第33話「ロスト・ヘキサゴン①」
ビニール袋を片手に、日が暮れかかった道を歩く。俺が買った訳ではない。目の前で持ち主が落として忘れていったので、どうにか届けてやろうとしている最中だ。
しかしよく考えると俺、秋穂の家知らないんだよな。さっきから電話をかけても繋がらないし。かといって俺がネカフェに持っていくのもいかがなものか。
とりあえず彷徨ってみたが……埒があかないなこれ。町って範囲は狭いようで広い。適当に探して見つかるもんじゃねー。仕方ない、公園で待機して電話繋がるまで待つか——
「……お」
進行方向を変えようとした時、見覚えのある人影が歩いてくるのが見えた。
前髪パッツンでポニーテールの……確か……。
「伊代じゃねーか。何してんだ?」
「……どうも。向井さん」
半目で俺を見据え、伊代は軽く会釈する。相変わらず落ち着いてるなと俺は思ったが、秋穂たち曰く本当はもっと気が荒いとか。そうは見えないけどな。
「何って、帰るところですけど。そっちこそどうしたんです? そんなの買って」
「俺のじゃない。秋穂が目の前で落としてったんだよ」
「何やってんのあの子。……秋穂の家なら、この道まっすぐ行ったアパートにありますよ」
「マジで⁉︎ サンキュー」
伊代は自分の歩いてきた方を指差す。思わぬ助け舟だ。これで待ちぼうけしなくて済む。
「じゃ、暗くなる前に帰れよ。気を付けてな」
「……はい」
気のせいだろうか。
すれ違いざまに聞こえたその声から、どことなく後ろめたいものを感じた気がした。
「…………」
一見普通に歩き去っていく後ろ姿を、何となくしばし見送った。
*
傾き、沈みかけた太陽の空の下。
和晴と善人は立ち尽くす。
「どうすんだよ。お前のせいだぞ」
「……やっぱり?」
二人が見下げる場所には、あまりに凄惨な光景が広がっていた。
地面に転がる大量の空き缶。どれもサイケデリックで目が痛いカラーリングで、『甘エビ味』や『ミョウガ味』、『モッツァレラチーズ味』といった地雷臭全開の表記が施されていた。
その山に埋もれるように、仰向けに倒れる京也。顔は死人も裸足で逃げ出すほど青白く、全身が小刻みに震え、時々えづいて嘔吐しそうになっては口を手で覆う。
和晴のでまかせを、鵜呑みにした結果である。
「まさか出てきたやつを全部飲み干すとは思わなかったんだよ」
「まあ、見てて面白かったからいいけど……そろそろ寮の門限が」
善人は公園の時計を見上げ、時間を確認する。例の事件発生以降、特に規制が厳しくなっており、少しでも遅れれば反省文でも書かされるかもしれない。
今から帰ればまだ間に合うが、京也をおぶっていくとなると自信がなかった。
「……捨てていくか」
「…………」
「お前にそんな目で見られる筋合いはない」
怪訝な視線をぶつけ合う二人。そんな事をしても状況は何も変わらない。唯一変わるのは時間だけだ。それもわりかし無駄な時間。
「よし、こうしよう。西部が突然『マズいジュースを失神するほど飲みテェーーッ‼︎』と叫び出し、慌てて追いかけたものの、見つけた時には時すでに遅し……。そしてお前だけが状況を報告しに寮へ帰り、現場で俺が介抱してるって事に」
「なるほど。倒れてるのが京也ってだけで、訳分からん話に信憑性が生まれてるな」
指を鳴らして、和晴の適当な案を採用する善人。軽く拳を合わせあい、親指を立てながら善人が公園を後にする。
「あとは任せた!」
「おう。叩き起こして一人で帰らせる」
「鬼だな!」
フラフラと手を振って見送る和晴。善人が見えなくなったところで、「さて」と視線を京也に戻す。
「……まあ、半分以上俺が悪いしな」
