10
昔は修道女の寝室であったのだろう。
カビとホコリが匂う小部屋に飛び込んだ男は、抵抗する術も無い小さな体をドアに押し付けた。
「ユリ、覚悟しろよ。」
性急な指先を、脇の下と脇腹に差し入れ、軽やかな力加減でひたすらに……くすぐる!
「や……何、やめ……る!」
ドアの外で、微かな気配が動いた。
(ふん、やっぱりツけてやがったか。)
責めの指先によりいっそうのスピードを加えれば、拷問のごときくすぐったさに、ユリはドアを叩くように身を捩る。
「くふっ、スラス……ラ、か……勘弁……」
それがドアの外にはどう聞こえたのか……ドサリ、ずざざざと、後ずさる音が聞こえた。
(ミョネが、ドン引いて……)
ばたばたばた……
(逃げ出す。)
足音が十分に遠ざかるのを確かめて、男はその震える少女を解放する。
「さて、邪魔者は居なくなった。二人きりだ……」
黒い甲冑から這い出してくる、ずるずるとした本来の姿。それを見つめる少女は全ての表情を失い、ただ座り込んでいる。
スライムはその体をすばやく捕らえ、弾力感あふれる自分の上に投げ上げた。
「熱まで出てるじゃねぇか! 何日眠って無いんだよ!」
眠気を含んだ熱を冷ますように、程良い温度を保つ体で抱きしめる。
「笑う、した。楽しい、考えた。母、思い出す。」
たゆんたゆんと体液ごと外皮を揺すってやるが、少女に表情は戻りはしない。
「母、泣いた。血、出た。夜、怖い。」
頼りなげな体は、柔らかなスライムの動きに翻弄されて力なく揺れていた。
「ユリ、死ぬ。母、生きる……ユリ、いない、母、泣かない……」
「馬っ鹿が! それ聞いたら母ちゃん、泣くぞ。」
スライムは一際大きく揺れ動き、ユリを強く抱きしめた。
「……あのな、俺の爺さんは年をとっても馬鹿な男だった。ある日、『世界一のTKGが食いたい』と、言い出してな、飯と醤油を担いで、巨鳥の住む岩場に登っていたんだ。そして……死んだ。」
ぷふっと不謹慎に噴出して、スライムは続ける。
「ロックの卵と一緒に岩場から落ちた爺さんの死体は、卵に塗れて、だが飯だけはしっかりと握り締めて幸せそうだった……」
「死んだ、笑う、良くない。」
「そうか? いつもド暗く落ち込まれるぐらいなら、笑い話のネタにされたほうが、死んだ奴らも喜ぶと思うぜ?」
「ネタ?」
「難しい事は考えなくていい。例えば……母ちゃんは綺麗な人だったのか?」
「大人ユリ、似てる。髪、茶色。瞳、茶色。」
「そっか。じゃあ、すっげぇ美人だな。」
「母、巨乳。」
「は? あ……それは、その……今後に期待?」
「嘘。」
「嘘かよおおおおお!」
ユリが1ミリほど笑顔になった。
「優しい、歌、子守唄。聞く、好きだった。」
笑顔のまま両目から、ぽろりぽろりと涙がこぼれる。
スライムは、外皮を伝うそれに気付かないフリをして、不恰好に突き出した腕でその頭を抱き寄せる。
「一緒に遊んでもらったりもしたんだろ?」
「散歩、毎日。手、つなぐ……」
「他には?」
スライムの声はただただ只管に優しく、とろんと気だるい眠気を誘う揺り篭のように、少女の心を揺すり続けた。
その頃ヤヲは、珍しいピンク色のウィプスを掲げた首無しの先導で、キスンナーの下水道を歩いていた。
「本当にあったんですね。『キスンナーの迷宮』。」
「これを見つけたのも、あの小童じゃぞ?」
ただの下水道とは思えない、広く取られた足場。壁は石で必要以上に堅強に組まれ、かつては備蓄庫だったのであろう小部屋を、ここに来るまでにいくつか見た。
そして何より、下水道の特性を生かしたここは複雑に入り組んでいる。
「はぐれるなよ? わしもここの調査中に、何度も遭難しかけた。」
「スラスラがここを見つけたって言いました?」
「ああ、もちろん偶然じゃあないぞ。普通、『宮』というのは、屋根のある建物を指すもんじゃ。どんなに街が入り組んでいようと、それは『迷路』に過ぎん。そこで小童は、この街で一番古い建物と、そこから繋がる下水に目をつけたんじゃな。何しろ大昔のこと、たかだか教会に地下式の下水など、金のかけすぎじゃろ。」
太い本流の突き当たりは、五股に分かれていた。
「さて、これは教会のそれぞれの部屋に繋がっておる。敵サンの居る部屋に出てしまったらアウト。小童たちのところにたどり着ければ当りじゃ。」
ぽんと肩を叩かれて、ヤヲが慄する。
「ええええええ、勘まかせですか?」
「お前サンなら、匂いとか気配とかで解るんじゃないのか?」
「私を、何だと思っているんですか?」
「そういえば、パンツがあそこに落ちて居ったということは、今の嬢ちゃんは裸……」
「ぬおおおおおおおお、あの変態うううううううう!」
がっと血走った目を見開き、ヤヲが走り出す。
「真っ直ぐな男じゃな。」
……あのひねくれ者の相方には丁度よかろうて。
腕に抱えた首が、くつりと笑った。




