第1話 ③ そこに巣食う魔物
風が吹き、木々の葉が揺れる音が耳に響いた。
木漏れ日が地面に照らされて、その上を蝶がゆらりと飛んでいる。
たった今通り過ぎた木には蔦が巻かれており、その蔦には天然の果物が芳醇な匂いを放ちながら実っている。
現在地は西の森。
侵入してからおやっさんの指示通りに進むこと十数分。もうすぐ半ばに差し掛かりそうな頃合だが、未だに魔物の発見には至っていない。
襲われた親子は森の半分手前で留まっていた。ならばその辺りまで行けば何かしら見つかると思ったが、早々に森の奥にある洞窟に引っ込んじまったんだろうか。
そんな事を考えていると、目線の数m先に根っこが剥き出しの倒木を発見した。
慎重に近付き見てみると、倒木以外にも荒々しくえぐれた地面や森の奥に続く足跡のようなものも確認できた。
「…おやっさん…ここは……」
「……ああ。ルベンとモルは、きっとここで襲われたんだろうな。魔物のヤツ……こんな場所まで来やがったのか。」
地面の足跡を目で追うと、その先の木々や草が引き倒されて獣道のように開けた道が出来上がっていた。
引き倒された木のほとんどは俺達が今いる場所の方へ倒されている。つまり、魔物はこの方角からやって来たと見てよさそうだ。
「バーディンさん。この先に魔物が通ったであろう開けた道が続いていますが、森の奥にある洞窟の方角はこの道の先の方角と一致しますか?」
「…!ああ、そうだ!間違いない、この先にあの洞窟がある筈だ…!」
「ならここからおやっさんとユーナは別方向から進んでくれ。俺はこのまま真っ直ぐ進むから、2人は右側から回り込んで行く感じで頼む。洞窟が見える場所まで行ったらとりあえずそこで待機。その後は頃合い見てさっき話した作戦通りで、そっちの動きはユーナに任せたわ。」
「分かったわ、作戦開始の合図だけよろしくね。ではバーディンさん、行きましょう。」
別方向へ進む2人の後ろ姿を横目に、目前に広がる開けた道へ歩みを進める。
同時に周囲の様子も確認するが、特に目立ったものは見当たらない。野生動物などの死骸が無いところを鑑みるに、まだ通常個体の境界を超えてはいないと見ていいだろう。魔力を持たない生き物が殺されていないのは、まだ奴に獲物を選定する程度の余力がある証拠だ。
だがそれでも、行動は慎重にならざるを得ない。
余力があるということは、策を弄する知能も残っているという事だ。さっきは細かい説明を省いたが、策を弄する魔物はただ生け捕りにして獲物を待つだけじゃない。過去には助けに来た人間に落石などの罠を仕掛けた奴や、瀕死を装って油断を誘い捕食しようとした奴も存在した。
オマケに今回は狂暴個体のなりかけ。様々な危険要素が絡み合っている以上、慎重に動くことは間違いじゃない筈だ。
ユーナ達と分かれ、10分ほど経過した時だった。
小枝さえも踏まないよう細心をもって進んでいると、10mほど先に雑草さえ生えてない開けた場所が見えた。
そしてその更に奥に、昼間の明るさすら飲み込んでしまうほどの暗闇で満たされた空間があるのが分かった。それが何なのかは、一目見て理解できた。
「あれか……おやっさんが言ってた…洞窟だな。」
ドーナツの穴のように小高い丘の岩肌にぽっかりと空いた洞窟の入口からは、魔物が居ると知っているからか禍々しい雰囲気を感じる。
ずっと見ていると引きずり込まれるような、そんな感覚を覚える。
入口の地面や壁は魔物が通った影響で所々が崩れており、それは中まで続いているように見える。つまり、魔物がこの中に居るのは間違いないはずだ。
……にも関わらず、依然魔物の気配を感じることは無い。痕跡は見つけたのに、尻尾どころか気配すら掴めない。
魔力の濃度が高い場所は、それ故に魔力による探知が難しい…そんな事は百も承知だが、こうも見事に気配を隠せるもんだろうか?
