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二十九呪 いるはずのない者

「蛇喰、どうしたんだよ!? 何があった!?」


 必死に声をかけるが、瞳が不規則に揺れるだけで反応らしい反応はない。どうにかして近づこうとした叶真の耳に、小枝を踏み割る音が飛び込んで来た。それは、鈴音の真後ろ。まだ続いている、森の奥からだ。


 パキリ、パシャリと、枝を踏み割る音と水が跳ねる音を響かせて、一人の少年が姿を現した。


 身長は、叶真よりも僅かに小柄で細い。ボロボロなうえ薄汚れて色のわからなくなったカーゴパンツに、真っ黒いパーカーを着ている。俯きフードを目深に被った少年の顔は、わからない。だが、そんなことは関係なかった。例えその少年がバッチリとフルメイクで女装をしていようが、誰だかわかっただろう。


 叶真の血を分けた、唯一の兄弟なのだから。


「キュウ……!? なんで、なんでお前がここに!?」


 ほとんど悲鳴のような声で尋ねた叶真に向かって、録音でもして流したかのようなそっくりな声が投げかけられた。


「なんで、とはご挨拶だね。まさか、自分の実の兄貴のことを忘れたわけじゃないだろう? もしそうだったら、お兄ちゃん悲しいなあ」


 その言葉と同時、叶真の実の兄――求磨(きゅうま)は、目深に被ったフードを鬱陶しそうにかき上げた。


 最初に目に映ったのは、紅だ。血のように、とまでは行かないが、ずいぶんと赤みの強い髪の色をしている。染めているようにしか見えない色だが、これでも地毛だ。生まれた時から知っている叶真にとっては、見慣れた安心する色。


 だが、瞳の方が違った。そっちは、もっと紅い色をしている。それこそ、血のように。


 最後に見た時よりも真っ赤に光る眼は、右目だけ。だがそれも右目だけ色が変わっていると言うわけではなく、ただ単純に左目は医療用の眼帯で覆われ見えないだけだ。眼帯を取れば、同じ血色が現れることだろう。


 髪と瞳の色と、眼帯。その二つを除けば、フードの元から現れた顔はとてもよく似ていた。同じ、と言ってもいいくらいに。


 一年ぶりに見る求磨の姿に愕然としながらも、叶真は声を荒らげた。


「忘れるわけ、ないだろ……!! キュウ、お前今までどこ行ってた!? いきなりなんも言わず親父と行方眩ませて……!! それに、いつ蛇喰と知り合った!? なんでお前が蛇喰と一緒にいるんだよ!!」


 ニヤニヤと不気味な笑みを浮かべる求磨は、激昂する叶真のことをあからさまに面白がっていた。


「まったく。キョウは酷いなぁ。お兄ちゃんに向かってそんな口の利き方をするだなんて。不良にでもなったのかい?」


「ふざけてんじゃねえぞキュウ!! 大体兄貴っつったって、生まれたの五分と変わらねえじゃねぇかよ!!」


 そう。一応兄と弟ということになっているが、生まれたのはほとんど同時。つまり二人は、一卵性の双子なのである。


 楽しそうに嗤う求磨は、わざと叶真の神経を逆撫でするような口調で続ける。


「そこの女には、僕のことを兄貴と紹介していたじゃないか」


「そりゃ人に紹介する時は兄貴だって言うだろ、って、お前、なんでそれ知ってるんだよ!? 俺が蛇喰にそれ言った時、お前いなかっただろうが!!」


「知ってるさ。キョウのことならなんでもね。だって僕達双子じゃないか」


「俺は知らねえよ!!」


「そいつは残念。僕の想いは一方通行だったってわけだ」


 ケタケタと嗤う求磨は、叶真の知る求磨ではなかった。こんな風に、他人を嗤うような人間じゃなかった。


 身体が弱くて、いつも家で寝ていて。けれど叶真が相談をすれば、何でも乗ってくれて。叶真が母親に殴られた時は、いつも庇ってくれて。赤みの強い髪と瞳のせいで、気持ち悪がられて殴られる回数は、求磨の方が多かったのに。


 信じられなかった。そこに立っているのは間違いなく求磨で、叶真の兄だ。なのに、それを否定しようとする自分がいるのを叶真は感じていた。


 目の前の男は、信じると危険だと。


「どうしちゃったんだよ、キュウ……!! お前、そんなんじゃなかっただろ!? これまで一回も、自分が兄貴だからって威張ったりしなかった!! 誰かを傷つけるような人間じゃなかった!! なのに、なんでそんな急に……!!」

「急じゃない」


「……え?」


「急なんかじゃない」


 初めて聞く、求磨の地獄の底から響いて来るような低い声。その声には、深い憎しみが宿っていた。


「キョウは、知らないだろう? 僕があの女に、何をされたのか」


「あの女……?」


「僕達を産んだとか言う、あの女さ」


 憎々しげに吐き捨てた求磨の顔に、叶真が知る優しさなんて微塵もない。あるのは、世界丸ごと燃やし尽くそうとする怨嗟だけだ。


「キョウは学校に行けたから、知らなかっただろうけど。僕は、あの女が連れて来る男に何されたと思う? 色々されたっけ。殴られたり蹴られるだけならまだいい。火の点いた煙草を押し付けられたのも、痛かったし気持ち悪かったけどそれだけだ。

 発作で苦しむ僕の目の前で薬を嬉々として踏み砕かれたのは、流石にきつかったなぁ。あの後一週間も入院することになって、もっとお金がなくなって……余計に当たられたよ。やらないと殺すぞって脅されて、万引きなんかもさせられたっけ」


 語る口調は、いっそ楽しげですらあった。そうでもして自分を誤魔化して語らなければ、何も言えなかっただけかもしれないが。


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