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belief   作者: 杜守 幻鬼
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~第三章~ 「神のご加護があらんことを 」(前編) 4

 海を見たい、と言ってシンが小屋を出たのはつい先刻。舟に乗せてあげようか、と言ってタタンも共に出かけた。リディウスは聖典を手に、向かい合って坐るジズを見る。真っ先にシンについていきそうなのに留まっているのは、自分を一人にしないためだというのが分かった。ありがたく、嬉しく思う。そして、絶好の機会とも。彼に、シンの一族について訊くための。

 「ジズさん」

 「ん?なぁに?」

 男は満面の笑顔で少年を見る。

 「ちょっと、お訊きしたいことが……」

 だが、リディウスがシンの一族について分かったことと疑問に思うことを口にすると、彼の笑顔は徐々に大人しくなっていった。

 「……う~ん……本人には、訊いたの?」

 「いいえ」

 「そうだよねえ……う~ん……俺が言ってもイイものなのかね?」

 首を傾げるジズに、リディウスは必死に食い下がる。

 「お願いします!知りたいんです。ちゃんと知らないと、僕では……偏った見方しか、まだできないと思うんです」

 「……偉いねえ」

 頭の固さは仕方ないにしても、目の前の少年はそれをある意味欠点となることを受け入れた上で、他の物の見方を知ろうとしている。そこまでくれば「頭が固い」とは言えないのかもしれないが、彼の「頭の固さ」は信じるものに対しての信念の堅さだ。

 「そうだな、うん、君も知っておくべきかもしれない。いや、俺たちが知らせておくべきことだったな」

 リディウスは既に第三者ではないのだから。

 「信じる信じないは、まあ、君の判断に任せるけどね」

 そしてジズは語り始めた。

 「その、『神託』というのはある意味間違ってないんだ。だって、その聖典の中身は、あのコの一族が『神様』から聞いていたことだから。……でも、その『神様』っていうのは……」

 それから語られる「真実」を、神学生はじっと聴いていた。「神託の一族」と言われる所以、そして法王に殺された理由……言いたいことがあっても、先ずはじっと聴いていた。膝の上で握り締めた手は震えた。視線は相手の目から机の上に移った。でも、冷静に、一言も逃さずに。

 「……他より長生きだったから、長く長く、正確に『御伽噺』が伝わっていったのが一因だと思うんだ。……永く生きることが、他と違うことが、良いこととは限らないよね」

 哀しげに笑う男の顔を、俯いている少年は見なかった。話は続く。

 「あのコたちにはなんの非も無いんだよ。勝手に宗教に祭り上げられて、勝手に『不都合だ』って殺された……凄く、ね、あのコたちは、運が悪かったっていうか……そんな言葉じゃ片付けられないけど、ね」

 ジズはそこまで喋り終えると、ふぅ、と息をついた。どれだけ相手にとって辛い話か、想像はできるつもりだ。

 「……」

 少年は押し黙っている。

 「……」

 男も喋らない。

 ―――重い、沈黙の後。

 「……ありがとうございました」

 リディウスはちょこんと頭を下げた。声は小さい。

 「でも……ちょっと、一人で考えてみます」

 「……うん。そうだね」

 ジズは席を立つ。

 「なんか疲れちゃった。ここら辺を散歩してるから。じゃ」

 暫く一人にしてやるつもりだった。

 

 自分を、今度は一人にしてくれた男に感謝しながらも、少年の心は重い。

 信じられない話だった。神学生として信じてはいけないと思う。

 だが、感情と理性を割り切れば、納得のできる話でもあった。実際に今自分の身に起きていることを考えれば。そして、この手にした聖典の記述と照らし合わせれば。

 「……」

 胸が苦しい。それに妙な脱力感。

 自分の寄る辺がなくなってしまったような、不安。だが同時に、どうしてもそれを認めない反発も、強く存在を主張する。

 本当のことなんて、誰にも分からないはずだ、きっと。だって、そうじゃないか。聖典が創られた当時の人間で、生きているものは居ないのだから。『神』が本当に居ないなんて、誰にも言い切れないじゃないか。それに天地の始まりだって、人智を越えたものなのは確かだ……

 答えの出ない問答で、少年は自分を慰める。知りたかったことは、知りたくなかったことでもあった。だが、やはり知らねばならなかったということも、彼は心のどこかで理解していた。

 

