21.セオドア視点
毎夜、彼女の元へ向かった。傍にいるだけでもいいと思っても、顔を見れば否が応でも欲望は膨らむ。しかしあの日以来、一線は越えていない。とにかく眠れと、彼女に言われるからだ。
心配されていることに嬉しく思い、毎夜数時間だけ彼女の香りに包まれながら眠る。心を落ち着かせる効果があると言われるクロラの香り。彼女の温もりと共に嗅げば、より一層効果が増す気がした。
執事のアーロンや侍女に疑われぬよう、己の寝室のベッドで少しだけ横になる。その際にクロラの花も一緒に乗せて、己が纏う匂いはこの花のせいだと思わせた。それでも、老年の執事であるアーロンには何か勘付かれている気がする。
私の内から出る感情の変化など、彼ほどの経験を積んだ人物には気付かれて当然だろう。仕事中はとにかく彼女のことを頭の中から追い出して、復讐のことと作戦のことだけを考える。ふとした瞬間も気を抜かず、普段と変わりのない態度を貫くことにした。
各国からの要人と商人が集まり、王侯貴族も出揃っての秋の狩猟大会が始まる。狩猟大会とは言え、本当に動物を矢で射るわけではない。放たれたウサギを矢の先端に色紛の入った麻布袋を巻いた矢で射り、己の色のついたウサギの数を競う大会だ。
直接ウサギに矢を当てなくとも、地面や木に充ててその周囲にウサギがいれば麻布袋が破裂して色が付くため、ウサギを傷つけたくない淑女でも馬に乗ることさえできれば参加できる。
結局ウサギを追い立てることには変わりないのだが、帝国内ではウサギは食料ではなく観賞用の愛玩動物だという認識をされているため、殺すのは忍びないと考える者が多かった。私は、トリクシーが大勢に追い立てられてウサギがかわいそうだと言われてから、この大会には参加していない。心優しい彼女を悲しませたくなかったからだ。
それでも、帝国としては伝統行事なのでやめることはできない。昔は本当に狩っていたというのだから、昔と比べれば軟化したと言えるだろう。
この大会が開かれるまで、フィッシャー伯爵家やキッシンジャー伯爵にあの女が危害を加えないか目を見張っていたがそのようなことにはならなかった。いや、もしかしたら計画だけはされていたのかもしれない。
現に、見回りを強化していた第二騎士団が、フィッシャー伯爵邸の近くの路地で怪我をしていた無残な姿のごろつきを捕まえたそうだ。最低でも一か所は骨折しているというから、余程の実力者と対面したのだろうと軽く考えていたが……
その夜、随分と機嫌のいいアリアに不審に思う。何かあったのか聞けば、肩慣らしに協力させたと謎めいたことを言っていて、どういうことか追及したが早く寝ろと制された。
ごろつきの件を聞いた時、また一人で危険なことをやっていたのかと眉根を寄せる。我々は様子を窺われているというのに、分かっているのだろうか。下手に動けば気付かれるかもしれないのに。
いや、彼女ならば、気付かれるような下手は打たないだろう。それでも不安ではある。例え中身が悪魔でも、彼女は女性だ。何かあってからでは遅すぎる。
駄目だ。今は任務に集中しろ。一応確認をしたとは言え、皇帝陛下も参加する狩猟大会だ。クマやオオカミなどの獣がいないかどうか確認している最中だというのに関係ないことを考えてはいけない。今は目の前のことにだけ集中するべきだ。
馬の腹を踵で蹴り、悪路を駆ける。蹄の軽快な音が響き、警戒心の高い獣は遠くへ逃げていくだろう。速度を上げて、尚も獣道を進む。手綱を引いて馬を停止させると、今度は真左に進路を変える。何度も何度も右へ左へ前へ後ろへと繰り返しながら、警戒は怠らない。
本来ならばこのようなことは管理職の仕事ではないが、少しでもあの女に遭遇する機会を減らしたくて買って出た。こんな時にまで、あの女に付き纏われたくなかったからだ。
そう言えば、あの女が初めに私に近付いて来た時、私のミドルネームと己の名字が同じであることを引き合いに出されたことを思い出す。名字が被ることなど、当然あるに決まっている。親の名字や祖父母の名字、地名から取る者だっているのだから。
私の場合は先帝の側室であった祖母が住んでいた土地の名前がアディントンで、そのアディントンの片田舎の廃れた村の出身だった。奉公人として王宮で下働きをしていたところ、当時の皇后陛下の目に留まり侍女に引き立てられたのだ。
元々美しかった祖母だったが、困窮する生活の中で身嗜みを整える機会などなく過ごしていた所へ、皇后陛下の引き立てで侍女を務め、皇帝陛下のお手付きとなり側室となった。
貴賤を問わない。それが後宮という場所だ。そうでなければ、血を絶やすことなく存続し続けることはできないから。
それでも、身分の低い祖母が皇帝陛下のご寵愛を得たことを疎ましく思う者達はいた。それらの妬みを皇后陛下の庇護の下耐え忍んだ祖母は、母を身籠ることとなる。
