いつか夏の海へ
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「早いもんじゃのう……」
「あの戦いからもう三ヶ月も経つなんてね」
アメリコとヒメノは馬車に揺られていた。
「こうしてまた旅ができるなんて、あのときは正直おもってなかったよ」
チャイが微笑みながら二人をふりかえった。
御者席で手綱を握っているエルフの美少年は、約束通り二人との旅が始められて嬉しいのだ。
傷を癒した命の恩人であるチャイに、ヒメノは恩返しをすると息巻いている。……性的な意味も含め。
そんなヒメノの邪な欲望に対し、チャイはあまり興味なさげな態度に終始している。
それはエルフゆえの特性かとおもったが、アメリコの巨乳をチラ見しているあたり、そういうわけでもないのだろう。
「復興も始まったし、もう安心ね」
「ワシらの出番は、当面なかろうて」
魔導師と配下たちによって、世界は崩壊の縁に立たされた。
災厄と惨劇の嵐が吹き荒れた三ヶ月前――。
彼らの目的は破壊と殺戮であり、無念のうちに死んだ人々の魂を集め、邪悪な異次元の怪物を地上に堕ろすための儀式を目論んでいた。
あまりにも身勝手で常軌を逸した魔導師たち。
正体はいまだ不明だが、赤い流星が墜ちた日。偶然近くを通りかかった商人が彼らを目撃していた、という証言もあったという。
いずれにせよ多くの尊い命が失われた。
アメリコとヒメノ、そして自由主義同盟軍の活躍により邪悪な野望は辛くも阻止された。
世界の傷跡はあまりにも深く、損失は計り知れないほど大きかった。町や村がいくつも消え、壊滅的な被害を受けた。悲劇は生き残った人々の心にも深い傷を残した。
それでも人々は再び立ち上がった。
弔いと鎮魂。
厳かな祈りの日々が続いた。
しかし、時が経つにつれ人々の表情に、笑顔と活気がもどってきた。世界はゆっくりと復興にむけて歩み始めていた。
殊にもこの一ヶ月というもの、聖都や各所の自治体では、会議会議と大忙しだった。
「聖都は今でも大変じゃろうて。王族は絶え、城も消えてしまったからのぅ」
「王政から各自治体の代表者による合議制、議会制に移行するんでしょ? それっていわゆる民主主義、ベリーグゥ。いいことね!」
アメリコは相変わらず元気で楽天的だ。若くて美しく、その言動にはカリスマもある。
次期リーダーにと指名を受けただけはある。
「初代合議会首長、リーダーの座を投げ出してよかったのかえ?」
「んー、別にいいわ。私、政治とか興味ないし、腹芸とかできないし」
アメリコは微笑んだ。そこにはもう、米国大統領の記憶も面影もなかった。ただ一人の、世界を救った少女として、アメリコは存在していた。
旧世界、昔のことは徐々に忘れつつあった。
胸で輝いていたペンダントの喪失。
時空の結晶たるそれらは、失われた旧世界の全ての歴史を詰め込んだアカシックレコードだった。
折り重なる人々の記憶と、積み上げられた歴史が、膨大なエネルギーを内包した奇蹟の結晶として存在していたのだ。
異次元の異形を撃退したのは、そうした人の営みの膨大なエネルギー。爆発的な想いの発露だった。
アメリコとヒメノは、それぞれが持っていた祖国での記憶を失いつつあった。
今でも時おり夢を見る。
天空に新たに生まれた星の夢を。
そこで新たなる世界が生まれ、かつて暮らしていた祖国が復興を遂げている……。そんな夢を。
アメリコとヒメノはそれが事実なのだと、不思議な確信を抱いて目覚めるのだった。
「アメリ子は演説も上手じゃし、首相なりなんなり、上に立つのがよいと思ったのじゃが」
「ずいぶんと身分にご執心ね、ヒメノは」
すこし皮肉を込めてアメリコが笑う。
「そ、そういうわけではないがの……。権力の座を手に入れさえすれば、あとは好き放題なのじゃろ? お金にも食うのにも困らんし。美少年をはべらせて酒池肉林の宴をひらくこともできるというに……」
名残惜しい。ヒメノは本気で考え込んでいる。
「……ヒメノって、絶対に権力を握っちゃダメなタイプよね」
ジト目をヒメノに向けるアメリコ。
「そうかのぅ? それぐらいよかろう」
「よくないわよ! 民衆が蜂起して火炙りにされちゃうわ」
「いえてるー。お兄ちゃんたちも、ヒメノの専属メイドにどうじゃ、って誘われたって言ってたよ」
「チャイ誤解じゃ! ワシはおぬし一筋じゃ」
「どうだかー」