少々の違和感を覚えつつ周辺を警戒していると、1時方向の数十メートル先で木の後ろにしゃがみ込み待機中のユーナ達を発見した。数秒経ち向こうも気付いたようで、ユーナが俺に手を振ってきた。反応を見るに、洞窟の存在にも気付いているようだ。
遠目に顔を見合わせ、作戦開始の手信号をユーナに送る。
その後数秒して、おやっさんがユーナから離れ俺の視界から姿を消した。
ユーナと再度目を合わせ、お互い軽く頷き合う。
数秒してユーナが立ち上がり、両手杖を持ち直して全身から魔力を徐々に解放していく。
周囲の空気が一瞬で切り替わったのを肌で感じる。魔法を使わない俺ですら分かるほどの重苦しい魔力だ、魔物が居るなら気付かない訳がない。
ユーナの魔力を感じながら、木陰から洞窟の入り口を注視する。
魔物が出てきた場合、まずは奴をこの洞窟から引き剥がす事が先決だ。子供が生きてるならきっとまだ洞窟の中にいる筈だから、とにかく俺たちで魔物を引き付けておやっさんが救出できる時間を作る。あとは子供さえ見つかりゃ目標はほぼ達成、残りは奴を倒すだけだ。
「…さあ………いつでも出てこい……」
……
違和感が、脳裏をよぎる。
ユーナが魔力の放出を始めて既に数十秒は経過してる。それなのに、魔物は一向にその姿を見せない。
普通の魔物なら垂涎物の御馳走だ、これに気付いて我慢できる理性なんてある訳がない。ましてや狂暴個体のなりかけ、無反応なんてまず有り得ない。
俺が通った道以外に魔物の形跡は無かった。
魔物は親子を襲った後、間違いなくここに戻った筈だ。そしてこの魔力の放出で俺たちの存在にも確実に気付いている筈。
ならば何故姿を表さないのか…。
通常個体、策を弄する魔物。
狂暴個体のなりかけとは言え、その片鱗はまだ残っていると推測している。それならこの瞬間にも奴は俺たちに予想外の角度から攻撃を仕掛けてくる筈だ。
例えば、目に見えない場所からの奇襲…。
ふと、足元を見た。
魔物が住み着けるほどの洞窟。ならば、規模はそれなりに大きい筈だ。洞窟道だってきっと色んな方角へ広がっているだろう。
地下深くでも、もしも俺たちの直下に洞窟道があるのなら。
…魔物の居場所が分かった。
「フェンッ!!」
「下よ!!!」
ユーナの声と同時に地面を蹴り、木を飛び越えて高く跳躍した。
その直後、2本の赤黒い副腕が大地を突き破り俺が隠れていた木にまとわりついた。
一瞬でも遅れてたら捕まっていただろう。やはりこいつは……。
空を一斉に、鳥が羽ばたいた。
瞬間森が揺れ、木が傾き、大地が隆起した。
そしてそれを皮切りに、心臓に響く轟音を立てながら奴は地中からその姿を現した。
背面に数本の副腕と眼球体、どデカく肥大化した主腕には岩肌すら砕く鋭利な爪、軽く15mは越えているであろう体躯には土や植物が被さり、動く度にその禍々しい赤黒い体表が露わになる。
「そこに居やがったか…狂暴野郎…!!!」
半狂暴個体。通常個体の枠組みを遥かに凌駕した体積を揺らしながら、奴は空に向かって大きく咆哮した。
空気を揺らすほどの振動を全身で感じる。直後、逃した獲物を発見したのか奴は俺に2本の主腕を伸ばしてきた。
近くに居る筈のユーナより先に狙うってことは、空中に居る俺なら身動きが取れないと見越しての判断か、それともユーナが既に魔力の抑制を始めてるかだ。どちらにせよ、舐められたもんだ。
右手に力を込める。
どこからか現れた光の粒が束となり、やがて収束し一直の片手剣を発現する。
剣を強く握り、構えながら迫り来る主腕の位置を確認する。真下と右斜めから向かってくる2本の主腕を、体を回転させながら爪ごと一閃に斬り薙いだ。
切断面から黒色の体液が飛び散り、魔力で硬質化された肉の感覚が剣から体へ伝播する。
いかに魔物が常識離れした生物でも、斬れば血は出るし動き続ければ魔力はすり減る。この実感は、常に俺を冷静にさせてくれる。
主腕を斬り落とされた魔物が、負けじと再度副腕を伸ばしてきた。同じように斬り落とそうと腕に力を込める、その時だった。
魔物の動きが一瞬静止し、意識が俺ではなく別の場所へ向いたように感じた。その意識は、恐らくユーナが居た方向に向けられていた。
