《後》青年の一人言
俺は、帰宅してすぐに、エレノアを俺の婚約者にしてくれるように両親に頼んだ。
両親は始め、目を丸くしポカンとしていたが、それは俺が『エレノアを婚約者にしたい』と言ったからではない。
俺が、頭を下げて頼んだからだ。
たった1日で別人の様に変わった俺に、両親は歓喜し、その日の夜の内に、エレノアの両親を屋敷に呼び寄せ婚約の話をした。
そうして、俺とエレノアは、晴れて婚約者と・・・・ならなかった。
普通の貴族ならば王族との繋がりが持てると、手放しで喜ぶだろうが、エレノアの両親は、そうはいかなかった。それどころか、婚約に条件を出してきたのだ。
一つ、エレノアの兄エバンに決闘で勝つ事。
《これは、エレノアの出した条件なので分かる。》
二つ、一つ目の条件が達成されるまで、この婚約を発表しない事。
《婚約したのに発表しないなど、有り得ない事だと思ったが、俺とエレノアが幼い事を理由に丸め込まれてしまった。》
三つ、次期国王としての自覚を持ち、勉学に励む事。
《勉学には励んでいたつもりだ。多分重要なのは、次期国王としてという所だろう。つまり、行動を改めろと言っているのだ。》
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とまあ途中から、調子に乗った俺の両親からの条件で、友人を作るとか、週に一回は家族で食事をするとか、小さなものまであったのだが・・・とにかく様々な条件を出された。
そして、その中で一番の問題は、一番最後の条件だった。
最後に、それらの条件が満たされるまで、エレノアと会う事を禁ずる。
そう、俺はエレノアに会う事を禁じられていたのだ。
どうやら王族からの婚約の申し込みに、正面切って嫌とは言えず、苦肉の策として会わせない事を条件に盛り込んだ様だ。
つまりは、会わないうちに俺に心変わりをさせようという考えだったらしい。
しかし、俺は全ての条件をのんだ。
その時は、本気を出せば数年で条件を満たせる。
数年会わないだけで、その後の人生を一緒に過ごせるのなら、安いものだと思ったのだ。
そうして翌日から、俺は必死になって身体を鍛え続けた。
分厚い脂肪に覆われた身体は、想像以上に動かず、少ない運動量でも直ぐに悲鳴を上げるが、それでも鍛え続け、ある程度の脂肪が落ち、身体が軽くなったと感じ始めた頃、エレノアの兄であるエバンに会いに行った・・・
「ああ、話は聞いております。どうぞ何処からでも。」
エバンは、大きかった。それは、年齢の差から生ずる身長差では無い。
鍛え上げられた身体と、磨き上げられた剣さばき。俺の前に立ちはだかる壁として、大きな存在だった。
最初の決闘は一瞬だった。何もさせてもらえなかった・・・
しかし、不思議な事に諦める気は微塵も起きず、俺は更に自身を鍛え続けた。
早朝、薄暗い時間に屋敷を出て、エレノアの屋敷まで走ると、朝日を浴びながら花々に水をやるエレノアを見守り。それが終わると、屋敷まで走って帰る。声もかけず、見守るだけならば、会っている事にはならないはずだ。
そして、帰ると、そのまま剣術の稽古をし、水浴びをしてから、朝食をとる。
初めの頃はここで仮眠を入れていたが、慣れてくればそれも無くなり、直ぐに帝王学が始まる。
間に僅な休憩を挟みながらも、夕刻まで学び、夕刻になればエレノアの兄エバン会いに行き、決闘を申し込む。
そんな日々を8年も過ごしていたが、それでもエバンには、勝てなかった・・・
しかも、俺が手をこまねいているうちに、エレノアが結婚相手を探し始めてしまった。
俺は焦った。
エレノアが俺以外の男の妻になる・・・
そう思っただけで、頭が沸騰しそうになり、その勢いのままエバンに勝負を挑んだ。
俺が焦っている事を知っているのだから、多少なりと手加減をしてくれればいいものを、エバンがそんな事をしてくれるはずも無く、死闘を繰り広げ、互いに怪我を負いながら、なんとか俺が勝利した。
勝利したのだ!!
