37.凪乃の悶々
七月十六日。
花火大会も無事に終わり、約束していたケーキも綺麗に平らげた私は実に怠惰な時間を過ごしていた。
冷房を効かせた部屋で布団から顔だけを出し、体温で温まる毛布に包まれたまま、時折微睡んでは小腹を満たす。こういうのもなかなか悪くないものだ。
「凪乃〜、廻琉〜!荷物届いてんぞー!」
階下から兎の呼び声がこだまして目を覚ます。そのまま眠ってしまえそうなほど規則的な音を鳴らす壁掛け時計は十時を差していた。朝なのか夜なのかわかったものではない。やはりデジタル時計を買うべきだろうかと悩みながら立ち上がる。
「…………んん。んぅ。はぁあゎ」
凝った身体でぐっと伸びをして、ひとつ欠伸をつく。
いつもであれば起きて身体を動かしていてもおかしくない時間だが、妙に気力が湧かない。本来ならカーテンの隙間から陽が覗く時間であっても空は群青のまま、遠くに沈みかけた茜色が見える景色は体内時計を狂わせるには十分すぎるものだった。
「……さむ」
冷房を効かせすぎたのか、少し肌寒さを覚え毛布を身にまとったまま声のもとへ向かうと、玄関で大きめのダンボール二つを前に立つ兎の姿があった。伝票を見る限り、花哥急便で届けられたものらしい。一箱ずつ兎と協力して運び、リビングで開封してみると覚えのあるものが大量に入っていた。
「んだぁこの量。買ったのか?」
「ううん。お祭りの戦利品。
お菓子たくさんあるからリビング置いとくね」
「サンキュー!…あれ、廻琉来ねーな」
「碧もいないね。出掛けたのかな」
朝の六時頃だったか廊下から階下まで、バタバタと足音が駆けていく音に目を覚ました時のことを思い出す。朝早くから元気でなによりではあるが、先の件もあり、一声かけて欲しかったような気持ちもあった。
「かもなぁ…おっ!Metam-oltじゃねーか!しかも黄昏前線の同梱版!」
お菓子の底に詰め込まれたゲーム機の箱を取り出し、隅々まで眺めながら兎が嬉しそうな声をあげる。廻琉と一緒に回った射的で落としたものだ。
両手で抱えるほどの箱に無機質なお面のような見た目をしたメタモル本体のイメージ画がでかでかとプリントされている。箱の隅にはこれまた主張の強い「黄昏前線同梱版」の文字。改めて見てもあのコルク銃でよく落とせたものだと思う。
「これで凪乃も一緒にクレフロできるな!せっかくだし廻琉の分も注文してくるわ!ふん♪ふふん♪」
兎はメタモルの箱を私に預け、片付けも済まないままにスキップで部屋へと戻っていった。
『黄昏前線』は普段ゲームをしない私でも聞いたことくらいはある有名なフルダイブ型MMORPGだ。私はそういうものにはあまり興味がなく手は出さなかったが、どうやら兎はヘビーユーザーらしく、碧も時々一緒に遊んでいるという話は聞いていた。まぁ…レベリングくらいはしておいてもいいかな、そのうち。
「ふぁわ…。んん、ふぅ」
とりあえず、今日はゆっくり身体を休めよう。
***
七月十七日。
昨日と同じく廊下から響く足音で目を覚ます。
時刻も変わらず六時、足音はふたつ。廻琉と碧だろうか。碧が早起きなんて珍しい。私も今日は……課題を進めようかな、起きてから。
そんな事を考えながらも心地の良い眠気に包まれて、時間だけが過ぎていった。
「…んん、はぁ。……トイレ」
結局、起きる頃には時計の針は八時を差していた。きっと朝の八時だろう、そう思いながら覗いたスマホに表示された二十時の文字には、少しだけ目眩がした。
本日の課題進捗、八分の一。
***
七月十八日。
時刻は八時過ぎ。間違いなく朝の八時だ。今日は足音ではなく、インターホンで目が覚めた。
来客は小さな箱を抱えた花哥さん。箱の中身は昨日頼んだばかりのデジタル式目覚まし時計だった。花哥さんは朝も早くから生き生きとしていて相変わらずの働き者っぷりが窺えた。
「ども。……ふぁ。あ、すみません。どうも眠くて」
「はは。若い子は慣れないよね、『昏』の時間感覚って。僕も昔はそうだったな。
二ヶ月あるしさ、ちょっとずつ慣らしていけばいいよ。でもお祭りもあるし、早いうちの方がいいかもね!早起きは三文の徳ってね!じゃ!今後ともご贔屓に!」
颯爽と去っていく軽バンに小さく手を振って見送る。あの快活さは見習いたいものだ。
早起きは三文の徳、ね。たしかに一理ある。
ここ数日、すっかり生活リズムがズレてしまって、廻琉と碧とはろくに話もできていない。今日も二人の靴はなかった。兎も出掛けてしまっているようだったし。
「起こしてね、明日」
明日はこの目覚まし時計が役に立ってくれることだろう。そう信じて遅くまで課題を進める事にした。
本日の課題進捗、四分の一。
***
七月十九日。
時刻は朝の五時半。新入りはよくやってくれた。
今日も今日とてばたばたと出掛けていく廻琉と碧に声を掛けてみるべく廊下に出る。ずっと伸びる広い廊下は冷房の効いた部屋と違って随分と蒸し暑い。手団扇で送る空気も生温いような、ほんの少し涼しいような、微妙なものだった。
「あ!!おはよ!凪乃!はやいね、今日!」
「ん、おはよ。今日もどっか行くの?」
「うん!ちょっと、ね!へへ!
あっあっ!急がなきゃ!ごめん凪乃!また夜ね!
いってきまぁ〜〜す!」
「えっ、あっ、うん。……いってらっしゃい」
そう言い終える前に、階段を駆け下りていく廻琉の背は見えなくなっていた。玄関から響く二つの足音が扉の向こうに消えたのを確認して自室に戻る。
「……あつい、かな」
冷房は充分に効かせている筈なのだけれど、不思議なものだ。
本日の課題進捗、四分の一。