その瞬間、氷の割れる音が響いた。
直後、突如として氷が出現し、瞬きもままならない速度で鋭い氷結音を鳴らしながら魔物を氷漬けの氷像にしてしまった。
確かめるまでもなく、これは間違いなくユーナの魔法だ。
作戦では魔物を引き付けとく役目だったが、奇襲され場を乱された以上悠長な事は出来ないと判断したんだろう。
氷で身動きが取れない魔物を視界に収めつつ、地面に着地する。
辺りを見渡すと、周辺の地面は奇襲によって広範囲が荒々しく陥没し倒木が乱立している。大きな森の一画に過ぎないが、少なくともこの場所はもはや森と呼べるような環境では無くなってしまった。
まあこいつも情報で聞いてたよりもデカかったし、ユーナの判断のお陰でむしろ被害は最小限に留めたと見てよさそうだ。
当の魔物は自身の状況を理解し切れていないのか、俺を睨みながら攻撃しようと必死に氷漬けの体を揺らしている。
だが聞こえてくるのは振動によって落ちる土くれの落下音と氷の接触音だけだ。流石の半狂暴個体も、ユーナの氷を壊すのは困難らしい。
「フェンー、大丈夫だったー?」
魔物と目を合わせつつ剣の汚れを払っていると、ユーナが俺の名前を呼びながら氷塊の陰から現れた。手を振り無事を伝えると、ユーナは安堵した表情で俺の元へ走って来た。
「フェン攻撃されたでしょ?怪我しなかった?」
「あんなんで俺がやられるか舐めんな。…てかこいつ、まだギリ通常個体だよな?」
「うん、多分そうだと思う。気配を消して奇襲仕掛けてくる程度には知能も残ってたみたいだし、私の魔力放出にも中々食いつかなかったし。この分なら子供は大丈夫そうね。」
「だな。とりあえず、上手く拘束できてる間にとっととやっちまうぞ。ユーナ、位置は?」
「そうね。えーっと……」
「お前らー!!急に静かになったが大丈夫か!?モルは洞窟の中に居たぞ!無事生きてる!今結界に連れていくから待ってろ!!」
バーディンのおやっさんの声が洞窟の方から聞こえ、振り向くと倒れた木の間から子供を胸に抱きかかえて俺らの名前を呼ぶおやっさんの姿が見えた。
それを見て一瞬安心しかけたが、その瞬間に一つの予感が俺の思考を支配した。
おやっさんの声が俺らに聞こえたってことは、それは魔物にも聞こえた事になる。
剣を握る力を強め、一縷の思考も挟まず俺は魔物の元へ走り出した。
ユーナも同じ事を考えたのかおやっさん達の方へ走り出し、魔法陣の展開を開始した。
そして予想通り、俺たちが動いた直後に魔物がおやっさん達に向けて反応行動を示した。
氷の一部を砕き、そこから副腕を1本伸ばした。土壇場で狂暴個体に成長したのか、とにかくこの絶望的状況に子供でも何でも食って体力を補給する気だ。
「ユーナ!!止めろ!!!」
俺の言葉と同時にユーナは跳躍し、おやっさんと副腕のちょうど間に割り込んだ。
魔力で構築された半透明の刃が両手杖の先端から発現され、ユーナをそれを伸びてくる副腕に向けて力いっぱいに斬り下げた。
「右腹部の主腕2本、その真ん中!!!」
ユーナが副腕を斬り落とした瞬間、そう叫んだ。
意味を即座に理解し、剣に意識を集中する。
左足に込めた力で一歩前に大きく飛び出し、剣を横に振りかぶり構えを取る。
右手に握る剣から溢れ出る力を感じる。
この剣が持つ力を、対象である眼前の魔物に向ける。
ユーナから伝えられた位置に目線を定め、右腹部の主腕の間に剣を全力で斬り払った。
剣の軌道は空を切り、吹く風さえ置き去った。
力を全て解放した剣は、魔物の体を氷ごと一刀両断した。
その時、ユーナから示された場所に両断された魔物の核が見えた。魔物を倒す方法は幾つか種類があり、その1つが今やった核と呼ばれる箇所の破壊だ。これが成功すれば魔物は…
体が上下真っ二つになった魔物は、それに反応を見せる事もなく轟音を立てながらその巨体を地面に崩れ倒した。
立ち上がった土煙を咳き込みながら払い除け、視界が晴れるのを待つ。
数十秒後、ようやく土煙が薄くなり目を凝らすと、目の前で無機物のように崩れ落ちた魔物の死骸を発見した。
ずっと俺を睨んでいた眼球には光がなく、何本もの腕は力無く木に引っかかったり、土に伏している。
