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#14 私も焼きが回ったわ

遅くなりました。





「いってきま~す」


 そう小さな声を出しつつ雄平(ゆうへい)はドアを締め、鍵もかける。


 もう家には誰もいない。

 母親の雪は三十分も前に会社へと出発している。

 なのに出掛けの挨拶を口にしたのは、習慣のようなものだ。

 小さい頃から母親に、そのように躾けられてきたのだから。


 マンションを出て高校に向かう。が、その前に。

 まずはいつものようにフジシロベーカリーに立ち寄り、昨夜美海(みう)に宣言した通り、ランチパックと半玉カレーパンを昼食用に購入した。


 美海もまた、昨夜言ってた通りバイトに入っていた。

 いつものように制服の上に店のエプロンをして動き回ってる。


 焼き上がったパンの陳列やレジ対応など、今日はかなり忙しいみたいだ。

 なので、店の中で二人が言葉を交わすことはなかった。


 それは別に珍しいことじゃない。

 よくあることだ。

 ほんの一瞬、二人が視線を交わすだけ、なんてことは。


 住宅街を抜け、大通りまで出ると行き交う人がどっと多くなる。

 さらに駅前まで行くと、北高や近くの女子校の制服を来た学生たちもかなり増えてくる。

 そんな彼らと一緒に駅前の商店街を進む。


 そこを抜ければ、なだらかな上り坂があり、その先に雄平たちが通う北高がある。

 雄平の家から道なりに合計四キロメートル弱といったところだろうか。

 ちょうどいいバスなんかも無いため、雄平はそれを毎日歩いて通っている。


 ちなみに美海は半分自転車通学だ。

 駅前の月極駐輪所を借りていて、そこまで自転車で、そこから歩いている。

 朝に家の手伝い(バイト)もしていることもあり、そうでないとさすがに遅刻してしまう。


 商店街を中程まで進むと人の流れは大きく二つに別れる。

 まっすぐ西方向へ進む北高生徒と、右へ折れて北方向へ進む女子校の生徒たちに。


 雄平は当然ながらまっすぐ進み、道の反対側にあるマンガ専門の本屋を「そういえば今日新刊発売だっけ」などとぼんやり見ながら歩いていた、その時だった。


「おっと」

「あ、ゴメンなさい」


 雑居ビルから出てきた人影に気付いて思わず一歩後ろに引くと、相手もとっさに避けてくれたようで、なんとかお互いぶつからずに済んだ。


 ――ん? あれ? 今の声って……?


 聞き覚えのある声に視線を向ければ、相手のほうも同様だったようで、こちらを一目見るなり素早く身を(ひるがえ)していた。


 誰か褒めて欲しい。


 昨年の中学女子バスケ県大会で、オレたちの通っていた深見第三中学校、通称深見三中の歴代最高であるベスト四を成し遂げた立役者の一人であり、深見三中女バスの「キセキの世代」とまで称された彼女の、高速切り返し(ターン)よりも素早く動いてその手首を見事掴んだオレのこと。


 と、雄平自身が驚いてしまったくらいだ。

 彼女のほうはもっと驚いたようで、息を呑む声が雄平にまで届く。

 さらに彼女は焦った様子で手を振り払おうと足掻(あが)き出した。


「ユ、ユウ! ダメ、お願い、離してっ!」


 なんとか逃げようとする彼女だが、雄平はけっして手を離そうとはせず、そんな彼女の後ろ姿をまじまじと見つめてしまっていた。特に、その後ろ髪を。


 雄平の知っている彼女は背中まで伸びた長い黒髪で、先の方をいつもリボンで結んでいた。

 そんな彼女に、昨年のクリスマス、雄平は紫のリボンをプレゼントした。

 彼女はとても喜んでくれて、以降はそのリボンをよく使ってくれていたものだ。


 だが、今の彼女にはその長い髪は無かった。

 ボブとでもいうのか、およそアゴ下くらいのワンレングスカット。

 そして、あのリボンは、どこにもない。


「髪を、切ったんだな。……(あおい)


