二十三呪 名前の意味
やっぱり何があっても鈴音を怒らせてはいけないと再確認した叶真は、まず目の前のことからどうにかするために、差し出された本を受け取った。
「一応訊くけど、これの内容知ってる人っていたのか? この本を持ってたじいちゃんとか」
「いいえ。おじい様が親戚一同に訊いてくれたのだけれど、誰も読めた人はいなかったし、何かわかった人もいないわ。ただ……」
言いながら鈴音は本のページを捲る。手が止まったのは、最後のページに描かれた謎の紋様のところだ。
「これ、なにかわかるかしら?」
近い物を上げるとするならば、○×ゲームをしている途中の表、だろうか。網のように縦と横に、幾本もの細い線が描かれている。周りを囲む線はなく、縦線と横線は引かれっぱなしで上下ともに閉じられていない。
そしてその中のマス目になった部分に、あちこち白い部分を残して図形が描かれているのだ。いや、図形だけではない。一風変わった異世界の文字もそこには織り交ぜられている。だが全てのマス目に描かれているわけでもなく、何かを描いている途中に見えた。
少なくとも、鈴音の目には。
受け取った叶真は、鈴音の指した謎の図を見た瞬間、それがなんであるかを正確に看破していた。
「これは魔王がいた世界の魔法陣だな。数学で出て来る計算がどうとかの奴じゃなくて、魔法を使うための陣。この白い部分と文字とか図形が描かれている部分を組み合わせて、魔法を構築するんだ」
「そうなの? 白いところも結構あるし意味が通じないから、てっきり描きかけなのかとばかり……」
「そうだな、わかりやすく言うと……そうだあれだ、QRコードが近い。あんな風に白い部分に黒い小さいマスを描くことで役割を果たしてるんだよ。複雑さと閉じ込められた情報量は、比べるのが馬鹿らしくなるくらいこっちのが上だけどな」
説明しながら、その魔法陣に上から順番に目を通して行く。
しばらくして、叶真は首を傾げた。
「おっかしいな……これ、肝心の起動するための式が一部抜けてる。何かを代入しなきゃいけないのか? くそ、これだけじゃわかんねえ。蛇喰、お前なんか知らないか? 蛇喰家に伝わる呪文とか言い伝えとか、とにかく何でもいい」
「い、いきなり言われても……」
「本当に何でもいい。一族に伝わるルールとか、言い伝えとか、とにかくどんな些細なことでもいいから!!」
「ええと……」
頬に手を当て考えていた鈴音が、ふと叶真の持つ勇者の本の背表紙に目を向けた。
「そう言えば、レネルアって名前は日本語に直すと金色の鈴という意味になるらしくてね。それにちなんで、勇者の子孫の女児は、みな名前に『鈴』の文字を入れる決まりになっていると聞いているわ。ママの名前も鈴に歌で鈴歌だし、おばあ様は深いに鈴で深鈴なの」
「鈴……名前……」
ぶつぶつと何やら呟いていたかと思うと、ものすごいスピードでまた最初から魔法陣を改め直した叶真。二回ほど見直して、ようやく得心したのか嬉しそうな顔でパチンと指を鳴らした。
「わかったぞ!! 抜けているんじゃなくて、鍵の役割を与えるためにわざと抜いたんだ!!」
はしゃぐ叶真について行けず、鈴音は首を傾げることしか出来ない。
「どういう、ことなのかしら。私にもわかるように、イチから説明してくれると助かるのだけど……」
「つまり、必要なのは勇者の子孫であるお前の魔力と名前だ。多分本来はちなんだじゃなくて、初代勇者のレネルアが指示したんだろう。子孫には、必ず鈴の文字を入れよとかなんとか。長い時間が経つうちに形骸化して、意味も変わって来たんだろうけど。
とにかく、蛇喰がこの魔法陣に魔力を込めれば、勝手に魔法が起動する。どうやら俺達の魔法は魔力で発動してたらしい。自覚はなかったけどよ。イメージとしては、魔法陣に何かしらテレポートしてくる感じになると思う。空気でも何でいいから」
「……わかったわ」
少しの間悩むような素振りを見せていた鈴音だったが、最終的には頷いてくれた。恐らく、出来るかどうかの自信がないのだろう。
叶真から本を返された鈴音は、とりあえずその場に腰を下ろした。下が畳だからか、それともそれが落ち着くのか、洋風の家に住んでいる割には背筋の通った美しい正座だ。
フローリングがこの家には存在しないのでずっと畳のある部屋に住む叶真だが、ここまで綺麗な正座は出来ない。と言うより、叶真の場合は座る時はいつも正座じゃなくて胡坐だからだろうが。
それでも正面に座った鈴音が正座なので、叶真もなんとなく合わせて正座で座る。本を二人の間に挟み、向かい合う形だ。
鈴音はまず、ゆっくりと深呼吸をする。それを何度か繰り返し心を落ち着けると、両手を本の上にかざして目を瞑った。
その瞬間、だった。効果は、劇的に表れた。
魔法陣が眩い光を放ったかと思うと、図形の真上に人が現れたではないか。
いや、違う。確かに人の姿が見えているが、半透明で向こう側が透けている。それに、サイズがずいぶんと小さい。手のひらに乗るくらいしかないその人こそが、恐らく初代勇者だろう。
黄金ですら霞みかねない美しい金髪。強い意志を讃える瞳は、新緑の色。縮尺を鑑みても折れそうなほど華奢で、とても勇者だとは思えない。その姿が、鎧に赤く複雑な意匠を施された剣を佩いているものでなければ、だが。