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エルネスト(仮)  作者: 腐った生ゴミ
1/8

プロローグ

はじめまして。ご覧いただきありがとうございます。


暇な時に空を見上げてたら大まかな物語ができてしまい、なんとなくの投稿です。当方、社畜のため執筆は遅いですが、ゆっくり続けたいと思っております。


このプロローグの登場人物は、かなり後に出てきます。飛ばしても大丈夫です。



 王城の地下深く。


 日の光が届かない広間に、巨大な魔法陣が描かれていた。


 床一面に広がる複雑な紋様の周囲には、大小さまざまな魔石が配置されている。その外側には、杖を手にした魔術師たちが並び、儀式の開始を待っていた。


 広間の奥では、豪奢な衣装をまとった男たちが、緊張した面持ちでその様子を見守っている。


「本当に成功するのだろうな?」


 男の一人が尋ねた。


「古い文献に記された術式を、可能な限り再現しております。ただ、実際に成功したという記録は……」


「もうよい。成功させれば済む話だ」


 言葉を遮られた魔術師は、深く頭を下げた。


 国境では隣国との緊張が続き、各地からは魔物による被害の報告が届いていた。兵を増やしても、武具を揃えても、状況は思うように好転しない。


 そんな折、古い書庫から発見されたのが、異世界召喚に関する記録だった。


 異なる世界から人を呼び寄せるという、禁じられた魔術。


 記録には、召喚された者が常人にはない知識や力を持つと記されていた。


「準備が整いました」


 魔術師の一人が声を上げる。


 奥に立つ男がうなずいた。


「始めろ」


 杖が掲げられ、魔法陣へ魔力が流れ込む。


 床に刻まれた線が淡く輝き始めた。


 光は徐々に強まり、魔石が一つ、また一つと輝きを放つ。低い振動が石床を伝わり、広間の空気が震えた。


 やがて、魔法陣の中央に奇妙な揺らぎが生まれた。


 そこだけ景色が歪み、奥に何かがあるようにも見える。


「……続けろ」


 誰かが呟いた。


 魔術師たちはさらに魔力を注ぎ込む。


 光が広間を満たし、誰もが思わず目を細めた。


     ◇


「……ここは?」


 高瀬美咲は、辺りを見回した。


 どこまでも白い。


 床があるのか、空があるのかさえ分からない。足元に視線を落としても、そこには何も見えなかった。


 それなのに、確かに立っている感覚がある。


「なんだよ、ここ……」


 近くで男の声がした。


 振り向くと、見知らぬ三人がいた。


 美咲より年上らしい男性が二人と、同じくらいの年頃に見える少女が一人。


 全員が困惑した様子で周囲を見渡している。


「すみません。皆さんも、気づいたらここに?」


 スーツ姿の男性が尋ねた。


「ええ。そうですけど……」


 美咲が答えると、男性は困ったように眉を寄せた。


「そうですか。私も、どうしてここにいるのか……」


「夢じゃないのか?」


 もう一人の男が口を挟んだ。


 美咲が何か答えようとした、そのときだった。


 少し離れた場所に、光が現れた。


 初めは小さな輝きだったものが、ゆっくりと大きくなり、人のような形を取っていく。


 成人した女性を思わせる立ち姿だった。


 けれど、その全身が柔らかな光を放っているため、顔立ちも衣服もよく見えない。目を凝らしても、輪郭がわずかに分かる程度だった。


「ようこそ」


 声が響いた。


 穏やかな女性の声だった。


「あなたたちは、元いた世界で命を落としました」


 四人は、すぐには言葉を返せなかった。


「……死んだ?」


 男の一人が聞き返した。


「ええ。残念だけれど、あなたたちの人生は一度終わっているわ」


「ちょ、ちょっと待ってください!」


 美咲は思わず声を上げた。


「死んだって、どういうことですか? 私、さっきまで……」


 そこまで言って、口を閉じた。


 思い出したのだ。


 自分の身に、最後に何が起きたのかを。


 ほかの三人も、何かに気づいたように黙り込んでいた。


