初日 AM β'
ギリシア初日、アテネのアクロポリスにたどり着いた僕は、遺跡へのエントランスをくぐった。
まだ早朝と言う事もあって肌寒い。パルテノン神殿までの道を歩きながら、僕は目に見える風景を視界の中に吸収する。
紀元前600年頃、このパルテノン神殿を始めとするアテネを中心に、ポリスと言う都市国家が栄えた。
ペルシアとの闘いに勝利したギリシアは、アテネをそのリーダーとして、多数のポリスとス同盟を結んだ(デロス同盟)。
当初、平等で上手くいっていた各ポリスとの関係であったが、次第にアテネの権力が増していき、アテネは各ポリスに過酷な重税を要求するようになり、それに従わないポリスには徹底した罰(ポリスの男全て処刑等)を与え、その恐怖によって他のポリスを従わせていった。
『歴史は繰り返される』僕は次第に権力を増していき正義を失っていったアテネに、どうしても現在のアメリカ合衆国の姿を重ねてしまう…
今アメリカが世界の権力なりつつあり、それに従わない国を、見せしめのように攻撃する。
だが、その力の大きさにどの国も抵抗できずに従うしかなく、それがまた増長を生み…みたいなスパイラスに入っているような気がするのだが。
…でも、繰り返される歴史から言うと、最後には大きくなりすぎた権力は間違いなくその終点『崩壊』へ到達する。
僕は石段の道を歩きながら、ふとそんな事を考えていた。
観光客の殆どいない敷地内を進むと、どんどんとパルテノン神殿が大きくなって、やがて僕はその目の前に立ち止まった。
朝日の中に浮かび上がる神殿は想像したよりも遥かに大きい。でも…そこからは何も感じなかった。
数年前に訪れたマチュピチュ遺跡なんかは、かつてのインカ帝国の人々が今にでもゾロゾロと出てきそうな、遺跡に宿る『生命』みたいなものを感じたのに。
神殿修復工事用のクレーンと、遺跡の周りに足場が組まれていたので、どことなく歴史と現代が入り混じった違和感があったのか、遺跡の持つ『生命』が失われているのか…
僕はパルテノン神殿の周りを歩きながら、神殿以外の目新しいものを探す。神殿の一番奥まで行くと、そこからは丘の下に広がる遺跡とアテネの街並みが見下ろせる。
僕はしばらくそこでぼうっとしたに広がる遺跡の、その向こうにある現在の街並みを眺めながら『さて、これからどうしたものか…』を考えた。
今回の旅の最大の目的は遺跡と、あとはエーゲ海…目的の一つである遺跡を見てしまい、ここで旅の目的が大方達成されてしまった。
初日の午前中に…である。あとの一週間、何を目指せばいいのやら…
目の前にある問題としては今日である。今日一日はアテネで遺跡を見て周り、夜は市内で宿をとって明日に別のところへ移動する考えでいたが、今の感じでは残りの遺跡をすべて見ても午前中で終わってしまいそうである…(汗)。
…と、なると旅の第二の目的であるエーゲ海に向かうべきか。僕は遺跡を歩き回りながら次なる目的地を頭の中で探していた。
それから円形劇場、遺跡周りの道をぶらぶらと歩き…アクロポリスを後にして、アテネ市内に向かった。
この旅のガイドブックとなる『地球の歩き方』に載っていた、日本人の経営するホテルに行けば、何かしらの情報が得られるからと思ったからだ。
それにもしアテネで今夜泊まるなら、宿を確保しておくに越した事は無い(いつもは旅先に到着してすぐにその日の宿を確保しておくのだが、今回は何となく予感があったのか、それをしていなかった)。
丘を降り地図を見ながら、かなり歴史を感じる大きなビルの一角にそのホテルを見つける。中に入ると50前後くらいの日本人のおじさん(経営者)が僕を迎えてくれた。
おじさんは、僕が午前中アテネを歩いてきた話をすると『それだけ見たら、もうあまり見るものは無いよ』と、アッサリと言いきり『じゃあ、夕方の船でエーゲ海に出てみたら?』と、助言してくれた。
それはほぼ僕の考えていた事と一致していたので、僕はエーゲ海にあるギリシア文明発生の地、クレタ島に向かう事にした。
ギリシアでは夏の観光シーズンと冬のオフシーズンでは、エーゲ海を行き来する船の便、飛行機の便が全然違う…僕が行った時期はまだギリギリオフシーズンだったので、船便も少なく、夕方の六時くらいにならないとクレタに向かう船便が無いとの事…
今からだとあと…六時間以上。旅先で電車やバスを待つのには結構慣れていたが、さすがにこれは長い…
でも、宿に泊まらない以上ホテルには居場所が無いので、僕はおじさんに礼を言って、ホテルを後にした(本当は荷物を全て下ろして休息を取りたかったが)。
あてもなくアテネの市外を歩き回り…とりあえずお昼ごはんでも食べようと、僕はなるべく安い店を探す。
僕自身が貧乏旅行者である事と、それに…観光客が賑わうお店より、地元の下町にあるような小さなお店の方が、その国の本当の味が食べられる…と、今までの経験で実感していたから。
当然のごとく僕の足取りも、観光客が多い市内よりも、地元の人で賑わう下町?の方に向いていた。