25(おしまい) トホホ~! もうサメ退治はコリゴリだよ~!
コンコン、とガラスが叩かれた。
ので、そっちを見た。パソコンの前から立ち上がって、窓辺に近寄って、からからと開く。
「よ!」
ゼットが、そこにいた。
もちろん、人間の姿で。
はあ、と溜息を吐いて。
「いい加減、窓からじゃなくて玄関から入ってきたらどうですか?」
「そう思うなら、お前からあの妹に言ってやってくれ。『友達だからあんまり睨みつけんな』ってよ」
「嫌です。シスコンなんで」
まあどうぞ、と言って、彼を部屋に招き入れる。
もうすっかり冬だから、一緒に冷たい空気まで部屋の中に入ってきた。
「うー、さみい」
遠慮なくコタツに足を突っ込み始める。
でも、僕はその程度のことじゃ特に咎めたりはしない。というか、大体僕の友達っていうのはそういう距離感の人が多い。もしかすると、そういう距離感の人間だけしか友達として残ってくれないのかもしれないけど。
ちら、とゼットは僕のパソコンに目をやった。
「何してたんだ?」
「小説家になろうで大量にポイントを稼いで書籍化を狙うために乙女ゲーム原作のアニメを視聴してジャンルへの理解を深めようとしたところ悪役令嬢が一切出ないまま美しいストーリーが展開されたことに衝撃を受けて感動に浸ってました」
「そうか。つまりヒマってことだな」
出た。
活発な人間に特有の、本を読んだりドラマを見たりみたいなインドアの趣味活動のことを「ヒマだからそんなことしてるんだろうな」って勝手に決めつけるやつ。
「全然ヒマじゃないですけど」
「でも無職なんだろ? まだ」
「僕の無職は『まだ』とか『もう』みたいな言葉を使う一時的な状態じゃなくて……深く根差した性質です」
「あ、そうだ。これ土産」
ほら、とガサガサ音を立てて、ゼットが紙袋を突き出してくる。
僕はそれを、受け取らない。
「ん、」
「……いや、『ん、』じゃなくて。なんですか、それ」
「いや、姉貴と水族館に行ってきたから、その土産」
「あんなことがあってまだ水族館に行く元気があるんですか?」
「まあそりゃ、治してもらったしな。お前のところの妹に」
一応、と思って袋を受け取って、中身を見てみる。
うわ、と思わず口に出してしまった。
「なんでよりにもよってイルカのぬいぐるみなんですか……」
「姉貴に言ってくれ」
取り出してみる。まあまあでっかい。
ベッドの方を見る。もうだいぶ、ぬいぐるみで埋まりかけてる。掃除をするとき結構うんざりする羽目になり始めてる。
「というか、前にも言ったんですけど」
僕はその一角に、とりあえずそのぬいぐるみを置きながら。
「僕、別にぬいぐるみ好きじゃありませんからね。元々ベッドに置いてあったやつも、レリアがくれたから飾ってただけで……」
がたん、と扉の前で音がした。
一緒になって、僕とゼットはその方向を見て。
先に、僕の方が動き出した。
そーっと、ドアを開ける。
レリアが、そこに立っていた。
「……お、お兄ちゃんって、別にぬいぐるみ、好きじゃなかったの?」
「いや、まあ……。何を貰うかじゃなくて誰から貰うかだから」
不安な表情から一変、ぱあっ、とレリアは笑った。
鏡を見れば同じ顔をしているはずなのに、どうしてこんなにも兄妹で受ける印象が違うのか、ときどき本当に不思議である。
そしてその笑顔が、一秒で曇った。というか、険しくなった。百面相。
こういうときは、振り向けばゼットが立っている。
「あー、その。姉貴と俺から、レリアさんにも土産があるんだが……」
そう言って差し出したのは、どう見ても僕に渡したのとは違う紙袋。明らかに高級そう。なにこれ、紅茶セット? 茶器と茶葉詰め合わせ?
