第34話「ロスト・ヘキサゴン②」
脱ぎ捨てられた野球帽が宙を舞う。露わになった黒髪が、今にも逆立ちそうなほど、京也の全身に怒りがほとばしる。
「お前、誰?」
「……言う訳がないだろ」
「いいや、聞いとかなきゃいけねえんだよ。でなきゃあ、俺がお前をブッ倒した後に……」
京也の右手で、ブレードが高速回転する。ある程度離れた位置にいる少年にまで、その唸る音が轟々と響く。
「誰かも分からんくらい顔を腫らして、ボッッッコボコになったお前を……」
音量を増してゆく回転音に、少年は悟る。
まずい。アイツの攻撃を食らってはいけない。
「俺が抱えて、お前の家まで届けに行った時に……」
「……っ!」
京也が右手を振りかぶる。
怒りの矛先に向かい、全身の力を総動員させる。
眼光より、一層の殺気が溢れ出た。
「家族に詫びが入れらんねェだろうがァァァッ‼︎」
そして放たれた、ヨーヨー型のブレード。
『投げられた』ではなく、『放たれた』。どう見てもその方がしっくり来る異様な速度で、まるで砲弾のように少年へと迫る。
「くっ!」
防げない。判断するより前に、体がそう直感した。倒れ込むようにして横へ跳びのき、すんでのところでヨーヨーの軌道から逃れる。
その背中で、空気が捻れるのを感じた。
「だから、喋れるうちにサッサと名乗れってんだッ‼︎」
ヨーヨーを放ったのと同時に、京也は少年の方へと駆け出していた。身体強化の恩恵を受け、陸上選手並みかそれ以上の超速度で。
倒れ込んだ丁度その頃。
既に少年は、目の前の京也を見上げていた。
右足を後ろへ大きく上げ、勢い付けて振り抜かんとする京也の姿を。
「っ!」
少年の背筋が凍った。その蹴りの軌道上——己の頭を守るように、右手を翳す。瞬時に現れる、六角形のブレード。
京也にためらいはなかった。無防備な姿勢や咄嗟の防御。それら一切を気に留めず、全力の蹴りを顔面に向けて振り抜いた。
交通事故かというほどの大音量が、公園を揺らす。
(ッ……なんて威力だ!)
京也のブレード——“オメガ・ギア”の能力は、衝撃を操る事。シンプルであるが故に、恐ろしい応用力を秘めている。
例えば今のように、蹴りの衝撃を『増幅』させ、自分に返ってくる衝撃をブレードへ『吸収』させる事など、能力のほんの一端でしかなかった。
「世の中にはなぁ! やっていい事と悪い事があるんだぜ⁉︎ テメエは俺の前でどっちをやった⁉︎」
防がれた蹴りを、再び放つ。
また防がれても、構わずもう一度蹴り上げる。
その度、『吸収』した衝撃を、更に『増幅』させて蹴りに乗せる。自分への衝撃は『吸収』し、次の蹴りの糧とする。試行するにつれ、加速度的に衝撃が強まって行く。
一連の行程を、京也は直感のみでコントロールし、使いこなしていた。
「ぐッ!」
「テメエ和晴に何をした? 自分は無傷で、和晴をあんなにボロボロにしたんだろ? だったら……」
蹴りが、ついに少年のブレードを腕ごと弾いた。
頭がガラ空きになる。
「俺に同じ目に遭わされたって、テメエは文句言えねえよなァ‼︎⁉︎」
最大威力の蹴りが、少年の頭に襲いかかる。
やむ事なく、破壊力を上げ続ける連打。それを受け続けた彼の体力は、既に根こそぎ奪われており……。
「ウガ……!」
防ぎきる事など、出来る筈がなかった。
少年は大きく蹴り飛ばされ、生け垣を突き抜けて公園の外へ転がった。
「チッ」
京也は舌打ちする。
それなりのダメージは与えたが、直撃は防がれた。奴が咄嗟に左手で呼び出されたブレードが、ギリギリのところで間に合ってしまっていた。
今すぐにでも追いかけてトドメを刺してやりたい。
だが京也は真逆に走った。
傷だらけの友のもとへ、駆け寄った。
「和晴! 大丈夫か⁉︎」
視線の先で、和晴は崩れ落ちて手をつき項垂れていた。肩は、相変わらず上下運動を繰り返している。
