#13 両家公認の婚約者のようなものなんだからね!
◇
「忘れ物は無いか?」
「まあ、たぶん大丈夫でしょ。何かあったら、明日の朝、店まで持ってきて。私たぶんバイト入ってると思うし、そっちもいつもの、買いに来るんでしょ?」
「ああ、そのつもり。明日は半玉カレーパンも買おうかと思ってるんで、よろしく」
「ふふっ、ホント好きねぇ、あのカレーパン。……って、あら?」
話しながらも靴を履き終わり、美海がドアノブへ手を伸ばしたとき、カチリと鍵が解錠され、ドアが開いた。
「ただいまー。あら美海ちゃん、いらっしゃい」
入ってきたのは紺のノーカラージャケットにアングル丈のテーパードパンツというレディーススーツに身を包む、いかにも仕事できますふうな黒髪ショートカットな大人の女性。
雄平の母、神楽雪であった。
「あ、雪さん。こんばんわ。お邪魔してます」
「母さん。どうしたの? ずいぶん今日は早いじゃん。まだ十時だよ」
「たまたまね、とりあえず一段落付いたから、今日は切り上げてきたのよ。はい、これお土産」
雪から手渡されたレジ袋にはフジシロベーカリーの刻印。
雄平は受け取りながら、中を覗いてみた。
「ん? 食パン?」
「そう! ギリギリ閉店時間に間に合ったから。明日の朝用に買ってきちゃった。残念ながらお目当ての高級食パンは無かったけれど」
「いつもありがとうございます。すみません、あのパンはたいてい午前中で売り切れちゃうものですから……」
せっかく買い求めて来てくれたというのに、目当ての商品が無かったことに少し恐縮してしまう美海だが、常連である雪がそれを知らないハズはない。
手をひらひらさせて、あっけらかんと笑って見せた。
「ううん、いいのよ全然。あんなに美味しいんだもの。仕方ないわ。それより美海ちゃん、こんなところにいて、もしかしてもう帰っちゃうの?」
「あ、はい。むしろこんな時間までお邪魔してしまってすみません」
靴を脱いで上がる雪と入れ替わるように、雄平が靴を履いて美海の横に並び立つ。
「もう十時過ぎだからな。急がないと美海の親父さんに怒られ……」
「あら大丈夫よ、そんなの全然」
雄平の言葉に被せ、笑いながら再び手をひらひらする雪。
「さっきお店で、美海ちゃんがウチに来てるって言ってたし、ご両親からもよろしくって言われてるもの」
「「……え?」」
ここでも息ピッタリに、見事にハモってしまう雄平と美海であった。
思わず互いの視線を交えてしまう二人に構わず、雪はリビングのほうへ足を進めながら話を続けてきた。
「でも良かったわ。ここしばらく、美海ちゃんはウチに来てくれてなかったでしょ? もしかして雄平とケンカでもしちゃったのかなってすごく心配してたのよ。仲直りできたの?」
「あ、いえ、別にケンカなんかしてないですよ、私たち。ねぇ、ゆう?」
「ああ、ここんとこ、たまたまお互いのタイミングが合わなかったってだけで……」
「そうだったのね。良かった、安心したわ。これからも仲良くね。なんといっても二人は、両家公認の婚約者のようなものなんだからね!」
そう言ってリビングへ消えていく雪。
対して、二人して玄関に取り残され、ピキッと固まってしまう雄平と美海だった。
◇
雄平と美海が初めてクラスメートになった小学校一年生のときに、PTA役員で同じ係になった双方の親同士は、家がごく近所だったことや、雄平の母はその前からフジシロベーカリーの常連で互いに面識もあり、すぐに意気投合というか、家族ぐるみで一気に仲良くなった。
そして町内会イベントでは、ゴールデンウィーク中の美化活動も兼ねた歩け歩け大会、夏休み中の盆踊り大会、秋のバーベキュー大会などなど、さまざまなイベントに両家一緒に参加するようになったが、特に春の花見祭りへの一緒の参加は毎年欠かさない恒例となっていた。
事の始まりは、二人が小学校五年生になる直前の三月末に行われた花見祭りでのこと。