「…………お兄ちゃん、これ、要る?」
「え? まあ、受け取れるものは受け取っておけばいいんじゃない?」
「……じゃあ、貰い、ます」
複雑そうな表情でレリアはそれを受け取った。ゼットが僕の背中を軽く叩いて、微かな声で「サンキュ」と言う。
実際問題、僕へのお土産がついでというか、口実に過ぎないことはわかっている。
だって僕なんて、結局あのサメ騒動で、首謀者になっていたイルカ星人をトラックで轢き飛ばしただけだ。
一方でレリアのやったことは、聞けばこの世の神秘というものを知りすぎるくらい知ってしまうことになる。なにせ、ゼットをサメから人の姿に戻しただけじゃなく、あの足首にだけになったナラムさんすら一命を取り留めたのだ。「サメのお腹に、だいぶ残ってたから……。残ってなかったら無理だよ」ってレリアは言ってたけど、どう考えてもそういう問題じゃない。ゼットのお姉さんがいつの間にか生き返ってたのなんか、「死んでるより生きてる方がいいでしょ!」とか謎の逆ギレで押し切られてしまった。まあ確かにそう言われたらそうなんだけど。ふざけた話の後に、ふざけたパワーで幸せが訪れることに、何の不思議もないんだけど。なんかまあ、ほら、いや、やっぱ別にいいです。レリアは僕の可愛い妹です。何があっても。
というわけで、ゼットも、ゼットのお姉さんも、公爵家も、というかこの国にいるほとんど全員が、レリアに頭が上がらなくなっている。ゼットは僕のことは呼び捨てにするくせに、レリアにはさんを付けて喋ってるし、ことあるごとに土産と称して貢ぎ物に来る。おかげで、うちの文化レベルはどんどん上がっていた。
「じゃ、じゃあ……私、行くから!」
背を向けて、レリアが階段を早足で下っていく。
その背中が見えなくなってから、ゼットがぼそりと呟いた。
「……俺、やっぱ嫌われてんのか?」
「いや。レリアは僕の友達にはみんなあんな感じだから、普通ですよ。たぶん人見知りです」
もちろん、僕の友達全員をことごとく気に食わないという可能性もなくはないけど。
まあ、わざわざ言わなくてもいいだろう。
廊下に出たら寒くなったから、もう一度部屋の中に戻る。
今度は、ゼットだけじゃなくて、僕も一緒になってコタツの中に足を突っ込んだ。
「で、とりあえず一個目の用件を済ましたところで、だ。相棒」
「やっぱり帰ってくれません?」
「なんで」
「お前が『相棒』って言葉を使い出したときは、ロクなことにならないだろうなという予想があるからです」
失敬な、と言いながらゼットは鞄の中から封筒を取り出す。
真っ赤な、綺麗な封蝋がされていたらしい。こういうのを見るのは初めてだからちょっと見惚れて、だから、逃げ出すのが遅れた。
「結構いい話だぜ。お前、今度こそいい飯を食いたくねーか?」
「いや、最近レリアがレストランとか連れてってくれるからそんなに……飢えてません」
「言い方を変えよう。たまには、妹の財布を気にしないでたらふくいい飯を食いたくはねーか?」
「僕は妹の財布から出されるお金で食事をすることに誇りを覚えてますよ」
「それはそれで大丈夫か?」
グッ、と部屋の扉の前から音がした。
なんか人の気配を感じるような気もしたけど、いけない、いけない、と振り払う。家の中にいるときはできるだけ心を安らかな状態に保たなくちゃ。ものすごく苦労して、レリアにも手伝ってもらって、あの令嬢たちの怨念パワーを頭の中から拭い去ったんだから。
いま思い出すと、自分で自分が恐ろしい。
どうしてあのサメ騒動の終盤、僕は急にあんなに加速した性格になってしまったんだろう? よくない、よくない。もっと温厚な性格で、安穏とした暮らしを営む本来の僕からしてみれば、あのときの自分はとても信じられない。怨念の力に憑りつかれると、あんなに人が変わったようになってしまうんだなあ。
平常心、平常心。
無警戒、無警戒。
「今度、正式に俺も外交に回されることになってな」
「正気ですか?」
「お前はこの国が正気に見えるのか?」
そんな言葉、為政者の側から聞きたくなかった……。
はは、とゼットは笑う。
「俺だって自分が貴族らしくねーってことはわかってるよ。ついでに言うなら、トップのやつがちょっと頭弄られただけで傾きかけるような国家体制がどんだけ脆弱なのか、ってこともな。けど、たとえ問題を抱えたままでも、それが解消するまでの期間、やらなくちゃいけねーことはなんとか誰かがやってかなくちゃならねー。そうだろ?」
「……まあ、そうですね」
「そんで、俺も考えたわけよ。考えることは大事だからな。実際に外交で対面する前に、個人的なやりとりをしてみることにした。そっちの方が相手のことをよく知れるし、下準備としちゃ上出来だろ?」
「どうしたんですか。急にまともなこと言って」
「お前よりはいつでもまともだよ。で、とりあず隣の国の王女とちょっとばっかし文通をしてみた。そこで今度、とうとうその国に直接外交に行くことになったワケ」
「はー。そうですか。いってらっしゃい、という感じです。お土産は別にいいですよ」
「ただまあ、お前のところに来たっていうことは、どうしても気になるトラブルの臭いってのがあるわけだ」
「なんでだよ」
こいつ、僕のことをなんだと思ってるんだ?
