12
ギガントの巨体が黒い魔風に巻き上げられる。風の合間を縫うように走る得体の知れない闇がバクンと音を立て、生物、無生物の分けすらなく、ごぼり、ごぼりと空間ごと飲み下してゆく。
怯えるスライムの目の前に、ギガントが救いを求めて手を伸ばした。
「ひいいいいい……」
……ばくん、ボトリ……
腕だけを地面に落として、ギガントは文字通り『消える』。
「ユリっ、やりすぎだ!」
スライムに抱きしめられたその女は、少女の姿と変わらぬ無邪気なしぐさで首をかしげた。
「手加減、した。」
「手加減って、ヤヲは……」
荒れ狂う闇の中で金色の髪が揺れた。
「心配ありません。この闇は謂わばユリ様の化身。私に害をなすわけが無いでしょう。」
パタパタとカラダのホコリを払いながら近づくその男は……無傷には見えなかった。
丈夫が売り物のヌニン鋼で作られた甲冑は大きく割れ、額からは一筋の血河が伝い落ちている。
「ヤヲ! お前からも言ってくれ、これはいくらなんでも……」
「……スラスラ、ユリ様が城の口さがない連中に何と呼ばれているか、知っていますか?」
「はぁ? 今はそんな事……」
「いいえ、あなたがこれからもユリ様のお傍にいるつもりなら、聞きなさい。ユリ様の二つ名は『血に塗れた月』……」
不吉なそのあだ名に震えながらも、スラスラはユリの体を手放しはしなかった。
「ユリ様が初めて人を殺めたのは、ほんの小さな子供の時分。暗殺者を寝室ごと吹き飛ばし、味方にも死者を出しました。それからも、ユリ様を狙うものは後を絶たず、ユリ様はご自身を守るために、幾度と無くこうして戦ってきた……」
……彼女の強大な魔力を恐れて、それを諫める者すらいなかった……今までは。
「そんなユリ様の全てを受け入れ、受け止めることがあなたにはできるのですか?」
「はぁ……面倒臭ぇな……」
「それでも受け入れていただかなくては! ユリ様はあなたのことを……」
「カフクヌゥン=ケ=ウェチク(お兄ちゃん、うるさい!)」
ヤヲが魔力に高々と突き上げられ、きらりと彼方へ吹き飛ばされる。
「あー、ヤヲが……」
「ハーフエルフ、丈夫。平気。」
銀の視線が一瞬だけクルリとスライムを見つめ、するりと地面に落とされた。
「ああ、もう……本当に面倒臭ぇ。」
スラスラは体の表面をズルンと突き出して、腕の形を作る。ヤヲをトレースした記憶で作られたそれは、透き通った表面の色こそスライムだが、きちんとした五本の指で銀髪をわしわしと掻き撫でた。
「全てを受け入れるなんて無理だぞ。お前だってそうだろう? だから、嫌なことがあったら、言えよな。」
「傍、居る?」
驚きに跳ね上がった瞳が、スライムの眼球液と見詰め合った。
「まあ、本当に傍に居ることしか出来ないがな。」
「良い。感謝。」
「とりあえず、もう暴れる必要は無い。魔力を……しまえるな?」
「イ=ジーユフ=ヤナーヲ(わが身に戻れ)」
闇が払われ、月明かりが崩れ落ちた城を照らした。
大きく荒れ果てた大地に無数のギガントたちが転がり、あちこちでうめき声が聞こえる。
血と、魔力の残り香が強く匂い立ち、吐き気を催すほどだ。
その中に這い蹲るムナノーの姿もあった。
「あんた、悪運強いな。」
スライムと、その腕に守られた乙女を見上げる表情には、さすがに笑顔は無い。体中は泥と血に塗れ、今にも泣き出しそうに歪んだ顔の中で、瞳だけが恐怖に見開かれている。
「た……助け……」
「ヌフタ=イ=ヴツ(血に染まりし)……」
「待て待て待て! 何を考えてるっ!」
ぼふんと抱き寄せるように呪文をさえぎられ、ユリは不満そうに2ミリほど口角を下げた。
「頭、つぶす。戦闘、終了。」
「確かに正しい! 正しいんだが、命乞いをしている相手を殺すのは、世論とか、心証とか、そういう問題が……」
「難しい。」
「……後でゆっくり教えてやるよ。とりあえず、話ぐらいは聞いてやれ。」
ぼろぼろに汚れた男は、涙を流しながら額を地面に擦り付けた。
「頼む、助けてくれ。ギガントなど、好きなだけ殺せばいい。だが、私だけは……」
スライムの中で、ごぼりと不快感があわ立つ。
「行こう、ユリ。こんなやつ、お前が手を下す価値も無い。」
「ゆ、許してくれるのか?」
「見捨てたんだよ。残りの命乞いは、せいぜい、そこの奴らにでもするんだな。」
「そこの……?」
顔を上げたムルノーは、傷ついたギガントたちが暗いまなざしで自分を睨んでいることに、初めて気がついた。