若い頃困窮した生活を送っていたため体が丈夫ではなかったようで、母を産んで亡くなってしまい、その後は皇后陛下の元で育てられることになった。
妹のように可愛がった子の娘だから、と娘として育て、産みの母である祖母のことを忘れぬようにと、皇后陛下が母にアディントンのミドルネームを授けたというのは有名な話だ。
そういった事情を知っていれば、トリクシーのミドルネームが皇帝陛下やアルバート皇太子殿下と同じ苗字であることも理解できる。公式に先帝の婚外子であると認められていたため、アインツ公爵家に養子に出す際にその身の尊さを証明するためアークライトの名を授かっていたからだ。
しかし、そのことを含めて私や皇太子殿下と仲のいいことが気に食わなかったアディントン男爵令嬢は、何かとトリクシーを貶めようと画策していた。結局、トリクシーの人望が厚くて、ほとんどの噂は誰かの妬みによるものだとされ消えて行ったが……
だからなのか? トリクシーをあんな目に合わせたのは。彼女の境遇は、彼女自身が選べたものではない。与えられた環境に驕ることなく、その人柄の良さで人々を魅了した彼女を何故妬む? 彼女のような人が、恐怖や苦しみに包まれながら死ぬ必要などまったくなかったというのに……
彼女のために復讐を果たす。その為にすべてを犠牲にする。その気持ちに偽りはない。だが、何故か思い浮かべた彼女の笑顔が段々と遠ざかっていく。アリアを愛したことで、トリクシーを失ってしまうというのか?
嫌だ。失いたくない。けれど、アリアのことも愛している。己の中に渦巻く感情を消化できず、藻掻いた。
二人は、似て非なる存在だ。元々魂がアリアのものだからなのか、今にして思えば優しい中にも揺るがない決断力を見せる際のトリクシーの強い瞳はアリアに瓜二つだった。
ならば、トリクシーはアリアの紛い物だとでも言うのだろうか? いいや、そんなことはない。彼女は確かに存在した。穏やかで心優しく、そのすべてを守ってあげたいと心からそう思える唯一の存在なのだから。
彼女への愛は、まるで華やかな花園で日差しを浴びながら穏やかに愛を育み続ける、そんな愛情なのに対し、アリアへの愛は、己の激情をすべて吐き出すかのように焦がれて止まない、食らい付くような愛。正反対の感情を呼び起こす二人が、同一の存在なのか、或いは別なのか、考えれば考えるほど頭を抱えることになる。
私は一生、この苦悩を抱えながら生きるのかもしれない。二人の女性の狭間で、己の愛情を試され続けるのだ。永遠に。
頭を振って思考を飛ばす。答えのない迷宮に迷い込んで、自ら逃げ道を塞いだ。後戻りはできないのだから、考えても始まらないと、手綱を引いて馬を停止させた。
そこに、同じく騎乗している誰かが近付いてくる。茂みの間から現れたのは、フォンクシー国のフィッツジェラルド子爵だった。使節団の任務は既に終わっているため、帰国したとばかり思っていたが。
「どうも初めまして。お会いできて光栄です、ブラッフォード公爵」
「初めまして、フィッツジェラルド子爵。貴殿は既に帰国の途に着いておられたと思っておりましたが、私の認識違いだったようですね」
「そのつもりでおりましたが、本日の狩猟大会までは皇太子殿下の護衛をさせて頂いております。明日には帰国致しますので、こうして挨拶に参りました」
「そうですが、ご丁寧にありがとうございます」
しかし、わざわざ挨拶に来るような関わりもなかったような気がするのだが? 彼は、何を考えているのか分からないが、終始笑顔を向けている。悪気もなければ悪意もないが、何か妙な気がする。
それでは、と彼は踵を返して森の中に消えて行った。何だろう、とても胸がざわつく。決して不快なものではないが、不安とまではいかないが安心できない気持ち。何故そう思うのかは分からなかったが、明日には帰国するのだから別にいいだろう、と深く考えることをやめる。
その日の狩猟大会は、アルバート皇太子殿下とオークウッド卿の同数勝利となった。オークウッド卿のことだから決して手は抜かないだろうと思っていたのだが、何故か同数という結果。毎回毎回、誰にも譲ることなく優勝を攫っていく彼に勝てた者は今まで一人もいないというのに。同数とはいえ、彼に迫れたことは大変驚きだ。
ほぼ儀式に近い狩猟大会を終え、明日は豊作と平和を祈る厳かな神事が行われる。その翌日には狩場から王宮への移動が行われると共に、遂に後夜祭の宴が開かれる。
無礼講が許される唯一の日であり、皇帝皇后両陛下に加え、王侯貴族と各国要人のダンスや、一般市民の謁見が行われるのだ。
彼等は、目の当たりにするだろう。この世界を窮地に落とし、慈悲も希望もない悪夢の象徴だった悪魔を。彼女の怒りで世界がどんな末路を辿ったのか。それを忘れ去って生きてきた人類への戒めが、今始まるのだ。