「……さっきまで頑張って立ってた自分を褒めたい」
「クソッタレッ! 何発殴られた⁉︎ 俺がその倍ブン殴ってやるッ‼︎」
和晴の肩を掴みながら、京也は生け垣の奥を睨みつけた。怒りに呼応して、ヨーヨーが自然と唸りを上げる。
「何発……分からん。多分、全部食らってるかな……」
「全……⁉︎」
生け垣を睨んだまま、両目を見開いた。
いくら喧嘩慣れしていないとはいえ、あの和晴が一発も躱せなかった。一方的に、いいようにやられ続けた。
「スマン。俺があんな所で寝てたばっかりに……!」
「それは俺が悪い」
和晴はフラフラと立ち上がり、後ろを向いて力なく足を動かし始めた。
「オイ?」
「座りたい……。ベンチがいいけど、遠いからな……そこのブランコでいいや。落ち着くまで、そっとしといてくれ」
京也は訝しむ。何かがおかしいと思いながら、和晴の進行方向を見据える。
あの怪我で、あの疲労だ。座りたいというのは当然だろう。ただ、謎の違和感が京也を包む。大事な何かが足りないような、和晴らしからぬ響きの声。
覚束ないながらも、まっすぐブランコの方へ進む和晴。ただまっすぐ、迂回もせずにひたすらに。
まるで、正面の安全柵に全く気づいてないように。
「和晴……⁉︎」
「何だ——」
思わず呼び止めようとした京也に反応して、和晴は無防備に振り向いた。足を止める気配はなく、柵を気にする素振りもなく。
「ッ!」
柵に、ぶつかる。
大袈裟なほどにバランスを崩す、和晴の体。
受け身など、取る暇も様子も一切ないまま、頭が地面に近づいて行く——
「馬鹿か!」
京也は既に動いていた。柵に足をかけ、和晴の右手を鷲掴みし、重力に身を任せる体を引き止める。
「何やってんだよ⁉︎ らしくないぞ和晴!」
「……ああ、すまん。柵があるんだったな。何で俺……避けて通らなかったんだろうな」
危うく重症を負うところだった。だと言うのに、和晴の口調が綿のように軽い。
自分の何がどうなろうと、気に留めていないのではないか……。実際どうなのかは分からないが、少なくとも京也はそう感じた。
「……やっぱり、何かおかしいぞ。全部食らったって言ったな? アイツがそんなに喧嘩強いとは思えねえ。ぱっと見だけど、お前がボコボコにされるような相手じゃない。絶対におかしい……!」
和晴の身体能力は、高いとはいえない。殴り合いの喧嘩など、もってのほかだろう。それを知った上で、京也は言う。
アイツになすすべなく殴られ続けるなんて、普通じゃない。
宙ぶらりんの和晴を引き上げ、眼を見張る手際で肩を貸す京也。そのまま柵を避けて通り、ブランコで和晴を下ろす。
「お前動くな、そこで座ってろ! フリじゃねえぞ」
「……? ああ」
「絶対だぞ⁉︎ 今お笑い要素はいらねえからな!」
柵を飛び越えながら、指をさして念押しする。
そして生け垣の方へ向き直した。
「オイコラいつまでダンマリ決め込むつもりだこの野郎ッ! あんなんで勝てたなんて思ってねえぞ!」
京也は怒声を響かせる。蹴り飛ばして以降音沙汰がないが、まだ終わっていない。どこかに隠れて、隙を伺ってるに違いない。
(あのブレード、近接戦は多分苦手なんだな。六角形を投げてぶつける……そんで、当たったら『ああ』なる)
先ほどの和晴の様子を回想する。京也からすれば、まるで別人のような無警戒ぶり。理解しきれてはいないが、命中は負けに直結する事は分かった。
「…………」
影に潜み、少年は京也の様子を伺う。全身に走る痛みに顔をしかめつつ、考えを巡らせる。
(さっきの蹴り……あの威力は身体強化の影響か? それとも特殊能力の方……。どっちにしろマズイ。まさか、あそこまで強いとは)
射撃を防がれた事が、何より誤算だった。そのせいで動揺して、無様な躱し方をしてしまってこの体たらく。
だが、やらなければいけない。
(次は何してくるつもりだ?)