 無口な二人は、小舟に揺られて水面を見ている。ただそれだけの、ぼぅっとした時間が流れている。

 「……」

 シンは、ああ、綺麗だな、と海を眺めている。

 「……」

 タタンも、ああ、綺麗だな、と海を眺めている。

 二人ともそんな調子で、かれこれ数時間が過ぎようとしていた。よく飽きないものだ。

 そこへ不意に、強い風が吹いた。冷たい風に頬を叩かれ、タタンはのっそりと立ち上がる。

 「寒くは、ないかな?」

 「ああ、大丈夫だ」

 「そろそろ、戻ろうか?」

 「そうだな。お願いしよう」

 「うん」

 そこでまた会話は途切れるが、お互い気詰まりではない。むしろ二人とも居心地の良さを感じている。二人ともマイペースだが、両者ともそのペースがゆっくりしているのだろう。

 「……舟を出してくれて、ありがとう。海は、良いものだな」

 「うん。俺も、海、好きなんだ」

 岸が見えてきた辺りで告げられたシンの礼に、タタンは笑顔で応える。彼のはとこといい妻といい、この一族の基本は笑顔なのではないだろうか。

 「あー……シンくん」

 その笑顔が、少し、翳った。

 「ちょっと、お願いがあるんだ。ラシャにも、言われたかもしれないが」

 「あやつのことか?」

 彼は頷く。

 「うん。歳の割に子供っぽくて、落ち着きの無いヤツだが……あれで結構、優しくて繊細なんだ」

 繊細かどうかは知らないが、シンは一応頷いた。

 「だからどうか、一緒に居る間は、面倒をみてやって欲しい」

 タタンはそこでちょっと苦笑した。照れたような表情が良く似合う。

 「随分と若い君に頼むには、おかしい内容かな」

 「……そうだな。こちらこそ世話になっている」

 そこは彼女も素直に認めているところだ。本人に言うと調子に乗りそうだが。

 「そうか、あいつ、少しは『お兄ちゃん』なんだな」

 今度は、とても嬉しそうに微笑う。年下の身内の成長を喜ぶ気持ちは、彼女にも分かる。

 「なら、うん……あいつも大人だ。本人に任せよう」

 彼は何かを納得したようだ。思うところもあるようだが、一人頷き、また櫂を漕ぎ始めた。


 ジズもまた、ぼぅっと海を見ていた。桟橋に腰掛けて、意味も無く足先で水面を引っ掻いている。

 (あ~あ、やんなっちゃう)

 人の信念を傷付けてしまう内容の話を、した。それが例え、彼の知る限り「真実」であっても。相手にせがまれたにしても。

 (でも、誤魔化しちゃイケナイことだからなあ……シンに話せっていうのも、無理だし)

 それは酷だしリディウスと言い合いになりかねない。

 (……損な役回りだ)

 彼は桟橋に寝そべった。ああ、空も青い。

 (ま、なんとかなるよね~。リディ、強いコだから)

 考えることを放棄して、彼は目を閉じた。

 海鳥の鳴く声と波の音。それを子守唄に、うとうと。

 ああ、ずぅっと、こんなにのんびりまったりしていられたらイイのに。

 そんなことをぼんやりと思う。暇が何より大嫌いで、もし実際にそんなことになったら絶対に耐えられないくせに。気分に忠実な男だ。

 (皆さ、色々考えすぎなんだよね。空も海もこんなに広くて青いのにさ)

 ごろりと寝返りを打つ。太陽が暖かい。

 (まあ、シンは考えなさ過ぎかも。目標しか決めてないもんな、あのコ。手段は俺が考えてあげなきゃな)

 くすり、と笑った。傍からみれば、幸せな夢を見ているかのようだ。しかし、

 (シン、か……)

 少し、眉根を寄せる。あの娘と居ることを、『身内』は皆、手放しには喜んでくれない。シンを見てるとあんなに楽しいのに。いや、あんなに楽しいから、か。

 (……ラシャも兄も、心配しすぎだよ。俺、思ってるより大人なのに)

 二人の気持ちも優しさも分かる。だが、彼は自衛策も知っている。傷付く前に逃げることを、覚えた。「自分」を隠すことも。

 不意に、彼は波の音に違うものを感じ、上体を起こした。沖の方に目を遣ると、やや遠方に小舟が。シンとタタンの乗った舟だ。彼の目が輝く。

 「お~い!!」

 立ち上がって大声を上げながら両手を振ると、背の高い人物が手を振り返してくれた。タタンだ。

 「戻ってきた戻ってきた」

 歌うように呟いて、ジズは桟橋を走った。桟橋の端ぎりぎりまで全力疾走して、急停止。バランスを崩して海に落っこちそうになるけれど、ぐっと踏みとどまる。そのまま大きく両手を振って二人の帰還を待つ。大好きな二人がどんどん近づいてくる。

 (っていうかシン、ずるいよね!タタン兄独り占めでさ!ていうかタタン兄もずるい!シンを独り占めしてさ!)