ゼットは、封筒の中から手紙を取り出す。そんなの僕に見せていいのかよって思うんだけど、わざわざ指で差してまで「ちゃんと読め」って意思を伝えてくるものだから、仕方なく、ちょっとだけ。
そこには、こんなことが書いてあった。
「『国で一番大きな湖に、ときどきとてつもなく大きな生き物が出るという噂があるのです』……」
「面白そうだろ?」
「全然」
まあそう隠すな、とか腹の立つことをゼットが言う。
とりあえず逃げるか、と席を立とうとしたら、コタツの中ですでに足を挟まれていた。日に日に小賢しい真似が上手くなっていく。なんなんだこいつは。
「そこで、だ。頼みたいことがあってお前のところに来たのさ」
「お断りします」
「頼むぜ、我が国きってのサメ狩人。俺の外交に同乗して、こいつの正体を調べて隣国に恩を売ってこようじゃねーか」
「い、いやだ……!」
僕はなんとか、腹ばいになって、床に手を突いてバタバタして、この男から逃れようとする。
「ぼ、僕は反体制派なんだ! 権力とは距離を置くんだ!」
「んじゃ個人的なお願いだ。国家改革の志を同じくする一人としての。な! それならいいだろ?」
「全然よくない! 僕はもっと、安全な日々を……」
「何言ってんだ。俺の目は誤魔化せねーぜ。お前は苦しく、つらく、危険で、絶体絶命の逆境の中でこそ真価を発揮するタイプだ。イルカ星人と戦ったときのお前のあの高揚、まさか忘れたとは言わせねーぞ」
「い、イルカ星人……高揚感……負のエネルギー……うっ、頭が!」
「お兄ちゃん!」
バン、と扉を勢いよく開いて、レリアが入ってきた。
僕の手を取って、脱出を手伝ってくれる。ありがとう。でもそのままだと、僕の上半身と下半身の間にえげつない川のような断絶が生まれてしまいます。
「お、お兄ちゃんに変なことを吹き込まないでください!」
「変なことって……俺ァ別にそんなつもりじゃ、」
「お兄ちゃんは一生無職の羊みたいにしていればいいんです! 危険なんですから! 外の世界も、お兄ちゃん自身も! 私が柵の中に閉じ込めておくんですから!」
「あれ? 僕、いまなんか壮絶な聞き間違いをしたような……」
「あとで俺と答えあわせしよーぜ。たぶん同じのが聞こえてる」
痛い痛い、千切れる千切れる、と必死で訴えたら、徐々に二人は体勢を変えてくれた。
ゼットは、僕の肩をがっしり組んで掴んで。
レリアは、僕の腕をぎゅっと掴んで離さないで。
右耳と左耳、それぞれの傍で。
二人は同時にこんなことを言う。
「俺と冒険の旅に出るだろ? 相棒!」
「私と家にずっといるよね? お兄ちゃん!」
そして僕は、みしみし鳴る肩と、ぎしぎし軋む腕を抱えながら。
静かに、心の中で、こんな言葉を唱えている。
とほほ。
(おしまい)