ようやく全ての条件が整い、エレノアとの婚約が正式に決まる。
俺の怪我が落ち着いたら、直ぐにエレノアに会いに行こう。
そう思っていたのに・・・・
怪我の具合が落ち着き始めた頃、俺のもとを訪れたエレノアの兄エバンが、とんでもない事を言いだした。
「エレノアは、貴族ではなく、平民の騎士と結婚したいらしいですよ。」
「・・・は?」
俺の顔は、かなり間抜けな表情をしていたと思う。
それは、そうだろう。俺の長年の夢が、努力が、ようやく報われると思った瞬間、谷底へと落とされたのだ。しかも、俺を谷底へと突き落とした人物は、とても楽しそうにこちらを見ている。
「しかし、心配する必要はありません。」
「何が心配は無いだ!平民の騎士とはどういう事だ!!お前達は、俺の努力を知っていて・・・。エレノアから引き離しておいて・・・・。俺の今までは・・・何だったんだ。」
怒りと絶望と落胆・・・
そのままに怒鳴り、呟く俺に、エバンの楽しそうな声が聞こえてくる。
「よく聞いて下さい。エレノアが先日私に、男を紹介して欲しいと言ってきたのですが、その条件が、財はあるが貴族では無く、次男で、現在騎士団に所属している男で、野獣の様な男ではなく、書類の山に埋もれている様な男でも無い。そんな男を探しているそうです。」
話を聞いたところで、何故エバンが楽しそうなのか分からなかった。
いや、普段なら直ぐに気付いただろうが、その時の俺は、絶望の沼に沈みかけていて、話の半分も聞いていなかった。
「ですから、丁度いいでしょう ?」
「・・・何がだ・・・俺が振られるのに、丁度いいという事か?」
力無く睨むと、エバンは驚いた様に目を見開く。
「そうではありません。ですが・・そんなに、エレノアが好きなのですか?」
エバン・・・いや、コイツは何を今更言っているのだろう?
どうでも良い相手の為に、外見を磨き、内面を磨き、あんな条件達をのむ奴がいると思っているのだろうか?
「当たり前だ。俺の今までの努力は、全て彼女の為だ。」
「会ったのは、8歳の時、一度きりでしょう?」
「報告はずっと受けていたし、彼女の事を見守っていた。」
「でも、会ってはいないでしょう。?実際に会って、エレノアが変わっていたらどうする気ですか?」
「変わっていたら?彼女を知る努力をするだけだ。」
「は?」
「彼女は、怠惰で傲慢で自惚れの塊の様な子供だった俺を、知ろうとしてくれた。今度は俺の番なだけだろう。」
「何故そこまで?」
俺は、彼女が好きだ。
どこが好きなのかと聞かれると困る。
顔の造形や体型は、成長と共に変わっていったし、これからも変わっていくだろう。
性格だって、そうだ。俺がそうであった様に、周りの人や環境。見てきた事、学んだ事で感じ方も考え方も変わる。
それでも、俺は彼女の事を・・・エレノアの事をきっと好きになる。
それを何故かと言われたなら、答えは一つだけ
「エレノアがエレノアだからだ。」
堂々と言い切る俺に、エバンは苦笑いを浮かべる。
「それなら、エレノアに他に好きな相手ができたらどうする気ですか?」
そんな事、決まっている。
「全力で奪う。」
「は?・・・エレノアの幸せを考えて身を引くとか・・・。」
「そんな事が出来るなら、最初からここまでの努力はしていない。」
「それでは、エレノアに嫌いだと言われたらどうするつもりですか?」
「その時は・・・誰かが不幸になるだけだ。」
誰か・・・間違い無く俺の事だが、何を勘違いしたのか、エバンの顔が引き攣る。
「ヒッ・・・分かりました!!分かりました!!私が全力で手助けをしますから、早まらないでください。」
「何を言っている?」
「色々!!色々全部です!!大丈夫です。私にお任せください。」
突然、張り切りだしたエバンに、首を傾げながらも、俺はエバンのアドバイス通り、身分を隠し紳士服に身を包み、優しい笑みを浮かべ、エレノアと再会した。
毎日見ていたはずなのに、俺の目の前に立つエレノアは、とても美しかった。思わず、誰かに取られないように、俺の腕の中に閉じ込めてしまいたいと思うほどに。
そして、結婚の儀式が終わるまで、この思いと格闘する日々が始まる。
しかしそれも、これまでの日々を考えれば、一瞬の事。
結婚の儀式さえ済ませてしまえば、エレノアは、もう俺の妻だ。
騙している?