 そんなことを素直に考える男だから、彼の中に「大人」が確かに居るにせよ、「子供」が同居していることも否めないのである。


 小屋に戻ると、リディウスはシンやタタンに気を遣わせないように「普段通り」を心掛けていた。ぎこちない笑顔とややはしゃぎすぎな態度になってしまっていたのだが、ジズが密かにフォローして誤魔化す。

 その夜、少年は聖典を抱いて寝た。何かに怯えるかのように、丸まって。

 だが、眠れないのは分かっていた。


 結局、あまりの居心地のよさに、シンたちは計五日もタタンの世話になってしまった。ジズとしては「もっとお世話して」という気がないでもないが、タタンもそろそろこの町を出ねば、インチェに着くのが満月の日に間に合わなくなる。新婚さんの逢瀬を邪魔するのは無粋だろう。

 出立の準備を整えて、三人は小屋を出た。外では、同じく旅の準備と町の人たちへの挨拶を済ませたタタンが待っている。町の入り口まではタタンも同行することになっていた。その短い距離をずっと彼にまとわりつくように歩くジズは見るからに寂しそうだが、子供たちも実は寂しい。砂族と別れるのとはまた違う気分だ。リディウスはもう充分にジズの心情を理解できていた。タタンには、甘えていたい雰囲気がある。

 「貴方には、随分世話になったな」

 「いや、こちらこそ。楽しかったよ」

 シンは「甘え」という感情からは程遠いところに居るが、それでもタタンには感じるところがあるのだろう。彼より年上に見える、しかも砂族の長であるギルバに対してすら「お前」呼ばわりだったのだが、彼には「貴方」と呼びかける。リディウスの知るところ、彼女が老人以外にその呼び方を使うのはタタンだけだ。

 「タタン兄、またね。ラシャによろしく」

 「うん」

 「タタンさん、お世話になりました。本当にありがとうございました」

 「うん」

 にこやかに笑っていたタタンだが、いざ町の外れに来てみると、口元が泣きそうに歪んだ。彼も寂しいのだ。そんな顔をされると三人もその場を離れがたいのだが、タタンはぐっと堪えてまた笑顔を取り戻す。険しい旅路を往く者に、餞の言葉をかけねば。

 「シンくん、体に気を付けてな。武運を、祈るよ」

 「ああ。感謝する」

 「リディウスくん。諦めないように。いつか必ず、またご両親に逢えるから」

 「あ、ありがとうございます!」

 「ジズ……」

 ぽん、と彼ははとこの頭に手を置いた。

 「またな。次に逢うときも、どうか笑顔で」

 「うん。兄もラシャとお幸せに」

 タタンはまた微笑む。

 「じゃあ、皆、どうか元気で。朗報を楽しみにしているから」

 三人は彼に見送られて、また新しい一歩を踏み出した。

 南へ、街道を使って移動する予定の彼と違い、三人は東へ、山道を進む。

 「……」

 何度もこちらを振り返って手を振るジズも見えなくなった。タタンは寂しそうに、振り返していた手を下ろす。

 「おや、タタンさん。もう、この町を出るのかね」

 急に掛けられた声に振り返ると、町へ入ろうとしている老漁師だった。滲んできていた涙を、目を瞬かせることで誤魔化して、彼は会釈した。

 「はい、お世話になりました」

 「いやいや、ワシらの方がよっぽど世話になったよ。しかし、寂しくなるなあ」

 「すいません……」

 「ははは。謝ることはないだろう。また顔を見せにきておくれよ。……ところで、さっき出てったあのコたちに、あんたと同じ黒髪黒目の若者がおったが」

 老人はシンたちの去っていった方角をみる。

 「親戚かい?」

 「はい。はとこです」

 「ああ、成る程。はとこか」

 老人は、町で何度か彼とジズが一緒に居るところを見ている。何かを怪しんでいたのだろうが、はとこ、と聞いて少し安心したようだ。

 「弟みたいで、可愛いもんだろう」

 「はい!」

 タタンは笑顔で応えた。

 「百も歳が離れていると、何時までも子供のような気がして」

 ついつい甘やかしてしまうんですよね、と笑う彼の屈託の無さに、老人はその発言の異常性を見過ごしてしまった。


 ちなみにタタンは、嘘は吐かない。


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