 スーツ姿の男性は胸元に手を当て、もう一人の男は険しい顔で俯いている。


 少女は両手を見つめたまま、動かなかった。


「あなたは……どなたなんですか?」


 スーツ姿の男性が尋ねた。


「私は、あなたたちとは違う世界の女神よ」


「女神……?」


「そう。あなたたちには、これから私の世界で生きてもらうことになるわ」


「異世界ってことか?」


 もう一人の男が顔を上げた。


「ええ。あなたたちのいた世界とは、ずいぶん違う場所ね。魔法があって、魔物がいて、国同士の争いもある。決して安全な世界ではないけれど」


 女神は、そこで少し間を置いた。


「その代わり、一人につき一つだけ、願いを叶えてあげる」


「願いって……何でもですか?」


 美咲が尋ねる。


「叶えられるものならね」


「元の世界に帰ることは?」


「それはできないわ。あなたたちは、もう死んでいるもの」


 美咲は唇を噛んだ。


 女神の声には、申し訳なさも、ためらいもなかった。


 まるで、決まっていることをそのまま伝えているだけのようだった。


「さあ、何を望むのかしら?」


     ◇


「……私からでも、いいですか?」


 最初に口を開いたのは、美咲だった。


「もちろんよ」


 美咲は胸の前で手を握った。


 願い事。


 何でもいいと言われると、かえって何を言えばいいのか分からない。


 勉強ができるようになりたい。剣道がもっと強くなりたい。お金が欲しい。


 そんな願いなら、いくつも思いつく。


 けれど、どれもしっくりこなかった。


 ふと、母親の声を思い出した。


『今度の試験、もう少し頑張れたでしょう?』


 悪い成績ではなかった。


 それでも、もっと上を目指せと言われた。


『進路のことも、ちゃんと考えておきなさい。あなたの将来のためなんだから』


 父親も同じだった。


 剣道の大会で勝てば喜んでくれたが、負ければ何が悪かったのかを何度も聞かれた。


 美咲自身も、負けたことは悔しかった。


 もっと強くなりたいと思ったし、稽古が嫌いだったわけでもない。


 ただ、試合が終わって最初に考えるのが、親に何と言われるかになっていた。


 進学先も、部活動も、将来のことも。


 何かを決めようとするたびに、誰かの顔が浮かんだ。


「……自由に」


 小さな声が漏れた。


 美咲は顔を上げた。


「自由に生きたいです」


 女神は何も言わず、続きを待っている。


「今度は、自分で決めたいんです。何をするのかも、どこへ行くのかも。失敗してもいいから、自分で選んでみたい」


 言い終えると、美咲は少しだけ肩の力を抜いた。


 こんなことを口にしたのは、初めてかもしれない。


「それが、あなたの願い?」


「はい」


「いいわ」


 女神が片手を上げた。


 美咲の身体を淡い光が包み込む。


「あなたの新しい人生は、あなた自身のものよ」


「あ……ありがとうございます!」


 美咲は慌てて頭を下げた。


 次の瞬間、足元の感覚が消えた。


 白い景色が遠ざかり、意識が薄れていく。


     ◇


 風の音がした。


 美咲が目を開けると、目の前には広い草原があった。


 青い空の下、背の低い草が風に揺れている。


 起き上がって辺りを見渡した。


 見覚えのある建物は一つもない。


 人の姿もなかった。


「……本当に、来ちゃった」


 呟いてから、自分の手を見た。


 指を曲げる。


 草に触れる。


 柔らかな葉が指先をくすぐった。


 立ち上がると、足元の草が音を立てた。


 美咲はゆっくりと歩き始めた。


 一歩。


 二歩。


 誰も何も言わない。


 走ってみた。


 風が頬を打ち、髪が後ろへ流れる。


 しばらく走ってから、美咲は足を止めた。


「……あはっ」


 思わず笑いが漏れた。


「あははっ! あはははは!」


 声を抑える必要もなかった。


 周りには誰もいない。


「自由だ! 私、本当に自由なんだ!」


 美咲は両手を広げ、空を見上げた。


 誰かに行き先を尋ねなくてもいい。


