二十七呪 雨降る路地で
叶真が鈴音を追いかけて、ちょうど家を出た頃のことだった。
鈴音はまだテレポートを使わず、靴下のままで叶真の家の近くの道を歩いていた。
しとしとと降りしきる雨のせいもあり、いつも以上体が重い。舗装もろくにされていない裏道を通っているせいで、すでに靴下は泥まみれでぐちゃぐちゃだ。けれど鈴音に、そんなことを気にしている余裕はなかった。
薄暗い路地を一人びしょ濡れのままトボトボと歩く鈴音は、自分の現在位置なんてとっくの昔に見失い叶真の家に戻ることも出来ない。それでもテレポートを使う気になれずに、惰性で歩いているだけだった。
感情のままに叶真の家を飛び出して来てしまったものの、その後の当てなどあるはずもない。レネルアが遺した本の他にも、ケータイや財布の入ったミニポーチを叶真の家に置いて来てしまっている。つまり取りに帰らねば明日どころか今日だって困るのだが、今はそんなこと出来ない。
「本当に、どうしたらいいのかしらね……」
自分はこれから、どうすればいいのか。あの時、どうするのが正解だったのか。
それは奇しくも、全く同じタイミングで叶真が思っていることだった。
染みわたる泥や雨以外の理由で、引きずるように進む体はどんどんと重くなって行く。今からでも遅くないから、叶真の家に戻ってちゃんと話そうとするのを、引き留めるかのように。
そんな風に誰よりも弱くて脆い自分が、鈴音はずっとずっと前から嫌いだった。
考え無しに言わなくていいことまで言ってしまったり、毒を吐いて相手を傷つけてしまう自分のことが、嫌いだ。
考えて話して、それで余計に嫌われたら嫌だと自分を変えようとしない勝手なところが嫌いだ。
全部全部、心の底から、自分のことが世界で一番大嫌いだ。
「何が、直接は関係のない立場よ。何が、一時しのぎにしかならないよ。偉そうに説教垂れて、何様なのよ。一体誰のせいで、百鬼くんは苦労して来たのよ……!!」
流石に鈴音だって、百パーセント自分が悪いとまでは思っていない。一番悪いのは、満場一致で勇者レネルアだ。
そりゃあ浮気は悪いことだし、そんなことをする男は最低だ。死んでしまえと思うかもしれない。
だからと言って本当に呪いをかけていい理由にはならないし、それを子孫にまで引き継がせるのはいくらなんでもやり過ぎだ。しかも、内容も最悪なのだ。
そこまでしたのが自分の先祖で、その子孫である自分はのうのうと裕福な暮らしをしている。何も知らずに、むしろ勇者がご先祖様にいることを誇りに思っていたくらいだ。
そんなこれまでの自分を、消したくなる。いなくなってしまえばいいのにとさえ、本気で思った。
「何をすれば、呪いは解けるの……?」
解呪の方法が見当もつかないと言ったのは、嘘ではない。と言うより、鈴音は嘘を吐くのが苦手だ。会話をする時は深く考えず、反射で喋っているような性格なのだから、得意なわけがない。
でもこの時ばかりは、それが嘘であればよかったのにと鈴音は強く思う。もし、解呪の方法を知っていれば。そうすれば、叶真はもう理不尽な不幸に拳を握り締めることもなかったのに。今この時、叶真にかけられた不条理な呪いを解いてあげることが出来たのに。
何も出来ない無力な自分が、情けなくて恨めしかった。
「勇者って、一体何なのかしらね……」
誰ともなく、そんなことを呟く。
鈴音にはもう、わからなかった。勇者とは何なのか。魔王とは何なのか。勇者であれば、何をしてもいいのか。魔王であれば、何をされてもいいのか。その子孫である自分と叶真は、どうすべきなのか。
誰にも聞きとがめられることもなく雨音に消えて行くはずだったその呟きに、返事をする者があった。
「知りたい?」
「っ……!?」
聞き覚えのある気がする声に、鈴音は足を止めた。
いつの間にか辿り着いていた人気のない路地裏に、どことなく剣呑な響きを含んだ声が響く。その声は後ろから聞こえるのだが、雨音が邪魔をしてノイズが走ったようにひび割れている気がした。
いくらボーっとしていたとは言え、ここまで接近されるまで気が付かないのはおかしい。
そう思うのに、体が動かない。蛇に睨まれた蛙のように、体が硬直して動くことが出来ないのだ。こんなこと、人生で初めてだった。
「勇者って、一体何なのか。知りたいのなら、教えてあげるよ」
そこで、とてもつもない違和感に気付く。聞き覚えがあると思ったその声は、どことなくズレている。声そのものは、とても聞き覚えがある。だが、喋り方や抑揚に僅かな違いを感じたのだ。
動こうとしない体に鞭打って、鈴音は強引に後ろを向こうとした。
いやにゆっくり見える世界で、違和感の正体を確かめるべく振り向いて――
「っ……!?」
あなたは、まさか。
後ろに立つ少年にそう声をかけようとして、出来なかった。その前にいきなり抵抗しがたい眠気が襲って来たのだ。必死に抗おうとする鈴音が最後に認識したのは、深紅に輝く光と。呪いと怨嗟に満ちた、暗い声。
「自己中な、化け物さ」
そんな禍々しい響きを伴った言葉が、微かに聞こえて。すぐに鈴音は、何もわからなくなった。




