。
それでも、手を止められなかった。
「美羽……助けて……」
「大丈夫。大丈夫だからね」
何度も言った。
同級生の顔を見るたび、笑おうとした。
自分の足もひどく痛んでいたが、そんなことを気にしている余裕はなかった。
目の前の子が、苦しそうに息をしている。
何かしてあげなければ。
そう思うのに、何をすればいいのか分からない。
美羽は同級生の手を握った。
「ほら、手、握ってるから。大丈夫だよ」
車内では、動ける生徒たちが割れた窓から脱出し始めていた。
泣きながら友達を呼ぶ声。
誰かを励ます声。
外からも、いくつもの声が聞こえてくる。
美羽は一度だけ、挟まれた足を引いた。
痛みが走り、身体が強張る。
抜けない。
「……美羽」
同級生の声がした。
美羽はすぐに顔を戻した。
「なあに? 大丈夫だよ」
「怖い……」
「うん……そうだよね」
美羽は笑おうとした。
「でも、きっと大丈夫。もう少しだけ、一緒に頑張ろう?」
そのとき、車内のどこかで小さな音がした。
次の瞬間、炎が上がった。
漏れ出していた燃料に火がついたのだ。
熱気が押し寄せ、煙が広がり始める。
美羽は思わず顔を向けた。
火が、こちらへ近づいてくる。
怖かった。
逃げたかった。
家に帰りたかった。
美羽はもう一度、足を動かそうとした。
けれど、挟まれた足は抜けなかった。
「美羽……」
弱々しい声が聞こえた。
美羽は同級生を見た。
その子は、涙を流していた。
「……大丈夫」
美羽は握った手に、少しだけ力を込めた。
「大丈夫だよ。私、ここにいるからね」
声が震えないように、必死に笑った。
熱くなっていく空気の中で、何度も、何度も。
最後まで、その手を離さなかった。
◇
「……助けられなかったんです」
美羽は俯いていた。
握りしめた手に、涙が落ちる。
「あの子、ずっと……助けてって言ってたのに……」
女神は何も言わなかった。
「大丈夫って、何回も言ったんです。でも……」
美羽は言葉を詰まらせた。
何度も助けを求められた。
手を伸ばした。
傷に触れた。
笑って、大丈夫だと言い続けた。
それでも、何も変えられなかった。
「……力が、欲しいです」
美羽は涙を拭った。
「人を助けられる力が欲しいです」
「それが、あなたの願い?」
「はい」
女神は、少しだけ首を傾けた。
「自分のために使える願いなのよ?」
美羽は小さくうなずいた。
「分かってます。でも……」
声が震える。
「今度は、助けたいんです」
女神はしばらく美羽を見つめていた。
やがて、ゆっくりと手を上げる。
「いいわ。その願い、叶えてあげる」
柔らかな光が美羽を包み込んだ。
「ありがとう……ございます……」
美羽は涙を拭いながら頭を下げた。
その姿が、光の中へ消えていった。
◇
最後に残ったのは、山田直人だった。
スーツ姿の男性で、年の頃は三十前後に見えた。
直人はしばらく、ほかの三人が消えた場所を眺めていた。
「あなたは、どうするのかしら?」
女神に尋ねられ、直人は顔を上げた。
「……そうですね」
少し考えてから、苦笑した。
「願いを叶えていただけるというのは、ありがたい話なんですが……正直、何をお願いすればいいのか迷いますね」
「急がなくてもいいわ」
「ありがとうございます」
直人は頭を下げた。
仕事なら、何をすべきかすぐに思いつく。
目の前の仕事を片づけ、次の仕事を確認する。誰かが困っていれば手伝い、頼まれれば引き受ける。
そんな毎日だった。
朝早く家を出て、帰るのは夜遅く。
自分の仕事が終わっても、隣の席の同僚が困っていれば声をかけた。
『山田さん、これもお願いできますか?』
『ああ、いいですよ』
何度、そう答えただろう。
頼まれた仕事を終わらせると、感謝された。
そのたびに、少し嬉しかった。
けれど、仕事は減らなかった。
休日も、電話が鳴れば出た。
急ぎの案件があると言われれば、会社へ向かった。
たまの休みには、昼過ぎまで眠っていた。
起きてから何かをしようと思っても、身体が重い。
結局、食事を済ませて、また眠る。
友人からの誘いも、何度か断った。
『また今度な』
そう返しているうちに、誘いは少なくなっていった。
最後に家族とゆっくり食事をしたのは、いつだっただろう。