 何時までに帰れと言われることもない。


 何をするのか、どこへ行くのか。


 全部、自分で決めていい。


 笑いすぎて息が苦しくなり、美咲は草の上に腰を下ろした。


「……はあ」


 大きく息を吐く。


 空はどこまでも青かった。


 しばらく眺めているうちに、ふと、母親の顔が浮かんだ。


 続いて、父親。


 学校の友達や、剣道部の仲間たち。


 今頃、どうしているだろう。


 そう考えて、美咲は動きを止めた。


「……あ」


 もう会えない。


 帰ろうと思っても、帰れない。


 母親は、いつも口うるさかった。


 父親とは、進路のことで何度も言い合いになった。


 それでも、家に帰れば二人がいるのが当たり前だった。


 友達との約束もあった。


 次の大会だって、まだ終わっていない。


「……そっか」


 美咲は膝を抱えた。


「私、死んじゃったんだ」


 頬を伝ったものが、膝の上に落ちた。


 一度こぼれると、止まらなかった。


 自由になりたかった。


 確かに、ずっとそう思っていた。


 けれど、こんなふうに、何も言えないまま別れたかったわけではない。


「……お母さん」


 呼んでも、返事はなかった。


 美咲は膝に顔を埋め、声を上げて泣いた。


 風が草原を吹き抜けていく。


 どれほど泣いても、誰かが迎えに来ることはなかった。


     ◇


「じゃあ、次は俺でいいか?」


 中村悠真が口を開いた。


 見たところ、二十代ほどの青年だった。


 女神はうなずいた。


「ええ。どうぞ」


 悠真は腕を組み、少し考えた。


 願いを一つだけ叶える。


 その条件なら、使い道の限られたものを選ぶのは損だ。


 金は使えばなくなる。強い武器をもらったところで、もっと強いものが現れるかもしれない。


 そもそも、魔法がある世界だというのに、その仕組みも分からないまま能力を選ぶのは早計だろう。


 悠真は子供の頃から、勉強で苦労した覚えがほとんどなかった。


 授業を聞いていれば大抵のことは理解できたし、試験でもよい点を取れた。運動も得意で、体育の授業では周囲に頼られることが多かった。


 進学先も、周りが難しいと言う学校を選んだ。


 そこでも結果は残した。


 だから、就職してからのことは、今でも納得がいかない。


 説明の下手な上司。


 要領の悪い同僚。


 自分の意見を聞こうともしない連中。


 あんな職場では、誰だって嫌になる。


 辞めたあと、悠真は家で過ごす時間が増えた。


 ゲームをして、動画を見て、ネットで情報を集める。


 気づけば朝になっていることも珍しくなかった。


 家族から仕事の話をされるたび、うんざりした。


 働く場所さえまともなら、いつでも結果を出せる。


 わざわざ条件の悪い仕事を選ぶ必要はない。


 そう思っていた。


 そして今、目の前には願いを叶えるという女神がいる。


 次の世界では、最初から有利に立てる。


「何でも調べられる能力が欲しい」


 悠真は言った。


「スマホみたいに、知りたいことを検索できるやつ。こっちの世界のことも調べられて、必要な情報がすぐ分かるような能力がいい」


「何でも?」


「ああ。魔法でも、地理でも、歴史でも。知らないことを調べられるなら、かなり便利だろ?」


 女神は少し黙った。


「……ずいぶん欲張りな願いね」


「一つだけなんだろ? だったら、できるだけ使えるものを選んだ方がいい」


「そうね。ただ、そのまま叶えるのは少し難しいわ」


「なんで?」


「あなたの魂では、その力を収めきれないの」


 悠真の眉が動いた。


「……それ、どうにかならないのか?」


「少し待っていて」


 女神は、悠真から視線を外した。


 その先には、白い空間しか見えなかった。


 けれど、女神の目は、もっと遠くにある何かを捉えていた。


 まだ生まれていない、小さな命。


 そこに宿るはずだったものへ、女神は手を伸ばした。


 指先がわずかに動く。


 何かが引き離された。