とりあえず、無事に討伐は出来たようだ。もし仮に核が無事だったとしても、この状態じゃまともな戦闘にはならないだろう。
ふと右手に持った剣を見ると、先程よりも剣の重量が軽くなっている事に気が付いた。それから数秒して形が徐々に崩れ出したかと思えば、剣はあっという間に細かな光の粒となって空へ浮かんで消えてしまった。
あの剣が持つ力を全て解放したんだ。そうしなければ、おやっさん達だってどうなっていたか分からない。
余計な思いはいらない、今あの剣に向けるべき感情は一つだけで良いはずだ。
光の粒が消えていった空に視線を向けていると、いつの間にか俺の横に来ていたユーナが覗き込むように魔物の死骸を見つめていた。
「倒した…のよね?」
「ああ、核はキッチリぶった斬った。これで終わりだ。」
「そう、良かった。……あ、バーディンさんも…」
「お、お前ら!こんな所に居たのか!急に魔物が崩れてきてたが、何ともなかったか!?怪我はしてないか!?」
ユーナが名前を呼んだ直後、後ろの木の陰から子供を抱えたおやっさんが俺たちの元へ走り向かってきた。相変わらず顔怖いな。
「バーディンさん、私たちは大丈夫です。魔物も無事に討伐出来ました。それよりモルくんの方は問題ありませんか?」
「あ、ああ!モルなら多分大丈夫だ!擦過傷とか軽い切り傷だけで大きな外傷はない。ただ今は意識が無くてな、眠ってるだけだと思うが一応急いで結界に向かいたい!!」
「ならユーナはおやっさんと一緒にそのまま結界戻っといてくれ。俺はこの魔物片してから行くわ。」
「分かったわ。なるべく早く来てね。」
「おう。」
踵を返し、魔物の死骸へ向き直る。目の前で小高い丘のように寝っ転がっている死骸を数秒見つめ、思わずため息が漏れ出る。
…さてと。魔物は核を潰せば死に至るが、他の方法と違ってその場合魔物の死骸は残留し続ける。魔物の死骸は放置するとその周辺に甚大な環境汚染を引き起こす為、こうやって聖術で……
「フェン!!」
急に後ろから名前を呼ばれ、反射的に振り返った。
呼んだのはユーナでもましてや子供でもなく、バーディンのおやっさんだった。
おやっさんは荒い息を整えながら俺をじっと見つめ、それから数秒して口を開いた。
「フェン…ユーナ…。町に戻ってきた後にも言わせてもらうが、今回は本当にありがとう。お前たちが居なきゃ、モルはきっと死んでたかもしれない。」
「言葉だけじゃ伝えきれないほどの感謝だ。俺は…お前達にどんなお礼をすれば良いのか……それ程までに今回は……」
「おやっさん。」
「言ったろ、俺らは魔皇も魔物も全部ぶっ潰す為に冒険者になったんだって。これは俺らの役目なんだ。だから別に重く捉える必要なんかねぇよ。」
「だから礼したいなら、俺らが魔皇倒して勇者んなった時におやっさんの店の料理全部永久タダにしてくれよ。」
俺の言葉を最後に、一抹の静寂が流れた。
要望を聞いたおやっさんは、何故かポカンと口を開いたまま静止してしている。
若干泣きそうになっていたあの顔はどこへやら。俺そんなに変なこと言った?
「…く………クク」
「クククク……ガァッハッハッハッハッハ!!!!」
「ダッハッハッハッハッハ!!!勿論だ!!世界を救った勇者様が来てくれるんだ!全部タダにでもしなきゃ末代までの恥晒しになっちまう!!!」
と思ったらおやっさんは大口を開けて急に笑いだした。
ますます気に入られたのかその豪快さは店の時より格段に増しており、次の瞬間には地面に笑い転げそうな勢いだ。俺そんなに面白いこと言った?
「…………フェン、ユーナ。」
「お前らなら出来るぜ。絶対に、魔皇をぶっ倒してくれ。」
「おう。」
「はい!」
狙ったわけでもなく、ユーナと返事が被った。
ただお互い間髪入れずに答え、それを見ておやっさんはまた笑った。だけどそれはさっきのようなバカ笑いではなく、期待の意を込めた笑みである気がした。
おやっさんは子供を抱えながら走り出し、ユーナもそれに後ろから付いて行った。
1人になった森に風が吹き、その風で木々の葉が揺れる音が響く。
葉と葉が擦れ合う音が鳴り止んだ後、俺は魔物の死骸に向き直り後片付けを開始した。