旅行へ行きたいと思ったこともあった。
何か趣味を始めようと考えたこともあった。
けれど、何をしたいのか考えているうちに、休みが終わる。
仕事の予定だけは、いつも埋まっていた。
そして、ある日。
胸に強い痛みが走った。
息ができず、視界が暗くなっていく。
倒れた先で、誰かが自分の名前を呼んでいた。
それが、最後の記憶だった。
「……まいったな」
直人は小さく呟いた。
「本当に、死んでしまったんですね」
「ええ」
「そうですか……」
直人は目を閉じた。
もっと早く帰ればよかった。
疲れたときには休めばよかった。
頼まれた仕事を、全部引き受ける必要なんてなかった。
誰かに任せることもできたはずだ。
断ったところで、世界が終わるわけでもない。
そんな当たり前のことに、今さら気づいた。
「……女神様」
「なあに?」
「転生することは、できますか?」
「転生?」
「はい。もう一度、生まれ直したいんです」
女神は、わずかに首を傾けた。
「強い力や、特別な能力ではなくて?」
「そうですね。そういうものも魅力的ではありますが……」
直人は少し笑った。
「次は、もう少し自分の時間を大切にしたいと思いまして」
仕事をしないつもりはない。
誰かの役に立つことも、嫌いではなかった。
ただ、そればかりになってしまった。
「仕事も頑張りたいですし、誰かの手助けもしたいです。でも、休むときは休んで、家族や友人との時間も大切にしたい。できれば、何か夢中になれることも見つけたいですね」
「そう」
「はい。今度は、うまくやりたいと思います」
直人は、少し照れたように笑った。
女神はその姿を見つめ、やがて手を差し出した。
「いいわ。あなたには、新しい人生をあげましょう」
「ありがとうございます」
直人は深く頭を下げた。
女神の指先が、白い空間のどこかへ向けられる。
遠く離れた世界で、小さな命が生まれようとしていた。
形作られた身体には、まだ魂が定着していない。
女神は直人の魂を包み込み、その小さな身体へと送り届けた。
直人の足元が光に溶けていく。
「それじゃあ、行ってらっしゃい」
「はい。お世話になりました」
直人は最後にもう一度頭を下げた。
その姿が消えていく。
次に彼が目を開けるとき、そこには見知らぬ天井と、自分を抱き上げる両親の顔があるだろう。
金色の髪と青い瞳を持つ、小さな男の子。
その子は、アールハイドと名づけられることになる。
◇
四人が去ったあと、白い空間には女神だけが残された。
光を帯びた姿が、何もない空間に浮かんでいる。
女神はしばらく、四人の魂が向かった先を眺めていた。
そして、楽しげな声で呟いた。
「……少しは面白くなるかしら」
その姿が、ゆっくりと薄れていく。
やがて白い空間には、何も残らなかった。
◇
王城の地下。
魔法陣の光が、ゆっくりと収まっていった。
魔術師たちは息を切らし、杖にすがるようにして立っている。
床に描かれた紋様は、まだかすかに輝いていた。
「……どうなった?」
広間の奥から声が上がる。
誰も答えられなかった。
やがて、魔法陣の中心に倒れている人影に、一人の魔術師が気づいた。
「人が……!」
周囲がざわめいた。
「成功したのか?」
「分かりません。ですが、確かに人が……!」
魔術師たちが駆け寄る。
倒れていたのは、一人の青年だった。
見慣れない衣服をまとい、静かに目を閉じている。
やがて青年の指が動いた。
「……ん?」
中村悠真は、ゆっくりと目を開けた。
目の前には、石造りの天井があった。
身体を起こすと、何人もの人間が自分を取り囲んでいる。
杖を持った男たち。
豪華な服を着た者たち。
そして、床に描かれた巨大な魔法陣。
「おお……!」
誰かが歓声を上げた。
「成功だ! 異世界からの召喚に成功したぞ!」
広間が騒がしくなる。
悠真は周囲を見回した。
聞き慣れない言葉のはずなのに、何を言っているのか理解できた。
どうやら、女神の言っていたことは本当らしい。
悠真は口元を緩めた。
「……なるほどね」
彼を取り囲む人々は、期待に満ちた目でこちらを見ていた。
その視線を受けながら、悠真はゆっくりと立ち上がった。
続けたい。この気持ち




