前編
「ぅええへへへへへへ」
「…ですから、えへへへ」
「じゃなくてぇ、は?え?あー、そうですか、ぅへえへへへへっへ」
…
いつまで経っても慣れない。
実に癇に障る笑い声だと思う。
二人しかいない支店の駐在員といえば聞こえがよい方だが、
その実、ただの電話番だ。事務所と呼ばれるマンションの一室で二人、古びたノートパソコン、電話機、メモ用紙とボールペン、そんなものがデスクに載って向かい合っている。
声の主は年下の部下だ。名前は河瀬、中肉中背でどこにでもいる草臥れたサラリーマンだ。
「ぃやー参ったなぁ、そういうこと言ってるんじゃないんですよ、でもね、でもね?、
ちょっと聞いてくださいよぉ、うぇへへへへへへ、はははは」
おそらくは仕入先からの陳情を受け答えしていると思われるのだが、
相手先が誰なのか、そしてなんの商談なのかは皆目見当もつかない。
そもそもこの電話を河瀬からかけているのか、先方からかかってきたものかもわからない。
専用のコールセンターは設置されているので、通常、電話はかかってこないはずだが、
まれに支店という名前から、地域の代表と勘違いされるケースもあって、
関係取引先、一般顧客の区別なく問い合わせが入ることもある。
本社が様々な事業に手をだしているので、その内容は多岐にわたるが、
問い合わせのほとんどは専門部署へと回してしまうので浅い知識でも対応できてしまうことが常だ。
昨今は、電話じゃなくチャット問い合わせの方が増えているので、より珍しくなっているのが実情。
そろそろ備え付け電話という存在自体なくなるかもしれない。
そうなると、そもそもこの事務所も、ひいては我々も必要あるのかという話しだが。
「…まぁそういうわけで、はい、では、どうぞこれからもよろしくお願いします。え?飲みにですか?勘弁してくださいよ、うぇへへへへ、ではでは」
『どこの電話?』
「あー、隣の県担当からですよぉ、困ってることがあるらしくて手かしてもらえないかって」
『知ってるやつなのか?』
「まぁ、前の部署の時に一緒に仕事したくらいですが、手伝ってやってもいいですかねぇ」
ここに異動してきて、まだ日も浅く、正直どういうやつなのかわかっていない。
経歴だけは、吊り書きで読んだが、いくつかの支店を転々としているだけで、
だいたい今と同じ仕事をしてきているんだろう、かくいう自分もそうなのだから、
似た者、しいていえば、何年か前の自分のようではある。
『こっちの仕事が終わってんならいくらでも手伝ってやれよ、お前の仕事だろうしな。
それより、この前言ってた案件どう?』
「この前?」
きょとん。
音がしそうな顔をするが、その表情を出す場面じゃないだろう。
流石に、イラっとしてしまうのが顔に出てしまう、それを見てか、
河瀬はおどけたような、怯えの走った半笑いになった。
わかってやってるのか、そうだとすればよりたちが悪い、
危急の仕事を頼んだのに、それでは話しが違うだろう。
「ちょっと何かわかんないですね、え、へへへ、へへへへへへ…」
『わざとやってる?頼んだよな、入荷が遅れてて納期に間に合わないこと伝えておいてくれって、言ったよな、早めに伝えておかないと先方が困るって』
「…ああ、その話しですか」
一瞬風が過ぎたように間があった、正確には風が過ぎる前、すべてが止まったように見えるあれだ。