 小さな命は、声を上げることも、抗うこともできない。


 女神は取り出したものを見つめ、悠真へと向き直った。


「これで大丈夫よ」


「お、できたのか?」


「ええ。あなたの願いは叶うわ」


「なら、よかった」


 悠真は満足そうに笑った。


 何が起きたのかを尋ねることはなかった。


 女神が手をかざすと、悠真の身体が光に包まれる。


「新しい世界を楽しんでね」


「ああ。そうさせてもらうよ」


 悠真の姿が消えた。


     ◇


 橘美羽は、二人が消えた場所を見つめていた。


 まだ幼さの残る少女だった。


 先ほどから、両手を胸の前で握りしめている。


「あなたは、どうしたい?」


 女神に声をかけられ、美羽は顔を上げた。


「あの……」


 言いかけて、口を閉じる。


 指先が小さく震えていた。


 白い空間には、血の匂いも、煙もない。


 けれど、美羽にはまだ、あの声が聞こえる気がした。


     ◇


 修学旅行のバスは、山道を走っていた。


 車内では友達同士の話し声が飛び交い、窓際の席からは時折、景色を指さす声が上がっていた。


 美羽も隣の友達と話していた。


 旅行先で何を買うか。


 帰ったら写真を見せ合おう。


 そんな、何でもない話だった。


 突然、激しい衝撃が走った。


 身体が座席から浮き、何かに強く打ちつけられる。


 悲鳴が聞こえた。


 続いて、身体が何度も揺さぶられた。


 何が起きたのか分からないまま、美羽の意識は途切れた。


 次に目を開けたとき、車内は大きく傾いていた。


 割れた窓。


 曲がった座席。


 床に散らばった荷物。


 誰かの泣き声と、苦しそうなうめき声が聞こえる。


 美羽は身体を起こそうとした。


「っ……!」


 足に激痛が走った。


 壊れた座席の下に挟まれている。


 動かそうとしても、びくともしなかった。


「……美羽」


 すぐ近くから声がした。


 顔を向けると、同級生が倒れていた。


「助けて……」


 美羽は息を呑んだ。


 腹部がひどく傷つき、こぼれ出た臓器が血に濡れていた。


 喉の奥から何かがこみ上げる。


 美羽は口元を押さえ、必死に飲み込んだ。


「……大丈夫」


 声が震えた。


 美羽は慌てて口元を引き上げた。


「大丈夫だよ。私、ここにいるから」


「痛い……助けて……」


「うん。うん、分かった。ちょっと待ってね」


 美羽は手を伸ばした。


 足が挟まれているせいで、身体を近づけることも難しい。


 それでも必死に身を乗り出し、同級生の腹部に触れた。


 どうすればいいのか分からなかった。


 保健体育の授業で、こんな怪我の手当てを習ったことはない。


 ただ、こぼれ出たものをこのままにしてはいけない気がして、震える手で押し戻そうとした。


 指先が滑る。


 吐き気が込み上げる。


 それでも、手を止められなかった。


「美羽……助けて……」


「大丈夫。大丈夫だからね」


 何度も言った。


 同級生の顔を見るたび、笑おうとした。


 自分の足もひどく痛んでいたが、そんなことを気にしている余裕はなかった。


 目の前の子が、苦しそうに息をしている。


 何かしてあげなければ。


 そう思うのに、何をすればいいのか分からない。


 美羽は同級生の手を握った。


「ほら、手、握ってるから。大丈夫だよ」


 車内では、動ける生徒たちが割れた窓から脱出し始めていた。


 泣きながら友達を呼ぶ声。


 誰かを励ます声。


 外からも、いくつもの声が聞こえてくる。


 美羽は一度だけ、挟まれた足を引いた。


 痛みが走り、身体が強張る。


 抜けない。


「……美羽」


 同級生の声がした。


 美羽はすぐに顔を戻した。


「なあに? 大丈夫だよ」


「怖い……」


「うん……そうだよね」


 美羽は笑おうとした。


「でも、きっと大丈夫。もう少しだけ、一緒に頑張ろう?」


 そのとき、車内のどこかで小さな音がした。


 次の瞬間、炎が上がった。


 漏れ出していた燃料に火がついたのだ。


