八日目 AM グランドフィナーレ
バスターミナルに着いた僕を待っていたのは多くの人の山だかりであった。
広場の中の大きなバスのロータリーには、それこそコンサートでもしてるのでは…? と思えるような大勢の人がいて、それぞれが看板を持ってたり、声を大にして何かを訴
えかけていた。
戦争反対のデモかなんかかな…その光景をのんきに眺めながら、僕は空港行きのバス停の前に立つ。
バス到着まで時間が迫っている割には待っている人が少ない…僕を含めて数名ほどだろうか。
僕はバス停を間違っているのではないかと不安になとガイドブックを取り出し確認する。
たしかにこのバス停であっている。
首を傾げながら待っていると、やがてバス到着の時間になる…が、バスは一向に姿を見せる気配がない…
―どういうこと…?
頭の中にクエスチョンマークを浮かべていると、隣で待つ家族旅行の一団も異変に気付いたのか、近くを歩いている人に話を聞きだした。
4人家族のお父さんらしき人が地元の人に話を聞き終わると、その様子を眺めていた僕に近づいてくる。
「ここで待っていてもバスは来ない。どうやらストライキらしい」
お手上げ…というようにそう言う。
どうやらギリシアではこの手のストがちょこちょこ起こるらしく…運悪くその日に当たってしまったというわけだ。
さて、どうしたらいいものか…飛行機の時間までには少し余裕があるけど、バスが使えないとなるとタクシーか電車ということになる。
予算的にタクシーは無理だとして残された道は…
そう考えていると、お父さんが僕に向かって「ついてきなさい」という身ぶりをみせた。
お父さんは奥さん、まだ小学校くらいの息子さん二人を連れ急ぎ足でロータリーから離れると、地下鉄の駅へと向かっていく。
僕も彼達の後について地下鉄の駅へ向かう。
ガイドブックに空港までの電車の経路が載っていたのだが路線が複雑で乗り換えなどがあって正直あまり使いたくなかった。
路線を一本間違えればとんでない所へ連れて行かれそうだし、そうなったら時間に間に合わない可能性だってある。
そういうリスクはなるべく避けるたいがためのバスだったのに…
僕は不安を抱えたまま、それでも自信満々に駅に目指すお父さんに「この家族について行けば大丈夫」と自分に言い聞かせる。
きっと空港への行き方も熟知してるはずだと…
駅に着いたお父さんは駅員らしき人をつかまえると、ガイドブックを開き空港への行き方を聞き始めた。
やばい…このお父さんも僕と同じ熟知レベルだったのか。
少し後悔するももう遅い…駅員に頷くお父さんを祈るように眺めながら、僕はこの家族と運命を共にする腹をくくった。
説明を聞き終えたお父さんが駅員に礼を言うと僕についてくるように促す。
切符を買い改札を通り、僕はよくわからないまま彼らたちと一緒に来た電車に乗り込んだ。
電車が発車すると僕達はようやく笑顔を交わし合う。お父さんたち一行はオランダ人の観光客らしかった。
おとなしそうな奥さんと、笑顔が可愛い二人の兄弟…お父さんは家族の長らしく「大丈夫」と子供達に言い聞かせているみたいだが、その当人たちは不安がるより、むしろ突然のハプニングを楽しんでいるようだった。
そこから数駅のちに僕達は電車を降りる。
乗り換えのためにホームを移り、ようやく空港へ向かう電車へと乗り込むことができた。
この電車であってるのかな? そんな不安はすぐに杞憂に変わる。
空港行きの電車は椅子が横向きに配置(長距離列車みたいに)されていて、通勤電車とは明らかに違う作りだったし、車内の電光掲示板には「AIRPORT」としっかり表
示されてた。
僕は安堵のため息をつく。
オランダ人家族は向かい合った席に腰掛けたために、そこで僕はお父さんに「ありがとう」を言って背を向けると、離れた席に向かった。
子供達の笑顔を背に僕は少しだけ寂しい気分になった。
上手い表現が見つからないけど…共に戦った(笑)仲間と別れるような感じといえばいいのだろうか。
席に着いた僕はようやく落ち着く…空港につくまでの約一時間をゆっくり過ごそう。
窓の外をぼうっと眺めながら、ギリシアに来てからの色んな出来事を振り返る。
ギリシアに来たことを後悔した初日のパルテノン神殿…窮屈な二等船室の椅子で寝違えそうになりながら過ごしたクレタ島までの航路…ミコノスかサントリーニのどちらをとるか迷ったピレウス港、幻想的なミコノスの町、大好きな猫達、ちょっと心残り? なサカキさんと過ごした夜…サントリーニで出会った多国籍の仲間の面々…
車窓から流れる景色が心地良く僕を睡魔に誘い出した頃…ふと背中越しに声をかけられる。