(どうするべきか……)
面と向かえば圧勝する自信が、京也にはある。
少年も、まともにやっては勝てないと悟っている。
次に打たれる手は、自ずと頭に導き出された。
((不意打ち、だな))
神経を研ぎ澄ませ、公園内を見回す京也。向こうは必ず不意をついてくる。どこか死角から、ブレードを飛ばしてくると確信していた。
ただの不意打ちなら防げる。いつどこから攻撃されても、京也は瞬時に対応出来る。
慣れていた。
とある経験により、西部京也の反射神経は鍛え抜かれていた。素人の攻撃など、止まって見えるほどに。
少年は下手に動かない。外せば、自分の居場所をみすみす教えてしまう事になる。初撃を防がれた事が、鮮明に頭に残っていた。
動くのは、確実に当てられる時。
その機を静かに伺い続ける。
(久し振りだな、この感じ。思い出したくもねえ)
肌を刺す緊迫感に、京也は心の中で舌打ちする。この状況に落ち着きを見出している自分に、嫌気がさす。
「来るなら来いや! どんな手使ってこようが防ぎきってやんよ!」
叫びを上げて、それを払拭する。気休め程度には苛立ちが消えた。
そして同時に、向けられる敵意が強まったのを感じた。
「っ」
来る。
直感のままに体を動かす。
「……!」
回転しながら飛んでくる、六角形のブレード。
それを視界に捉えた瞬間、再び京也の中で音が鳴った。
狙うべき方——自分の方へと飛んでこない六角形。
まっすぐ、和晴の方へ飛ぶ六角形を見て。
京也の中の苛立ちが噴火した。
「ふざけんじゃねえええええええええええええッ‼︎‼︎」
凄まじいバネで、京也は和晴の前まで跳躍した。右手のブレードを、軋みそうなほど強く握って振り下ろす。衝撃音とともに、六角形がはたき落とされた。
着地と同時に、今度は右手をアッパーのように振り上げた。更に鳴り響く衝撃音。新たに飛ばされていた六角形が、無様に宙を舞う。
「お見通しなんだよ、この手の事をする奴の考えなんざなあッ‼︎」
味方を庇った隙を突く。京也の逆鱗に触れるのに、十分すぎる手段だった。
思い切り見開かれた目で、京也は六角形の飛んできた方向を睨む。生け垣の奥で隠れる事なく、例の少年が立っていた。
ブレードを全力投球し、京也自身も地面を蹴る。まっすぐ少年の方に、ブレードもろとも突っ込む。
「危ない奴め」
放たれたヨーヨー型ブレードを、自身の六角形ブレードで、少年は正面で防御した。さっきの蹴り以上の衝撃が、少年の全身を震わせる。
「っ……重い!」
動揺はなく、受け止めると覚悟して臨んだ防御。それでも受けきれず、少年の体が後ろへ弾き飛ばされる。
ヨーヨーを手に巻き戻し、京也は強く握りしめた。
「く……!」
「当たるかそんなもん‼︎」
防御に使った六角形を、そのまま京也の方へ飛ばす少年。蜘蛛の巣を払うように、いとも容易くいなす京也。
このまま生け垣を飛び越えて、全力で殴り飛ばす。
京也は他に、何も考えていなかった。
生け垣を飛び越える。
懲りずにまた、六角形を飛ばしてくる。
それを払い飛ばし、少年の眼前に着地。
「……⁉︎」
その瞬間、京也の動きが止まった。
足を貫く謎の違和感。痛みはないが、何かがめり込むような違和感……。
「本当に危ない奴だ。足元を疎かにするなんてな」
言葉につられて足元を見る。
無数の六角形が、地面からせり出すようにして突き刺さっていた。そこに立つだけで、六角形の攻撃が成立してしまうように。針山地獄のように。
京也の左足が、そのうちの一つに貫かれていた。
「しまっ……」
京也は瞬時に理解した。
最初に和晴を狙ったのは、冷静さを奪うため。
無駄に六角形を飛ばしたのは、視線誘導のため。
全ては、足元の危険地帯に気づかせないため。
少年により、握り拳が繰り出される。
なんて事ない、素人の突き。難なく躱せるその拳を、京也はただ呆然と、顔にめり込む瞬間まで眺めていた。