歪んだ愛に、権力への執着。ヒメノは政治や権力とは縁遠い、旅に連れ出した方がよさそうだ。
「ま! なんにしても、こうして三人で旅をする約束は果たされたわけね」
「そうじゃのぅ」
ヒメノは頷いて背もたれによりかかった。静かに目をつぶり、安らいだ時間を過ごす。
ガタゴトと揺られながら馬車は進んでゆく。
オープンデッキタイプの客車は開放的で、日差しを遮る屋根があり、頬を撫でる風が心地よい。
アメリコは薄れゆく記憶から、西部開拓時代を想起していた。もう存在しない故郷に想いを馳せる。
山賊や魔物はそれでも襲ってきたが、アメリコの銃とヒメノの刀剣があるかぎり心配はなかった。
ただ、アメリコはミサイルやレールガンなどの複雑な構造の武器は召喚できなくなった。
ペンダントに内包された旧世界の英知と共に失われたのだ。
未だに記憶が鮮明な、使い慣れた愛用の銃とライフルだけは使い続けられそうだ。
後ろには遠く、聖都エスノセントゥリアが見えた。
向かって左手にはカーバルハイド山脈の岩景。
目の前の遥か先には黒々とした森。しばらくは開けた草原の旅が続くだろう。
「……追手、うまく撒けたかな?」
アメリコが後ろを振り返ってヒメノに顔を近づけた。金髪が風にそよぐ。
「だとよいが。嫌な予感がしてきたのう」
「議会派の貴族連中、何がなんでも私たちをトップにって、しつこかったし」
「国民のアイドルとか抜かしおったが。まぁちやほやされて暮らすのも良かったかもしれんがの」
「もう、ヒメノは未練たらたらね」
アメリコとヒメノは魔導師を倒した功績で、連日連夜、祝賀行事や戦勝行事にひっぱりだこだった。
はじめのうちは純粋に嬉しく、共に戦った同志たちと、生きている喜びを分かちあった。
何よりもアメリコとヒメノは若くて美しい。アメリコに至ってはスピーチも上手いときた。
ふたりの評判はうなぎ登り。
しかし日が経つにつれ、生き残った貴族や金持ちたちによる、政治的な意図や思惑が透けて見えはじめた。
やがて「お二人を初代議長と首長に!」と担がれそうになった。
それが嫌になり、聖都を逃げ出した……というわけだ。
「ねぇ、これからどっちにいく? 僕の村に帰るのは簡単だけど」
道は二つに分かれていた。チャイの故郷、村のある森と山脈を越える道だ。追手が来るとしてもすぐに見つかるだろう。
馬車を止め、休憩しながら考える。
初夏の草原は花畑のようで、色とりどりの小花が咲き乱れ、甘い香りがする。
遥か彼方を、翼竜が悠々と山の方に飛んでゆくのがみえた。
「あの山のむこうには何があるのじゃ?」
「えぇと、山脈の峰にはドラゴンがいるし、ドラゴン関係で暮らしている人たちもいるよ」
「ファンタステック! まだ本物のドラゴンって見ていないわ」
「物見遊山ならよいかもしれぬのぅ」
「あ、そういえば山のむこうには海があるんだって!
僕はまだ見たことないけれど……」
「海かの……!」
「いいわね、これから夏だし!」
「決まりだね、山脈を越えて海を見に行こう!」
草原を渡る風が、土と草の香りを運んでくる。鳥たちのさえずりを聞きながら、アメリコとヒメノは馬車に乗り込んだ。チャイが手綱をとって馬に鞭をいれる。
「さぁ、いこう海を目指して!」
「えぇ!」
「そうじゃの」
水着が見られる……。
ヒメノの。
チャイの。
アメリコの。
三人の思惑はそれぞれだが、思惑は一致していた。
もう、急ぐ理由も無い。
見上げると空は果てしなく広く、青い。
夏を予感させる真っ白な入道雲が、山並みの向こうで大きく育ちはじめていた。
<Fin>
【作者より】
これにて物語は終幕となります。
アメリコとヒメノとチャイの新たなる冒険は、ここから幕を開けます。
そして、性差を超越した「愛」は奇跡を起こし、きっと新しい命を宿すことでしょうw
アメリコ「成せばなる、何事も!」
ヒメノ「いやいや!? 宿さんから!」
チャイ「……」
解説。
旧世界とよばれた地球は不幸にも滅びました。
日米をはじめとした世界の国々や人々は、それぞれが「世界の種子(可能性)」という結晶となって、別の時空や宇宙に散り、あたらしい物語を紡いでいることでしょう。
無限に分岐する可能性、無数の世界の種として。アメリコとヒメノはその可能性のひとつでした。
どんな境遇でも人は強く生きていきます。
きっと、いまもどこかで、これからも。
では、また。
あたらしい物語でお会いしましょう……!