振り向くと車掌(駅員?)らしき人がなにやら僕に切符を見せるように言っていた。
僕が差しだした切符を確認すると車掌さんは残念そうに「空港行きの電車には特別な切符がいる」と説明を始めた。
ガイドブックの片隅にも載っていたのだが、この特別切符が無い場合、違反として罰金を払わなければいけないらしく…どうやらこの人は車掌では無く、その係の人のようであった。
罰金額は15ユーロほど…これは痛い。
僕は何とか「許してください」と頭を下げお願いしたが、当然無理であった。
仕方なく15ユーロを罰金として払うと、係りの人は「まいどあり」の笑顔を残し次のターゲットをであるオランダ人家族に向かった。
係員はオランダ人家族にも同じように切符の提出を求め、同じように15ユーロずつ巻き上げて行った。
僕が思うに…これはトラップというか、あまり事情をよく知らない外人目当ての「強制徴収劇」であり貴重な「財源」なんだと思う。
これにひっかかるのは僕を含めて特別切符のことを知らないギリシア人以外の観光客だろうし…
ちょっと意地悪というかセコイ(汗)。
計算外の15ユーロ消滅はあったものの何とか空港にたどり着いた僕は、オランダ人一家に手を振って受付に向かった。
空港内の両替所でユーロから円に替えてもらう。換金レートやけに悪いのか手数料が高すぎるのか…予想を遥かに下回る円を受け取った僕は、さっさと受付で手続きを済ませ待合室のソファに腰を落ち着けた。
あとは飛行機に乗って日本に帰るだけである。この旅でのギリシアでの行程は全て終わったのだ。
この地を去る寂しさと、日常に戻るという安堵感が僕の中で複雑に交差する。
はたして今回の旅で僕は何を日本に持ち帰ることができるのだろうか…
いつも旅の終わりには、この旅で掴んだ「何か」を帰ってから生かそうと思うのだけど…それが上手くいったためしがない。
僕自身の性格にもよるのだろうけど…こうやって異国の地で色んな人に出会って経験を重ねて行けばいくほど、日本に帰ってから日常で接する人との距離が遠くなっているような気がするのだ。
どんどん乖離していっていると言うか、大きな埋められない溝ができて言っていると言うか…
それは僕自身が前とは違う視点で物を見るようになったせいなのか、それとも逆に視野が狭くなっているのか…正直言ってわからない。
周りとの考え方や生き方のギャップが大き過ぎて、自分に自信が持てなくなる時も多々ある…
でも、これは僕にとって必要なことであるのだと思う。
導きがどこに向かっているのかわからないけど…たとえ多くの人が自分から離れていったとしても、本当に必要な人さえ自分のそばにいれば、それはたぶん幸せな人生なんだと思う。
そのために僕はこうやって旅をして、自己満足的な成長(笑)を重ねているのだろう。
それはこれから先もずっと続き、その度に色んなものを失って…でもその果てに、本当に必要な「何か」が見えてくるのだと希望的に考えることにしよう。
海外の旅から帰ると、ほんの少し日本という国を新鮮に…いや、もう少し正確に表現すると全く違う国と感じる一瞬がある。
時間にして一時間程度だろうか…僕の場合でいうと関西空港から電車に乗って家に帰るくらいの時間だ。
空港を出て電車に乗り、行く時に見た風景と同じものを車窓から見るのだが…行く時とは全く違う風景に見え、駅のホームにいる人達…学生さんとかが他のアジアの国の人に
見えるのだ。見なれた街の風景、家やらビルでさえも他の国の風景に見え…自分が本当に帰ってきたのかどうかわからなくなる感覚に陥る時がある。
日本を離れ日常から切り離すことで、初めて見える「日本国」の素顔というか…
きっと海外の人が初めて日本を訪れたらこんな感覚なんだろうな、とも思ったりもする。
それを経験するだけでも…日本を離れてみる価値は十分にあるのかもしれない。
今回も帰って日本の地を踏みしめたら、きっとそれを感じるだろう。
ギリシアでの経験が、今度は僕をどこへ導いてくれるのだろう…きっといつものように過酷で大変な道を選択させるんだろうけど「どんと来い!」である。
人生は過酷であるなら過酷であるほど充実してるし…その中に得られる小さな輝きが宝石のように美しく、そこに生きている価値を見出すことができる。
それは旅と同じで…ひょっとしてそれを確認するために、僕は旅を続けているのかもしれない。
いや、間違いなくそうだろう…
ギリシアでの旅が終わったと同時に、まだまだ続くであろう旅がまた始まるのだ。
次はどんな苦労が待ち構えてるのだろう…僕はそれを想像しながらも思わず口元をほころばせると、ギリシアの地を離れるべく搭乗口から飛行機に乗り込んだ。