 熱気が押し寄せ、煙が広がり始める。


 美羽は思わず顔を向けた。


 火が、こちらへ近づいてくる。


 怖かった。


 逃げたかった。


 家に帰りたかった。


 美羽はもう一度、足を動かそうとした。


 けれど、挟まれた足は抜けなかった。


「美羽……」


 弱々しい声が聞こえた。


 美羽は同級生を見た。


 その子は、涙を流していた。


「……大丈夫」


 美羽は握った手に、少しだけ力を込めた。


「大丈夫だよ。私、ここにいるからね」


 声が震えないように、必死に笑った。


 熱くなっていく空気の中で、何度も、何度も。


 最後まで、その手を離さなかった。


     ◇


「……助けられなかったんです」


 美羽は俯いていた。


 握りしめた手に、涙が落ちる。


「あの子、ずっと……助けてって言ってたのに……」


 女神は何も言わなかった。


「大丈夫って、何回も言ったんです。でも……」


 美羽は言葉を詰まらせた。


 何度も助けを求められた。


 手を伸ばした。


 傷に触れた。


 笑って、大丈夫だと言い続けた。


 それでも、何も変えられなかった。


「……力が、欲しいです」


 美羽は涙を拭った。


「人を助けられる力が欲しいです」


「それが、あなたの願い?」


「はい」


 女神は、少しだけ首を傾けた。


「自分のために使える願いなのよ?」


 美羽は小さくうなずいた。


「分かってます。でも……」


 声が震える。


「今度は、助けたいんです」


 女神はしばらく美羽を見つめていた。


 やがて、ゆっくりと手を上げる。


「いいわ。その願い、叶えてあげる」


 柔らかな光が美羽を包み込んだ。


「ありがとう……ございます……」


 美羽は涙を拭いながら頭を下げた。


 その姿が、光の中へ消えていった。


     ◇


 最後に残ったのは、山田直人だった。


 スーツ姿の男性で、年の頃は三十前後に見えた。


 直人はしばらく、ほかの三人が消えた場所を眺めていた。


「あなたは、どうするのかしら?」


 女神に尋ねられ、直人は顔を上げた。


「……そうですね」


 少し考えてから、苦笑した。


「願いを叶えていただけるというのは、ありがたい話なんですが……正直、何をお願いすればいいのか迷いますね」


「急がなくてもいいわ」


「ありがとうございます」


 直人は頭を下げた。


 仕事なら、何をすべきかすぐに思いつく。


 目の前の仕事を片づけ、次の仕事を確認する。誰かが困っていれば手伝い、頼まれれば引き受ける。


 そんな毎日だった。


 朝早く家を出て、帰るのは夜遅く。


 自分の仕事が終わっても、隣の席の同僚が困っていれば声をかけた。


『山田さん、これもお願いできますか?』


『ああ、いいですよ』


 何度、そう答えただろう。


 頼まれた仕事を終わらせると、感謝された。


 そのたびに、少し嬉しかった。


 けれど、仕事は減らなかった。


 休日も、電話が鳴れば出た。


 急ぎの案件があると言われれば、会社へ向かった。


 たまの休みには、昼過ぎまで眠っていた。


 起きてから何かをしようと思っても、身体が重い。


 結局、食事を済ませて、また眠る。


 友人からの誘いも、何度か断った。


『また今度な』


 そう返しているうちに、誘いは少なくなっていった。


 最後に家族とゆっくり食事をしたのは、いつだっただろう。


 旅行へ行きたいと思ったこともあった。


 何か趣味を始めようと考えたこともあった。


 けれど、何をしたいのか考えているうちに、休みが終わる。


 仕事の予定だけは、いつも埋まっていた。


 そして、ある日。


 胸に強い痛みが走った。


 息ができず、視界が暗くなっていく。


 倒れた先で、誰かが自分の名前を呼んでいた。


 それが、最後の記憶だった。


「……まいったな」


 直人は小さく呟いた。


「本当に、死んでしまったんですね」


「ええ」


「そうですか……」


 直人は目を閉じた。