和晴の中の良心がギリギリのところで仕事をした。屈んで京也の頬を軽く叩く。
「オーイ、大丈夫かー?」
「うぶ……カ、カキフライ…………馬刺し……松茸……穴子…….オォゥブ」
「ホントよく飲んだな」
味わった味覚への暴力をうわ言のように呟くが、ハッキリと意識を取り戻さない。その常軌を逸したフレーバーに和晴は内心戦慄しつつ、叩く場所を頬から肩へと変える。
「起きろって。お前をおぶる体力が俺にあると思うなよ」
そう。和晴は悪知恵こそ人並み以上に働くが、本質的には普通の高校生である。
特技は射撃。これはブレードによる身体強化の恩恵ではなく、彼にとって唯一の生まれ持った才能だ。その点ならば、誰にも負けないと和晴は自負している。
しかしそれだけだ。悪知恵と射撃が天才的でも、その他は平凡の域に入る男だった。
特に運動は平均以下。
反射神経も鋭い訳じゃない。
取っ組み合いの喧嘩などした事もない。
故に、その時まで一切気が付けなかった。
「……ッ⁉︎」
背中に走る違和感。
麻酔をかけられたように痛みはない。しかし、何かが突き刺さっている。何かが、背中の肉に食い込んでいる。
猫のような目を見開いて振り返る。
薄く透き通った六角形。電子基板のような模様の浮かんだそれが、背中に突き刺さっていた。
「は……?」
六角形が消滅し、更にその先へ視界が滑る。
さっきまではいなかった、誰か。右手をこちらに向け、まるで何かを飛ばした後のような姿勢。
「……順番は誰でもいい」
感情を押し殺した声が、思考の追いつかない和晴に届く。
何が起きた。
アレは誰だ。
何をされた。
うまく頭の中がまとまらない。
「たまたまお前を見つけた。だからお前からだ」
かざされた右手。そのすぐ前の空間が一瞬ぶれる。
「お前は確か銃使い……。近距離戦は苦手なのか? どっちでも別に関係ないが、用心は大切だからな」
さっきと同じ六角形の薄い板が、どこからともなく現れる。その縁は、よく見れば鋭利に輝いていた。
「……何なんだよ」
和晴は立ち上がり、男を正面に見据えた。右手を開いて念じる。瞬く暇もなく、和晴のブレード——“アイアン・シリンダー”は手のひらから生えるようにして現れた。
「いきなり人の背中に危険物投げといて、謝りもせず語り始めんな。痛すぎて骨折れたかと思ったわ。やっば、複雑骨折に匹敵するなこの痛さ……。肋とかが飛び出すレベルの」
十八番の煽りをばら撒きながら、和晴は落ち着き始めた頭を回す。あの男の能力は何なのかと。
(あの六角形……ブレードだよな。剣とかから発射したんじゃなく、あれ自体が。手に持って使わないタイプすらあるのか)
男のかざす手のひらの前に浮かび、半透明の六角形はひとりでに回転している。手に持って使わず、その都度具現化させては飛ばす……。和晴は知る由もないが、向井命も目の当たりにした事がないパターンのブレードである。
(いや、それより肝心なのは能力の方だろ。さっき、確かに俺の背中に命中してた。なのに何の変化もない……)
今のところ、和晴の体に異常はなかった。刺された背中に痛みは感じず、血の一滴も流れていない。それどころか、服が破れてすらもいない。
自分のブレードと同じく、殺傷力はほとんどないのだろう。和晴はそう結論づける。
謎の能力を、既に食らってしまった。
圧倒的に分が悪い。
「悪く思うなよ。不意打ちしなきゃあ勝ち目のない……身体強化もないに等しい。正面からだと、バット担いだ中坊にも勝てるかどうか。そんなチンケなブレードなんだ」
和晴は方針を思案する。
どんな影響を受けるか分からない以上、勝つのは厳しいと見るべきだ。京也を庇いながら、目覚めるまで粘る。
「なるほど。自業自得ってのはこの事か……」
