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思い込んでしまっていた

 


「菊。……菊、なんで、鋪にはできて俺は駄目なんだ……?」


「……自分で考えて」


「菊……どうして、俺には笑ってくれないんだ……」


 磊の悲壮な言葉に、菊はぴたりと足を止めた。

 菊の手を掴んで後ろを歩いていた磊は、その小さな背にぶつかりそうになるのを踏ん張って止まる。


 菊は磊に何も言っていない。磊が復讐を捨てて生きることを選択してからそのあと、菊が何を考えて磊を脅したのか、何故詳しく事情を知っているのか、何故暗殺の技術に長けているのか。

 磊は殆ど菊の正体を確信していたし、それを菊も分かっていた。それでも菊は核心を告げることはなかった。


 菊は静かに言った。


「……わたしは杏じゃない」


 磊は息を呑む。


 菊の口から杏の名前を聞いたのはあれ以来初めてだ。

 それは、菊が何も知らない只の子供ではないことを示す何よりの証拠となる発言だ。


「…………でも、杏だった(・・・)んだろう?」


 磊は正面から言った。

 あの事件があってから、磊は随分隠し事は上手くなったが、元々頭脳戦を好む性質ではなかった。


 真っ直ぐと聞かれ、菊はやや言葉に詰まる。


「……でも(・・)、わたしは杏じゃない」


 でも。その言葉一つで、磊の確信は肯定された。磊はそっと息を吐いて、菊の側にしゃがむ。

 その小さな背は少し、震えていた。


「…………知ってるよ。お前は菊だろう?」


 菊は弾かれたように振り返った。


「分かってない!わたしは菊で、杏じゃないの!あなたはわたしを、杏だと思ってる。だからわたしに構うんでしょう!」


 ぎりぎりと睨む強い目の淵に、じんわりと滲むものがあった。

 磊は少しだけ目を見開き、それから緩めた。その柔らかな頬に、そっと手を添える。


「そうか。そう思ってたんだな。……そうか」

「何?違うって言うの!?それ以外に、何があるの!あなたは杏を愛しているんでしょう!」

「……そうだな、愛している」


 穏やかな肯定に、菊は傷ついたような、嬉しそうな複雑な色を浮かべ、微笑んだ。


「ほら、やっぱり……」

「でも」


 はっきりとした口調。

 このところ戸惑いに揺れる事が多かった磊の言葉に、芯が通る。


「俺が菊に構うのは、杏を愛しているからじゃない。菊が俺の恩人だからだ」


 ぱちり、と、丸い瞳が瞬きをする。


「恩人……?」

「そうだろう?俺が罪を犯すのを、全霊で止めてくれた。それこそ、罪を犯す覚悟で」

「……」


 磊はそっと密やかに微笑む。


「だから俺は菊に感謝しているし、俺を理解してくれた菊を好ましく思っている。そんな菊に、好かれたいと思う。そういう理由があるから、俺は菊を構いたい」


 甘えるような、甘やかすような、金の蜂蜜をとろかしたような響きを孕んだ声が、菊の歪に張り詰めた心を緩ませる。


「わたしは……」


 震える声で、菊は伝える。


「わたしは……杏だった。杏だった自覚も、記憶も、鮮明にある。だから、あなたのことが他の誰よりもずっと理解できる。

 ……でも、わたしは今は菊なの。杏だった記憶を活かして今度は守れなかったあなたを守れるように、戦う術を学んだ。周囲のこともずっと見れるようになった。性格も、だいぶ変わった。

 わたしはどんどんあなたの想う杏から離れていっている。それ自体を嫌だとは思わないけど、でも、あなたが杏を想っているから、わたしを想うのは嫌なの。杏みたいに、じゃなく、わたしを見てほしい。あなたよりずっと年下で、まだまだ全然あなたに届かないけど、でも。わたしは、あなたのことが好きなの。杏としてじゃなく、菊として、あなたが好きなの」

「……ああ」


 磊は嬉しそうな、照れたような顔になった。

 菊を何も知らない子供だと思っていた頃には無かった反応だ。

 磊は、菊の真摯な告白を、真摯に受け止めた。


「俺は、簡単には杏を忘れられない。でも、杏と菊を同じにしてしまったりはしないと約束する。杏のことを知って、俺のことを理解してくれる、俺の恩人。明るくて無邪気で自分の意志を持っていて、とても寂しがり屋な可愛い人。そんな菊が俺は好きだ。俺の心には杏がいるから菊を愛せはしない。勝手なことを言っている自覚はあるが、せめて、鋪と同じくらいには親しくしてはくれないだろうか」


 磊の正直で残酷な言葉が、菊に沁みる。

 杏であるのに、杏にはなれない菊は、その真っ直ぐな言葉が何より悲しく、そして嬉しかった。その言葉が、菊の一等欲しかった言葉なのかもしれなかった。


「……うん。分かった」


 こくり、と頷くと、磊が満開の笑顔で菊を温めた。

 そのままぎゅう、と抱きしめられ、菊は嬉しいような辛いような複雑な心境になる。

 それでも菊は、まだ大人と言うには小さな手を、その大きな硬い背中にそっと添わしたのだった。








単なる気持ち悪いおじさんではなくそれなりに考えていた磊。

でももしかしたら、この後本気モードの菊の猛攻にあって単なる気持ち悪いおじさんになってしまうのかもしれない。

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