 もっと早く帰ればよかった。


 疲れたときには休めばよかった。


 頼まれた仕事を、全部引き受ける必要なんてなかった。


 誰かに任せることもできたはずだ。


 断ったところで、世界が終わるわけでもない。


 そんな当たり前のことに、今さら気づいた。


「……女神様」


「なあに?」


「転生することは、できますか?」


「転生?」


「はい。もう一度、生まれ直したいんです」


 女神は、わずかに首を傾けた。


「強い力や、特別な能力ではなくて?」


「そうですね。そういうものも魅力的ではありますが……」


 直人は少し笑った。


「次は、もう少し自分の時間を大切にしたいと思いまして」


 仕事をしないつもりはない。


 誰かの役に立つことも、嫌いではなかった。


 ただ、そればかりになってしまった。


「仕事も頑張りたいですし、誰かの手助けもしたいです。でも、休むときは休んで、家族や友人との時間も大切にしたい。できれば、何か夢中になれることも見つけたいですね」


「そう」


「はい。今度は、うまくやりたいと思います」


 直人は、少し照れたように笑った。


 女神はその姿を見つめ、やがて手を差し出した。


「いいわ。あなたには、新しい人生をあげましょう」


「ありがとうございます」


 直人は深く頭を下げた。


 女神の指先が、白い空間のどこかへ向けられる。


 遠く離れた世界で、小さな命が生まれようとしていた。


 形作られた身体には、まだ魂が定着していない。


 女神は直人の魂を包み込み、その小さな身体へと送り届けた。


 直人の足元が光に溶けていく。


「それじゃあ、行ってらっしゃい」


「はい。お世話になりました」


 直人は最後にもう一度頭を下げた。


 その姿が消えていく。


 次に彼が目を開けるとき、そこには見知らぬ天井と、自分を抱き上げる両親の顔があるだろう。


 金色の髪と青い瞳を持つ、小さな男の子。


 その子は、アールハイドと名づけられることになる。


     ◇


 四人が去ったあと、白い空間には女神だけが残された。


 光を帯びた姿が、何もない空間に浮かんでいる。


 女神はしばらく、四人の魂が向かった先を眺めていた。


 そして、楽しげな声で呟いた。


「……少しは面白くなるかしら」


 その姿が、ゆっくりと薄れていく。


 やがて白い空間には、何も残らなかった。


     ◇


 王城の地下。


 魔法陣の光が、ゆっくりと収まっていった。


 魔術師たちは息を切らし、杖にすがるようにして立っている。


 床に描かれた紋様は、まだかすかに輝いていた。


「……どうなった?」


 広間の奥から声が上がる。


 誰も答えられなかった。


 やがて、魔法陣の中心に倒れている人影に、一人の魔術師が気づいた。


「人が……!」


 周囲がざわめいた。


「成功したのか?」


「分かりません。ですが、確かに人が……!」


 魔術師たちが駆け寄る。


 倒れていたのは、一人の青年だった。


 見慣れない衣服をまとい、静かに目を閉じている。


 やがて青年の指が動いた。


「……ん?」


 中村悠真は、ゆっくりと目を開けた。


 目の前には、石造りの天井があった。


 身体を起こすと、何人もの人間が自分を取り囲んでいる。


 杖を持った男たち。


 豪華な服を着た者たち。


 そして、床に描かれた巨大な魔法陣。


「おお……!」


 誰かが歓声を上げた。


「成功だ! 異世界からの召喚に成功したぞ!」


 広間が騒がしくなる。


 悠真は周囲を見回した。


 聞き慣れない言葉のはずなのに、何を言っているのか理解できた。


 どうやら、女神の言っていたことは本当らしい。


 悠真は口元を緩めた。


「……なるほどね」


 彼を取り囲む人々は、期待に満ちた目でこちらを見ていた。


 その視線を受けながら、悠真はゆっくりと立ち上がった。

続けたい。この気持ち



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