関係無い。
結婚の儀式では、嘘はつけないのだから。
精霊の泉で花が摘めるのは、俺の想いが強いからだ。
そして、その花を受け取れるのは、エレノアの想いが強いからだ。
そして、互いに強く想い合っていなければ、青い花の模様は現れない。
王族は、気を抜けば、利用されてしまう。信じていた者にあっさりと裏切られる事だってある。
しかし、それは仕方がない事だ。俺だって全ての者を助けてやる事は出来ない。こちらを助ければ、あちらが不幸になる。なんて事もある。裏切ったつもりは無くとも、結果的にそうなってしまう事も。
だからこそ、結婚の儀式は重要なのだ。
自分の事を、心から愛してくれる相手、なんの疑いも無く寄り添える相手。
勿論、王族である以上、政略結婚や、様々な事情で結婚の儀式をしない事は多い。
しかし、儀式に成功すれば、どんな身分差であろうと精霊が認めたとして、夫婦となれる。
まあ、相手に騙されていた事に、無理矢理気づかされる事になる場合もあるが・・
とにかく、精霊が認めたということは、それだけエレノアの想いは深いという事だ。
だが、いくら想いが深くても、騙し討ちの様な形で結婚するのだから、エレノアを怒らせる事になるだろう。それでもエレノアが他の者の妻となる可能性を消せるなら、後から手に入らなくなった事を嘆くくらいなら、いくら怒られても、拒絶されても構わなかった。
「エレノア、愛しているよ。」
「・・・」
「エレノアが側に居てくれるだけで、俺は幸せだ。」
「・・・」
「あの・・・エレノア?聞いているか?」
「・・・」
「そろそろ、返事をしてほしいのだが・・。」
そして現在、エレノアは怒り、拒絶している。
理由は、騙し討ちの様な形で結婚したから・・・ではない。
結婚式をしたのは、もう1年も前だ。あの時のエレノアの姿は、一生忘れない。
美しいドレスに身を包み、ポロポロと涙を流しながら、無理矢理笑顔を浮かべ、小声で
『帰りたい・・お家に帰りたい・・・もう、帰りたい・・』
と、呟き、俺の服を・・・たまに俺の皮膚を強く握りしめていた。
まあ、周りの者達には感動している様に見えた様だが、俺には敵に怯える小動物の様にしか見えなかった。普段凛としているエレノアの姿も良いが、あの時の姿もまた可愛らしかった・・・
と、そんな事は置いておいて、今は、目の前のエレノアの方が問題だ。
何が問題か・・・何故、怒り、俺を拒絶しているのか分からない事だ。
今朝までは普通だった。同じベッドで朝を迎え、一緒に朝食を食べ、俺は仕事をする為に執務室へ向かい、夕刻になり執務を終え、自室へ戻って来た。
最初に変だと思ったのは、何時もなら、笑顔で出向かえてくれるエレノアの姿が無い事だ。
自室と言っても俺の部屋は、いくつもの部屋がある。もしかして他の部屋にいて、俺が帰って来た事に気付いていないのかと思い、少しの寂しさを感じながらも、リビングへと向かうと、険しい顔でソファーに腰を下ろし、スカートを握りしめているエレノアが居た。
明らかに怒っている。
今日は忙しかったから、一緒に昼食は食べられなかったが、そんな事は今までにも何度もあった。
それに、朝部屋を出るまでは、何時も通りだったのだ。
分からない・・・。
それでも、俺は何か怒らせる事をしたのだろうと、エレノアの前に膝をつき、視線をなんとか合わせようとしながら、愛の言葉を囁いてみたのだ。
勿論、本当に俺が何かして怒らせているのだとしたら、こんな事は逆効果となり
『そんな言葉で、私の怒りが治るとでも思っているのですか。』
と、言われる所だろう。
しかし、反応が全く無い。
怒られるのを覚悟で、スカートを握りしめているエレノアの手をそっと解き、優しく包み込む。
「エレノア?何か言ってくれなければ、何に怒っているのか、分からないのだが。」
できるだけ優しく、ゆっくりと言い聞かせると、ようやくエレノアから微かな声が漏れてきた。
「・・・・が・・・いる・・・そうです。」
蛾?
