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とある副隊長のはなし

 カイ───カインド・ユーバンクと言えば、街の人々ならば大抵は…特に若い娘達の間では知らない人はいないだろう。

 なにしろつい先日、隊長が騎士に叙任されるという喜ばしいニュースで話題をさらった、王都守備隊の副隊長である。

 当の隊長であるアンドレアス・オースティン様は恐ろしく強いと評判の美丈夫だが、既に才色兼備の婚約者を持つ身。その右腕・親友にして、遊び人とも名高い色男が独身とくれば、町中の娘が秋波を送るのも無理からぬ話だろう。

 駄目押しをするなら、カイは王族の血を引く名家の生まれでさえあった。


 幼馴染みとしては、カイがただの軽薄な男と目されるのは些か業腹だけれど、当の本人がそう振る舞ってみせるのだから仕方がない。


 『こっちの方が何かと都合がいいんだよ。なにしろウチの上司は腹の探りあいなんかできない唐変木だからな!小細工や根回しは俺の仕事だ』


 などと笑うので、さすがに失礼だろうとたしなめたけれども。


 人の集まるところに騒動のタネはある。だからカイがああして酒と───女の匂いをさせて帰ってくるのも無理からぬ話。そう自分に言い聞かせる。



 (そもそも『帰ってくる』なんて表現もおかしいわよね。家に帰ればもっと大きなお風呂も、豪華な食事だって…)



 それなのにこうして来てくれるから、自惚れてしまいそうな自分を抑え込むのに必死なのだ。ただ彼に恋い焦がれるだけの女だと露見するのが、そうして彼に秋波を送る『その他大勢の女の子』になってしまうのが怖いだなんて、傲慢だろうか。


 少なくとも幼馴染みでいる内は、彼の特別でいられるだろうか。



 と、ぼんやり思ったところで。



 リーン、と不意にドアベルが来客を告げた。


 大声で応えを返しつつ、慌てて火を加減する。急いだが、それでもカイの方が───風呂上がりでシャツのボタンさえ留まっていないカイの方が早かった。



 「はいはーい?」


 「ちょっ…!カイ、そんな格好で────!」



 私が慌ててリビングから飛び出すのと、カイがまだ髪からポタポタと滴を落としながら訪問者を迎え入れるのはほぼ同時だった。



 「おにーーーーーさまっ!!!!」



 ドアを開いたままの態勢のカイの胸に、勢いよく飛び込んで来たのは───


 波打つ豊かな金髪、ビスクドールのように白い肌をした、眩いばかりの少女だった。



 「もう!探しましたわカイおにいさま!詰所まで出向きましたのに、お仕事で出られてそのままお帰りになったと聞いて、ご実家まで伺いましたのよ!それなのにシヴィルおばさまったら、カイおにいさまの居場所を教えて下さらなくて…セバスが苦労して調べあげたのですから!まさかこんなところにいらっしゃるなんて───あら、ところでそちらはどなた…?」



 輝くような笑顔で喋り続けたあと、ふとこちらに向けられた少女の蒼い瞳が急に剣呑とした気がしたが、すぐにそれを遮るかの如くカイが動いた。

 己の腰に抱きついたままの彼女の腕をやんわりと掴んで引き離し、呆れたような声音で呟く。



 「こんなところって…いえ、それより何をしておいでですか、フェミーナ様。ご両親はこのことをご存知なのですか?」


 「そんな他人行儀な話し方はやめて!大丈夫よ、執事のセバスが一緒ですもの」



 外で待たせておりますわ、と何故か誇らしげな少女の名は、フェミーナと言うらしい。

 

 (フェミーナさま…?)


 なかば呆然としたまま成り行きを見守っていたが、不意に聞き覚えのある名前が耳に入って我にかえる。


 フェミーナ…どこかで聞いた名だった。



 「いいわ、紹介して下さらないのなら(わたくし)から名乗ります!」



 ツン、と居住まいを正した少女は、豪奢なドレスの裾を摘まんで軽く膝を折り、淑女の挨拶をしてみせる。



 「私の名はフェミーナ・シャルマン・エルケナル。カインドさまの婚約者ですわ!」


 「え……」


 (こん…やく…?)