数分前の自分を見つけて、眉間と両目と口の中を撃ち抜きたい。冷や汗を流し、和晴は自虐的に笑った。
*
……やってしまった。
何で逃げたのわたし。
部屋の隅で膝を抱えて縮こまり、過ぎた事を本気で後悔していた。多分、今鏡を見たら『無』な表情をしてる。人形みたくなってる。
もっと落ち着いた対処をしてたらさ、普通に誤解は解けてたよね。相手は命さんだよ? 話せば分かってくれてたよ。
それを全力でパニクって、逆方向に猛ダッシュ。人付き合いしてこなかったって事が、こういう時に仇となるんだね。
恥ずかしい……。失態そのものもそうなんだけど、これ自体は慣れつつある。金条君のせいで。
それよりも、命さんの目の前であんな事をしたかと思うと……。ダメだ、やめとこう。考えただけでまた取り乱しそう。
今もまだ命さんは、スーパーの前できょとんとしてたりするのだろうか。
「はあ〜……。あ、買い物」
今気づいた。スーパーで買った食品類、落としたまま走ってきちゃってる。わたしはどれだけのポカを積み重ねれば気が済むんだろう。
……取りに行かなきゃダメだよね、流石に。
重たい心と体に、鞭を打って立ち上がる。
ベランダから見える空は、もう暗くなっていた。
*
混濁とする意識。胸の中でゴチャゴチャとしたまま留まり続ける、焼け付く感覚。そこに沈みつつあった自我が、ほんの僅かな隙間を縫って浮上した。
「う……」
京也の眼球に、黒目が顔を覗かせ始めた。少しずつ正気を取り戻している証拠である。
(き、気持ち悪い……。あれ、俺どうなったんだっけ?)
既に太陽が仕事を終えた暗い空を、寝転がって仰ぎながら考える。こんな時間に、何故自分は公園で眠ってしまっていたのだろうか。
(えーと、確か和晴と善人とぶらついてて。何気なく公園で一息ついて駄弁ってて。その後……その後どうしてたっけ)
半覚醒の脳味噌では、最も重要な部分がなかなか思い出せなかった。釈然としない京也は顔を顰め、上体を持ち上げる。
散らばる空き缶に一瞬疑問を抱くも、目の前で背を向ける金髪の男にすぐ気がいった。
「ん、おい和晴……俺何でここで寝てたんだっけ」
「! やっと起きたかよ。遅かったな、門限的にも個人的にも……」
「?」
寝ぼけ眼で頭をかきつつ、京也は気づく。
和晴の様子がおかしい事に。
異様に息が上がっている。
よく見れば服があちこち砂で汚れている。
姿勢も頭が前に垂れ、肩は激しく上下を繰り返している。
「和晴……お前変だぞ? どうした——」
その足元に視線を落とす。
赤い点が地面に散乱し、包装材のような模様を作り出していた。
赤い点。
赤い液体が滴り、何滴も地面に落ちた証。
「……‼︎」
赤い水玉模様の正体に気づき、京也の体が反射で動く。立ち上がって、和晴の前に回り込む。
「和晴⁉︎」
脂汗の滲む顔。
鼻と口を覆う左手。その隙間から流れ出る血。
半袖から伸びる手にも、流血を起こす多数の傷。
京也の中で、何かが切れる音がした。
「…………誰だ?」
「俺だよ」
声のした方へ頭を跳ねさせる。
普段の態度からは想像もつかない、ギラついた眼光が男を捉える。
その時既に、男によって放たれていた六角形が、京也の眼前に肉薄していた。
「ッ‼︎」
京也の右手に力が篭る。いつの間にか握られていた、ヨーヨー型のブレード。
それを思い切り振り下ろして、六角形の上面にぶつけた。六角形は地面に叩き落とされ、金属板のような唸る音を轟かせる。
「……!」
不意打ちを難なく防がれた。
男に僅かな動揺が走る。
「テメエ……………………」
帽子のツバを摘んで持ち上げる。
京也のその目に灯るのは、常人では持ち得ない並々ならぬ殺気だった。