雄平がビニルシートの上に寝転がって持参したマンガを読みながら、隣りに座っていた美海の前に手を差し出した。
「みう、おにぎり取って。シャケのがいい」
「ゆう、お行儀悪いわよ。ちゃんと座って食べなさい」
そう言ってピシャリと雄平のお尻を軽く叩く美海。
この何気ない構図が、大人三人はいたくお気に召したらしい。
そこからはアルコールの力も合わさって大盛りあがりを見せた。
やれ「美海ちゃんはしっかりしてる」とか。
やれ「雄平はもう尻に敷かれ始めてる」とか。
そこから「将来は結婚して二人でフジシロベーカリーを継ぐか!」みたいな話になるのはそう時間はかからなかった。
さらに言えば、
「雄平は俺様がしっかりパン職人の技術を叩き込んだる!」とか息巻くバカ親父がいたり、
「そしたらあの高級食パンが毎日食べ放題ね」とか調子に乗る某キャリアウーマンがいたり、
「じゃあオレ半玉カレーパンね」とかマンガ読みながら適当なこと言う男の子がいたり、
「美海も花嫁修行始めなきゃね!」とか妙にウキウキしだす某母親がいたり、
「あーはいはい」とか澄まし顔で受け流すマセた女の子がいたり、
そんなこんなでどんどん話はエスカレートしていったのである。
雄平はマンガに気を取られてたし、美海のほうは酒が回った大人三人の戯言だと気にも止めなかった。
後日、どうせ忘れていると思ってたその戯言が続いていることに驚愕する雄平であったが、その時点ではまだ「どうせからかわれているだけよ、相手にしなくていいわ」と美海はまだ楽観していた。
しかしそれが事あるごとに話題に上り、一年、二年と経っても全然消えていかない。それどころかより具体的な話へ発展しているとなると、さすがに焦りも出てくる。
例えば雄平の母、雪が店にパンを買いに来た際には美海の母親との雑談で「式はやはり洋式かしら。でも和式も捨てがたいわよね」とか、「海外の、例えばハワイのチャペルも素敵よね」などと盛り上がるのだ。冷や汗も出るというものだ。
今から三年ほど前、中学生になる直前の三月末に行われた花見祭りで、再び盛り上がりを見せ始めた結婚話には、さすがに雄平と美海も黙って聞き流す気にはなれず、恐る恐る雄平が口を開いた。
「あ、あのさ、その結婚話、冗談なんだよね? たんなる酒の肴ってやつなんだよね?」
大人三人はいったんお互いに顔を見合わせ、そしてそれぞれに口を開いた。
「あら、少なくとも私は本気よ。超本気。美海ちゃんが娘になるなんて素敵だもの」
「ええ、私も。二人はすごくお似合いだと思うの」
「なんだ雄平。おめぇ、まさかウチの娘に不満でもあんのか? あん?」
「ダメよあなた。ちょっと照れてるだけ、そういうお年頃なんだから。雄平くん、不束な娘ですが、美海をどうぞよろしくね」
……ヤバい。コレ、マジなヤツだ。
さすがに二人はそう悟った。
あれから三年。
ヘタに真正面から拒絶すると親父さんが親バカぶりを発揮して「ウチの娘に何か不満か?」とか言い出すし、両家の仲を維持しつつなんとかこの結婚話を破談とすべく、できるだけ穏便に、慎重にと、主に美海がその交渉役(?)をしてきた。
結果、二人が大学を卒業するまで決断は先延ばしすることとなった。
つまり大学卒業時点で、もし二人に別の相手ができたならこの話はご破談。
そうでなければ、二人は正式に婚約する、と。
……なんか、逆にうまく丸め込まれてしまった気がしないでもない美海であった。
バカ親父はともかく、自分の母親と雄平の母は、妙に話が上手い。
特にこの二人を同時に相手してはいけない。
どうしてもうまく話の主導権が掴めないのだ。
むしろ話せば話すほど、自分の首を締めかねない気さえする。
とにかく、破談にするための条件は得られた。
それに向けて頑張ろうと決意する二人であった。