 ポカンとする私をちらりと見やって、カイが深い溜め息と共に吐き出す。



 「…そんな話は、とうの昔に終わったはずですが。そもそも叔母上様ご自身が、フェミーナ様の産まれた時に舞い上がって吹聴してしまっただけだと仰っておられたではありませんか」


 「し、知りませんわ!私はカイお兄さまと結婚します!」



 叔母上様、という一言にハッとする。

 カイのお母さま…シヴィル様の妹君を母に持つと言うことは、彼女──フェミーナ様は王姉アルテア様のご息女ということだ。

 そもそも王国名『エルケナル』を冠する名を名乗ることが許されるのは、王族に連なる者だけ…だったはず。


 比喩でも何でもない、彼女は正真正銘のお姫さま。


 思わず言葉を失って立ち尽くしていると、フェミーナ姫は冷ややかな笑みを浮かべて言った。



 「別に、淑女の礼をとれなどと無茶を言うつもりはありませんけれど。いくら一般庶民と言えど、お名前くらい名乗るのが礼儀ではありませんの?」


 「あっ、…申し訳ございません…!」



 あからさまに毒を含んだ言葉に、思わず萎縮してしまう。俯くと、草臥れた生成りのエプロンや何でもない普段着のワンピースが目に入って、なんだかとても惨めな気持ちになった。


 知らなかった、と思うと同時に納得してしまった。シヴィル様が豪商とは言え商家に嫁いだために王位継承権は持たないが、カイは本来『エルケナル』を冠する資格さえ持ちうる生まれなのだ。



 「私は…」


 「彼女はただの幼馴染みですよ。あなたには何の関係もない」



 震える声を振り絞った私を、カイがバッサリと遮る。一歩こちらに後ずさったカイの背が、私の視界からフェミーナ姫を消し去った。


 どこかホッとすると共に、心のどこかがツキリと痛む。


 知っていた、分かっていたはずの『ただの幼馴染み』という関係を、こうしてカイの口から肯定されてしまうのは初めてだった。



 「ふぅん…。まぁいいですわ。それよりもカイお兄さま、せっかくの城下ですもの、エスコートしてくださるわよね?」


 「…その前に、城に知らせをやらないといけないでしょう。職務上あなたを放置はできません」


 「職務上だなんて、つれない言い草ですこと。表に馬車がありますわ、参りましょ!」



 幾度めかの溜め息を吐いて、支度します、とカイは彼女を扉の外へと出した。その拍子に風が吹き込んで、ふわりと花の香りが漂う。

 フェミーナ姫の香水か、匂袋か。盛り場の女性たちとはまた違う、高貴な百合の香り。


 ──何もかもが、自分とは違っていた。



 「突然悪かったな、ソフィー。あぁ見えてフェミーナももう18なんだが…遅くに授かった末の姫で、叔母上様たちも甘やかして育ててしまったと反省を───ソフィー?」


 「え?あっ…ううん、なんでもないのよ。ちょっとびっくりしちゃった」



 自分の笑い声も、カイのどこか気遣わしげな顔も、なんだか遠くに感じた。


 

 「私、本物のお姫さまにお会いするなんて初めてで。お怒りじゃないといいのだけれど」


 「無礼というならフェミーナの方だろ。全く…10年前から全っ然成長しちゃいねぇ…」


 「…その言い草だと、どう考えてもカイの方が失礼千万よ。いいから早くちゃんとした服を着て!表でお待ちなんでしょう?」



 あなたのお姫さまが。



 もし口に出せば、その言葉はとてつもなく嫌味ったらしい響きを帯びてしまったろう。必死で心の中で噛み殺し、なんでもない素振りで着替えに向かったカイを見送る。


 …認めてしまおう。私は彼女が羨ましくて、妬ましくて仕方ないのだ。行かないでと、我儘を言ってカイを困らせたかった。そうしてできるなら、仕方ないなと笑いながら、それでも私を選んで欲しかった。


 記憶の中にある、自分の両親はいつも笑っている。お互いがお互いの最愛の人だと、臆面もなく言って憚らなかった。二人のそれを愛と呼ぶなら、自分の醜いこの感情は何なのだろう。



 「…皮肉ね…」


 

 本当はこの気持ちをぶつけてしまいたい相手。けれども同時に、こんな汚い感情を知られたくはない相手。


 何度忘れてしまおうと、断ち切ろうと思ったことだろう。けど────



 バタバタと支度を済ませ戻って来たカイが、両手を盛大に鳴らして『ごめん』のポーズをとった。昔から変わらない仕草に、ようやく自然な笑顔が浮かぶ。



 「ほんっとにごめんな!今日は他に用事もあったんだが…また出直す」


 「うん。サンドウィッチは…ちゃっかり持ってるわね。…気を付けて、」



 『いってらっしゃい』を何となく言い淀んだ私に、カイは一歩近づいた。節くれだった長い指がそっと私の前髪を掻き分け、温かな感触が額に触れる。



 「ん。…行ってくる」



 どこか儀式めいたこの親愛のキスを、カイは欠かさない。その意味するところを、私は知らない。聞くこともできないでいる。


 ひらりと手を振って出ていくカイの後ろ姿が扉の向こうに消えるや否や、その場に蹲って膝を抱いた。



 そんなに優しく触れないでほしい。

 忘れさせても、断ち切らせてもくれない。

 ねぇ、この気持ちを、私はどうしたらいいのかな。



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