もともと目が笑っていないそれが、笑顔の形すら保たなくなった、
ふてぶてしいと言えればまだいいのだが、
どう見ても不貞腐れているといった、子供のような表情。
仕事を嘗めてんじゃないかと、一緒に仕事をしだしてから気になって仕方ない。
言動、態度、端々から感じる様々なもの、どうしても気に障る。
そう、俺はよくわかってないが、感覚として、河瀬が好きではない。嫌いだ。
『その話しだよ』
「それって、俺の仕事なんですかね?」
『はぁ?』
「だって、若井さんの仕事ですよね、聞いたの若井さんなんだから、俺がやる必要なくないすか?」
『ただの伝言じゃないか、誰のでもないだろ、何言ってんだおま…』
「誰のでもないなら、俺じゃなくてもいいじゃないですか」
『この事務所に、お前と俺しかいないんだから、俺がやれないならお前がやるしかないだろ!?』
「別にやれないことないでしょ、実際今俺に聞いてるくらいなんだから、その時間にやればいいじゃないですか」
『違うだろ、今尋ねるまでにやっておいてくれって話しだったろ、やってないのか、ないんだな?』
「…そんなに急ぐ必要あったんですか?」
『…話し聞いてたか?』
「ちょっと、恫喝をやめてもらっていいですか、その怒鳴るの」
二人きりの事務所だ、諍いはできるだけ避けたい。
アンガーマネジメントを思い出す、怒る前に3つ数える、、、、よし、
ゆっくりと諭そう、子供を扱うのと同じだ、正面から対立しない、
立場は平等を意識して、対等に会話を求めるのだ、右のほほを差し出す覚悟を
「ちゃんと説明しておいてくれないと、どれくらいやらないといけないかわかんないじゃないですか」
『いや、簡単なことだろ、電話かけて説明するだけの、頼んだんだからやってくれよ』
「じゃぁメールでも送っておいてくれりゃよかったじゃないですか」
『こっちが迷惑かけてるのに、そんな適当なことしたら失礼だろう、せめて電話で伝えないといけないことだろう』
「…それがおかしいんですよ」
『どこがだよ』
「だから怒るのやめてくださいよ、ハラスメントですよそれ」
批難の視線という名前の、ごみを見るような目でこちらを見てくる。
そして言葉が穏当ではない、諍いは避けるべきだが、解決に衝突は必然だ。
なにより、売られた喧嘩は買わなくてはならない。
クソ生意気な若者は、徹底的に叩き潰さなくてはならない。
『なんでもハラスメント化して事態をどうこうしようと、論点をずらすのをやめろ』
「…」
『いいか、俺は仕事を頼んだ、お前…いや、君は部下だ、上司である俺の仕事をする立場だ、義務がある。それを怠っていたということだぞ、なぜやらない』
「だから、俺の仕事ではないからですよ、いや、俺がやるべきだと思えないからですよ」
『何を、そんな難しいことか!?、得意先にすみませんと、一言いうだけ…』
「それですよ!、なんで俺が謝らないといけないんですか」
『はぁ?』
「なんも悪くないのに、なんで俺が謝らないといけないんですか、なんで謝らせるんですか!謝りたくないからでしょう、あなたか、違う人か、誰でもいいけど、誰かが悪いと思ってることを俺にやらせようとしてんでしょう、だから嫌なんですよ!」
嫌悪というよりも、怯えが走った表情が目に飛び込んでくる
理解が追いついてない、訴えてくる表情がゆっくりと映像として流れ込んでくる
何を言っているんだ?「謝りたくない」?