 雄平に名前を呼ばれ、碧の細い肩がピクッと揺れた。

 とたん、逃げることを諦めたのか急に碧の力が抜けてしまう。

 すると必然的に雄平の強く引く力だけが残り、結果として碧の小柄な体躯は引き寄せられ、雄平の腕の中に収まってしまった。


「あ……」


 そう声を漏らしたのは、果たしてどちらだっただろう。


 雄平が見下ろし、碧が見上げ、お互いの視線が至近距離で絡む。


 これほど間近でまともに視線を交えるのは、いったい何ヶ月ぶりだろうか。


 彼女の名は、朝倉(あさくら)碧。

 私立天乃原(あまのはら)女子高校、通称天女(あまじょ)に通う一年生であり、中学時代の雄平や美海のクラスメートであり、そして雄平の元カノである。


 ほんの僅かな時間の後、碧はそっと雄平から視線を外した。


「あ、えっと、髪、いつ切ったんだ?」

「高校の、入学前に」


 何か話さなければとの一心で、なんとか口を開く雄平であるが、対して碧のほうは俯き加減で、返す言葉数も少ない。


「そ、そっか。えっと、ちょっとびっくりしたけど、その、短いのも、似合うな」

「ありがと」

「えっと、その、元気だった……か?」

「ええ」


 ――だ、ダメだ。


 雄平の中で焦りが膨らむ。


 とっさに手首を掴み、しかも引き寄せてしまったが、あまりにも突然のことであり、想像だにしてなかった状況なものだから、何を話せばいいのか頭がうまく働かない。

 言いたいこと、話したいことは、あんなにたくさんあったというのに、その全てが頭からすっかりこぼれ落ちてしまったかのようだ。


「えっと、碧の制服姿、初めて見た。その……似合ってる」

「……そう。ありがと」


 あ、今少し顔をしかめたような……?


 碧は元々感情表現をあまり表に出さない方である。

 嬉しいことですら妙に押し殺してしまうところがあるし、嫌なことはさらに我慢して周りに気付かせないように隠す傾向がある。


 碧の親友である美海は、そんな彼女の感情の波をかなり正確に読み取っていた。

 雄平も美海からアドバイスを貰っているうちに、うまくわかるようになってきたほうだ。


 そんな雄平の見立てでは、碧は怒っている感じはなさそうだが、しかし制服の話はあまり続けないほうがよさそうに思える。

 もしかしたら天女の制服はあまりお気に召していないのかもしれない。


 白を基調とした、青いラインの入ったセーラー服のようなデザイン。

 確か一昨年辺りに、どこぞの有名デザイナーがデザインしてリニューアルしたとか。

 その甲斐あって制服の可愛さに惹かれたのか、入学希望が倍増したとか話題になってた。


 雄平から見ても結構可愛い制服で、碧によく似合っていると思うのだが。

 でも確かに碧は、可愛い系のファッションはあまり得意ではなかったかもと思い至り、そもそも彼女の気分を損ねるのは本意じゃない雄平としては、制服の話題はとりあえず封印することにした。


「えっと、その……」


 そうなると、他に何を話せばいいのか思い付けない。

 全然話が広がらないし盛り上がりそうもない。

 付き合っていた頃は、そんなこと考えたこともなかったのに。


 ……あの頃のオレたちって、いったい何を話してたんだっけ?


 そんな疑問まで頭を(よぎ)ってしまう。


「……ユウ。そろそろ、ホントに離して」

「だ、けど、離したら、碧は逃げちゃうじゃんか。せっかく会えたのに。なのに……」

「もう逃げないから」

「でも、さっきだってオレの顔見たとたんに……」

「私も焼きが回ったわ。まさかユウに捕まるなんて」


 そのセリフに、雄平は思わず目をパチクリさせてしまった。

 なんというか、碧にはそぐわないというか、その言い方はまるで……


「って、ミウなら言うところでしょうね」

「あ、やっぱみうの真似か。焦った。碧がみうに毒されたのかと」

「ふふっ。ひどい言われよう。ミウに言い付けるわよ?」

「それは、頼むから勘弁してくれ」

「じゃあ、この手を離して」

「うっ……」


 少しは昔のような和やかな会話ができたと思ったのに、いきなり現実を突きつけられた気がして、思わず雄平は言葉が詰まってしまった。


「もう、逃げたりしない。約束するから」

「……ホントに?」

「ええ」


 彼女を囲む腕の力が少し弱まると、碧はわずかに体を離しつつ、再び雄平を見上げてきた。


「少しは、周りを気にしたほうがいいわ、ユウ」

「え? それってどういう……?」


 碧のセリフと視線に促され、周囲に視線を向ければ、こちらをチラチラ見ながら通り過ぎて行く多くの人たち。


 場所は商店街のど真ん中、しかも人通りも多い朝の通学時間だということを、今更ながらに思い出した。


 羞恥が激しくこみ上げてくる。


「あ、ご、ゴメン。碧、そのオレ……」

「ここは天女の通学コースとは微妙に外れるから、私はまだいいけれど、そっちはそうもいかないでしょう? ……ご愁傷さま」


 確かに天女の制服を着た人はほとんどいない。

 つまり、碧が知り合いに出食わす確率は低いのだろう。


 しかし北高生にとっては完全に通学コースだ。

 だからこそ雄平がここを歩いていたわけだし、実際目の前には多くの北高生が通り過ぎている。


「だから、知り合いに見付かる前に、離れたほうが……」


 そう言いながら、体を離そうとしたのだろう、碧が右手で雄平の胸を軽く押し始めた時、近くでカシャカシャと小さな音がした。


 二人して音のした方に振り向けば、そこにはスマホを構えてこちらを見ている一人の北高生が。


「……遅かった、みたい?」


 碧の声が雄平の耳を通り過ぎていく。


 雄平は唖然としてしまい、すぐには動けなかった。

 なにせ、そこにいたのは先日の夜に出会った、あのストーカー先輩だったから。




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