13
ウィプスが仄かに照らす寝室でスライムは、自分の弾力に沈む小さな寝息を聞いていた。昼間の遊び疲れだろうか、今宵の眠りは特に深く、安らかだ。
(こんな平和な夜ばかりなら良いのにな。)
ちょいと頬をつつけば、油断しきった寝言が徒に、もにゃもにゃと漏れる。
(こいつが王になるとか、ちょっと考えられねぇな。)
むしろ、庶民として暮らす姿のほうが似合いだ。昼は近所の子守でも引き受けて、夕方になれば得意のフセチィージを作る。いつも静かに笑顔を湛えて。
そして、疲れて帰ってきた男を出迎えるとき、その笑顔は一層に……
「!」
ユリがいきなりぱちりと目を開き、スライムの妄想は断ち切られた。
「スラスラ。」
「やっぱり来やがったか。」
スライムはユリを乗せたまま、ぐいっと伸び上がる。
「おそらくは『交渉』だ。まあ、あの乱暴者がそれだけで済ますとは思えないがな。」
「交渉、難しい。」
「その辺は俺が補助する。だけどユリ、決定を下すのはお前だ。お前はどうしたい?」
「解らない。」
「解らなくても決断を迫られる瞬間がある。それが『王』ってモンだ。」
ユリの眉毛がいつもよりやや深く下がった。
「心配するな。俺だけは、お前の決定に従う。例えどんな道を進むことになろうと、最後までつきあってやるよ。」
「スラスラ、一緒。」
ユリの表情が一気に緩む。銀の瞳は、目の前の不定形生物だけを映していた。
月光差し込む寝室の真ん中で、その少女はスライムの椅子にしどけなく身をあずけていた。憂いも、警戒もなく、ただ静かに座す姿は無防備にして鷹揚。それは小さいながらも王者の風格をまざまざと見せ付けている。
影さすように部屋に忍び込んだリビングウエポンは、その堂々たる様に僅かに臆した。
玉座を模るスライムがぐいっと伸び上がり、小さな王の声が部屋の空気を切り裂く。
「月見の邪魔をしに来たか。無粋者よの、ミョネ=ラメーヤハ。」
「お得意の口パクかい?」
「何故だ、何故一瞬でばれた!」
「姫サンはそんな喋り方はしないし、だいたい、口を動かすように教えたほうがいい。」
「ユリっ! 教えただろ!」
「……難しい。」
からからと高笑うミョネを見ながら、スライムは外皮の内側でほくそえんでいた。
……交渉を有利に進める第一歩は相手の心をこちらに向けること。怒りをそぎ、警戒心を解き、次の一言を期待させる『笑い』はまさに最適。
掴みはオッケーってやつだ。
「ご存知の通り、ユリに喋らせるとまだるっこしくていけねえ。窓口は俺だ。」
「ボクは姫サンに話をしに来たんだよ!」
「だまれ! 既にユリの気持ちは聞いた。俺の言葉をユリの言葉だと思え。」
「へえ、そんなにシンミツなゴカンケイってやつかい。」
「想像にまかせらぁ。」
ユリがこれ見よがしにスライムにしがみつく。
「シンミツ。」
ふふんと興味なさそうに鼻を鳴らしながらも、ミョネは二人のいちゃ値を測ろうと目を見張った。これもスライムにとっては好都合だ。
「さっさと話を始めようぜ。」
「あ? ああ。今日は、最後通牒ってやつだ。あのお方の下につくのか、敵として叩き潰されるのか、好きなほうを選びな。」
「今すぐに、か?」
「もちろん、すぐに! 早く! ここで!」
「面倒くせぇな。」
ユリがスライムの真似をする。
「メンドクセエナ。」
「あんたらの言わんとするところは解る。半魔半人は確かに優れた種族だ。いずれ世界は半魔半人のモノになる。……で、いいんだな。ユリ。」
「良い。」
「だが、誰かが強制的にそういう世界を作るのは間違っている。かつて自分の両親がそうであったように、魔族が人を愛し、人が魔族を愛し、そうして生まれた子供がまた誰かと出会う……その繰り返しで、ゆっくりと世界が変わるのをユリは待つそうだ。」
「魔族と、人が? は! 世間知らずめが。」
ミョネの眼差しが暗く影さした。
「世界中がこの国のように平和だとでも思ってンのかい? いや、この国だって表面は穏やかに見えるが、一皮剥けばどろどろさ……人は魔族の力を恐れ、魔族は人の知恵に恐怖する。そんな憎しみの間に落とされたあたしたち、『人でも魔でもないもの』の苦しみが、あんたには解らないわけだ?」
「解らない。」
「くっ、しゃあしゃあと!」
「だから、知る。」
スライムが、優しくユリの頭をなでる。
「今まで城の人間はこいつに何も教えてやらなかった。だから、ユリは自分の力で『世界』を知ろうと……そのために『王』になろうと決めたんだ。」
「へえ、報われないね。一生『愛人』の道を選ぶのかい?」
「勘違いするなよ、ミョネ。俺とユリはソウイウカンケイじゃぁねぇぞ。」
より一層に伸び上がったスライムは、全ての自尊心を懸けて胸張ったようにも見えた。
「俺は『寝台』として一生を捧げるとこいつに誓った。主が望む道がどこであろうと、共に進むのが『寝台』だ。」
「つまり、二人そろってあのお方の敵になる……ってことでオッケーだね。」
ミョネが両手を前に差し出し、しゅうう、と軽い音を立てて魔力を集め始める。
「ミョネ、俺からも最後通牒だ。病み上がりの女に酷いことはしたくねぇ。大人しく退け。」
「スライムのクセにどうやって?」
剣化した腕が振り上げられ、月光を反す刃が微かに風切る音を立てた。