あの蛾?
エレノアが、こんな顔をするほどに蛾が嫌いだとは知らなかったが、エレノアが嫌いだと言うのなら、俺が全力で追い払ってやる。
「どこにいるのだ?」
「・・・ここに・・・・」
そう言って、エレノアは自分のお腹に手をあてた。
蛾が、エレノアの服の中に??
服の中に大嫌いな蛾が入り込んで、動けなくなったということか!!
そう思った俺は、エレノアを助ける為に、全力でエレノアの服を脱がせようと、エレノアのスカートをまくり・・・
「何するんですか!!!」
「だから、服の中に蛾が入り込んで、気持ちが悪いんだろう。大丈夫だ俺が取ってやる。」
全部脱がすよりも、スカートの下から追い出した方が早いと考え、エレノアのスカートを掴む俺。
真っ赤な顔で、スカートを抑えるエレノア。
「蛾って何の事ですか!」
「だから、今、蛾が服の中に入って気持ち悪いと・・。」
「違います!!私のお腹に貴方の子がいるそうです。と言ったのです!!」
・・・・
・・・・えっと、エレノアは今なんと言ったのだろうか?
何を言われたのか、分かっている。分かってはいても、整理が付かず固まっていると。
エレノアが、スカートの裾を俺の手から引っ張り戻し、皺になった場所を軽く手で叩きながら、ゆっくりと立ち上がる。
「まったく、緊張していたのが馬鹿らしくなってしまいました。」
「緊張・・・?」
「夫婦ですから、産むなとは言われないと思っていますが、子供が欲しいとは一度も聞いていなかったので、子供があまり好きではないのだと思い、拒絶されたらどうしようかと思っていたのですが、もういいです。貴方が何と言おうと、私が全力でこの子を愛します。」
言い切るエレノア。
唖然とする俺。
「では、報告は以上です。」
そう言って、踵を返して立ち去ろうとするエレノアに、俺は咄嗟にエレノアの腕を掴み、自分の腕の中に閉じ込め、腕の中にいるエレノアの顔を真っ直ぐに見下ろす。
「子が・・・子が出来たのか?」
噛み締める様に絞り出した俺の言葉に、エレノアは小さな溜息を吐き出す。
「だから、そう言っているでしょう。」
「俺の子・・だよな?」
「そこを疑うのですか?」
エレノアの声が、冷たく響き、俺は慌てる。
「いや、疑っていない。全く疑ってない。疑ってないが、もう一度聞きたいのだ。俺の子が出来たんだよな?」
俺の声が必死だったからか、俺の顔が緊張で強張っていたからなのか、俺の腕がわずかに震えていたからか、エレノアが小さくクスリと笑う。
「そうですよ、貴方の子です。喜んでくれますか?」
「ああ・・・・ああ、勿論だ・・・勿論だ。ありがとう。ありがとう。」
俺は、優しく慎重に、エレノアを抱き締める。
「泣いているのですか?」
嬉しいのも勿論だが、顔を見られたくなくて抱きしめたはずなのに、俺の声で気付かれてしまった。
「泣いている。俺は嬉しくて泣いている。」
「まったく・・・」
エレノアの呆れと笑いの含んだ声と共に、華奢な手が俺の背を優しく撫でる。
俺の愛する女性が、俺の腕の中にいる。
俺の愛する女性が、俺を変えてくれる。
傲慢で怠惰だった俺を、王族として恥じない青年へ
恋い焦がれた俺を、愛する女性の夫へ
そして、今父親へと
俺は何と幸せ者なのだろう。
「幸せ過ぎて死ぬ・・・」
「何を言っているんですか、この子を守らない気ですか?私を、未亡人にする気ですか?」
「しない・・・生きる・・・。」
部屋の中には、俺の鼻を啜る音と共に、エレノアの小さな笑い声が響いていた。
これで、本当の完結・・・のはず。