「自分がやりたくないことを部下にやらせるのなんて、それこそ、パワハラじゃないですか!黙ってないでなんとか言ってくださいよ!俺はやりませんよ、絶対謝りません、嫌です」
『ちょ、ちょっと待て、待て待て待て待て』
「なんですか、嫌ですよ、でもまだ別に人事に訴えようとかそこまでは思ってませんよ、今からならやり直せますよ、…へ、へへへ、そうだ訴えないですから、ほら」
『いや、ちょっと待て、それはそれで有難いというか、あーもう、面倒臭ぇな、そういうことじゃない、お前大きな誤解をしてないか、謝るのは確かに謝るんだが、ちょっと頼みごとをする程度のことだぞ、捉え方が大仰にすぎるだろう』
「なんすかその誠意のない対応、そんなのやらせないでくださいよ、そんなんだったらやらない方がいいじゃないですか」
『よくねぇよ、先方が困ってしまうだろうから先に知らせて、後から大きなクレームにならないようにするための誠意じゃねぇか』
「言い訳ですよねそれ、後から怒られたくないっていう」
『なんでそんな卑近なことを言うかな、普通の、商習慣上のやりとりだろう、取引上必要な情報のやりとりじゃないか』
「難しい言い回しにしてるだけで、結局責任逃れの姑息なことを他人に押し付けてるだけですよね」
平行線というには、あまりにも線が離れすぎてる。
会話にならない、抵抗というと随分かっこうがいいものだが、
やらないと決めた面魂は、なかなか堂に入っている。
だからといって、そんなつまらないことを許せるはずもない。
とっとと、幼稚な理屈を喝破して、ひとつ謝らせなくては。
どうするかとあぐねているが、河瀬の方もこの事態をどうしたらいいか、
おどおどと視線をせわしなくしている、恰好だけは立派だが小心者だ。
るるるるるる…るるるるるる…
「はい、山科支店河瀬です」
渡りに船と思ったかどうかわからんが、河瀬が2コールで電話をとった。
そういうことはできるのかよ、
業務フロアの鉄則で電話は3コール以内にとることについては、見ている限りこなしている。
根は真面目なのかもしれない。
「はい、あっ、園部建設の田野倉さん!、いえ、はい、いつもお世話に、はぁ、あ、入荷予定の件ですか?」
はっとした姿でお互い見つめ合ってしまった。
河瀬が目を見開いてこっちを見る、こっちも多分同じ顔をしてしまっているだろう。
こっちみんな、そう思うのだが、そういうわけにもいかんな、
河瀬は、さっきよりもさらにせわしなく視線を泳がせている。
くだんの連絡を入れておきたかった取引先だ。
建物の基礎工事に使うセメントが一時的に不足しているとのことで、あれこれ手を尽くしているが、
どうしても約束期日に全量は納められなくなっている。
「は、いや、その、あのー、ですね、いわゆるひとつのー、なんといいましょうか…」
ちょうどいい機会ではある、先方からという形になってしまっているが、
さっさとここで謝っておいて、お互いよい落としどころを探すのが穏当だろう。
口出しするわけにはいかないから、メモで指示を出すことにする。
しかし、メモが書きあがるよりも先に会話は進んでいる。
「あー、その件についてもアレなんですが、それとは別にちょっといいですかね、
ええ、はい、はい、田野倉さんにはいつもお世話になってますし、ええ、はい、
だからこそですね、ええ、是非お伝えしたいというか、むしろ、相談?そう、
御相談したいことがありまして、ええ、私の身の上話みたいなもので恐縮なんですけどもね…」
何を言い出すんだ、物凄く嫌な予感がする。
「はい、弊社とずっと長くお付き合いいただいてまして、はい、担当も次々変わる中、
ずっと一緒にお仕事していただけて、本当にありがとうございます、はい、いや、
心から思ってるんですよ、本当に、だからこそのええ、田野倉さんだからぜひ聞いていただきたいのですが、
はい、そう、弊社の若井のことなんですが…今ね、私の上司でして、ああ御存知、そりゃそうですよね、
その若井がね、ああ、そうだ、田野倉さんはどう思われます?そう、岩井のことを…」
電話切ってやろうか、一瞬、手を伸ばしかけたが、
素早くフックを守られた、そして視線を外して電話を続ける、