と同時に、できれば、大人たちが忘れてくれるとか、気が変わってくれるとかも、ほんの少しは期待したいところなのだが……
「ダメじゃんダメじゃん! やっぱ全然ダメじゃん! 雪さん、全然忘れてくれてないじゃん!」
「それはそっちもだろ! 両親によろしく言われたって言ってたぞ」
「そうよ。ウチはしっかり継続中なのよ。今日だってゆうのところに行くと言ったから、家の手伝いを免除してくれたくらいだもの。ママなんて『婚約者さんによろしく~』なんて笑顔で送り出してくれちゃったわよ!」
「……マジか」
「それ聞いたバカ親父は『まだ仮だけどな、がっははは』って大声で笑ってくれちゃってたわ。店の中にはお客様もいたってのに、恥ずかしいったらなかったわ」
「それは、なんというか、ご愁傷さまです……」
「他人事じゃないでしょ、私の婚約者さん? 雪さんだってしっかり継続中だったじゃん!」
美海が親指かじりながら「うーうー」とうなりだした。
――ヤバい。
これは危ないサインだ。
マジで追い詰められてるサインだ。
長年の付き合いだからわかる。
次に口にするのは絶対ロクなことじゃない。
「ゆう」
来た! と思わず身構える雄平。
何処に焦点を合わせているかわからないような目をして、美海は静かに言い放つ。
「さっさと碧とよりを戻しなさい。もしくは三雲さんと付き合いなさい。いえ、この際両方でもいいし、他の女の子でもいいわ。とにかく、今度こそしっかり捕まえて、手放すんじゃないわよ。どんな手を使ってでも七年間繋ぎ止めなさい。こうなったら私も全面的に協力してあげるから!」
やはりと言うべきか、予想を裏切らないロクでも無さというか、むしろ予想の斜め上を天元突破してくれてるというか、思わずこめかみを抑えたくなってしまう雄平であった。
「おいこら待てみう。お前、言ってることが破茶滅茶すぎる。ってか、言ってること違うじゃねえか。付き合おうが別れようが、直接的な関与しねえんじゃ無かったのかよ。それがお前の大事なポリシーなんだろ」
「ポリシーも大事だけど、私の将来はもっと大事なのよ! このままだと私、ゆうと結婚することになっちゃうじゃない。……ダメ、絶対ダメ。そんなの絶対ありえないっ!」
「こっちのセリフだ! ならお前もさっさと彼氏見付けろよ」
「探してるわよ! でも仕方ないじゃない。いい男が全然いないんだもの!」
「お前こそ北高の全男子生徒を敵に回す発言してんじゃねえよ。いるだろうサッカー部のエースとかバスケ部のキャプテンとか。知らんけど」
「知らないくせに適当なこと言わないで。どっちも好みじゃないのよ!」
……既にチェック済だったらしい。
「お前の好みは頭のいいスポーツマンだろう? だから北高に入ったんじゃねえのかよ」
「ただのスポーツマンじゃダメよ。最低でもしっかり腹筋割れてるくらい鍛えてる人じゃないと。成績だって常に北高の上位十位くらいはキープしてて欲しいし、それにルックスだって大事なの! ファッションセンスも! あと、私をしっかりリードしてくれる頼り甲斐だって欲しいし。あと……」
「ハードル高過ぎんだよ。どんだけだよ」
「とにかく! そんな理想の男性が見付かったとき、絶対ゲットするんだから! そのためにも、そんとき変な誤解されないためにも、学校では私達は赤の他人。お互い不干渉。話しかけないし、一切絡まない。ましてや幼馴染がバレるなんて論外中の論外なんだからね! いいわね! ゆう!」
「わーってるよ。ったく」
「とにかく、タイムリミットは大学卒業するまで。それまでにお互い恋人を作って、親に紹介して、そしてお互いに大切な相手ができたんだからと、この馬鹿げた婚約関係を綺麗さっぱり解消すること。……そうよ、できるわ、大丈夫。大学卒業するまで最短でもまだ七年近くあるんだから。きっと大丈夫、大丈夫よ……」
夜の帰路を後ろに雄平を連れながら、いつまでもぶつぶつ呟く美海だった。