相手先があることだから、流石に乱暴なこともできないが、見守っているだけはあまりにも苦しい。
「…いやね、その、ちょっとパワハラ気質なところがあると思うんですよ、
あ?そんな感じしない、そうですよね、お客様相手にはそうなんでしょうね、ええ、わかります。
でも、部下には圧力が強くて、その無理なことをね仕向けてくるんですよ、はい、
え?育ててる?、いやいやいやいや、違いますよ、買い被りすぎですって、
絶対そういうのじゃないです、もっと利己的で、嫌らしくて、自分勝手な感じですよ、
そう、嫌なことをさせようという、いじわるなそれが本当、もう、辛くて…」
小芝居が入ってきたが、ヨヨヨなどと、泣いているような風情が実にうまい、
いや、腹が立つ、なんてことを言いやがるんだこの馬鹿野郎は。
それに付き合う田野倉さんが、かなり庇ってくれているように聞こえるのは、
正直心温まるエピソードとして刻んでおきたいことではあるが、
この馬鹿をどうしたらいいやら。
「は?そんなはずがない、いや、実際私が言ってるんですから間違いないですよ、
ええ、思い違いって、そんなわけな、あ、はい、はい、ええ、でも、いや…」
…。
どうも田野倉さんが必死に説得してくれているようだ、大変ありがたい。
そして本当に申し訳ない。ここで受話器をひったくって、感謝とお詫びをしたいところだが、
企業として、ちょっとどうかした若手を囲っているという対面の悪さがそれを許さない。
ともかくありがとう田野倉さん、そして、申し訳ない、お待ちいただいている荷物は届かない。
「え、いや、そんな、良いですよ、仲介に入っていただくとか、そういうのは、
違うんです、そういうことじゃないんです、だから、ほら、田野倉さん、ちょっと聞いてください、
ちょ、あ、だから、その、ああ、すみません、別の電話が入ったみたいで、一旦失礼します、
失礼します、すみませんすみません」
ちゃりん、
『え、お前、何勝手に電話切ってんだよ』
「いや、話しの流れがおかしいから、っていうか、やめてくださいよ人が電話してんのに、
変な顔して妨害しようとするのは」
『お前、いい加減にしろよ、ってか、今お前謝ってたよな、すみませんって、軽い感じで誠意もなく』
「…まぁ相槌みたいなもんですからね、それくらいの社会常識は」
『本当、マジお前なんなんだよ、なんでそれができて、納期の連絡が出来ないんだ、ってか、
今千載一遇のチャンスだったろ、さっさと言っておけばよかったのに後回しにするほど、
お前の罪が重くなるんだぞ』
「つ、罪!?ほら、出たよ、人のせいにするやつ、なんでいきなり罪とかキリストみたいなこと言い出すかな、
どんな圧迫面談だよ、ふざけてんのはそっちでしょ、マジ勘弁してくださいよ、労基に言いつけますよ」
『話しにならねぇ、どうなってんだお前、なんだその倫理観、ふざけてんのか』
「だから、怒鳴らないでくださいよ、怖いな、やめてください」
『いいからさっさと田野倉さんに電話しろ、納期遅れます、すみませんって!』
「絶対いやです、罪は、あんんたにある」
『てめぇ、いい加減にしろよ、それは背任行為だぞ、仕事嘗めてんのか!!』
とるるるるる…
「はい、山科支店河瀬で…あ、こりゃどうも、いや、えへ、えへへへ、うへへへっへへへ」
次の電話が飛び込んできて、また、会話というか、諍いが中断する。
今度は様子からして、田野倉さんではないらしい、さっきまでと打って変わって、
またも癇に障る笑い声を披露しているが、ひょっとして、以前仕事したとかいうやつなのか?
「いやいやいや、ちょっといや、すんません、こっちの仕事終わるまで手伝えなくて、
そうなんですよ、上司から言われてて、もう本当申し訳ないね、ごめんね、うへへへへ」
そっちは謝れるのかよ、どういう神経してんだ。
「え?いや、だって、上司がやるなっつってるから、でもよ、いや、ほら、
無理だって、いきなりそんな量のセメント捌けるわけないだろ、無理無理無理、
そういう面倒なのこっちに持ってくんなって」
…。
もしかして、色々とうまくいくのではないか。
若井は慌てて、今度こそメモで河瀬に指示を出す。
【状況を説明しろ、セメントは田野倉さんところに持っていけないか?】
つづく




