2.″ほんの少しだけ″
翌日。
教室に入った瞬間、少しだけ空気が浮ついているのがわかった。
転校生。
それだけで教室は少しだけ騒がしくなる。
小さな非日常。日常を彩るミニイベント。
「かわいい子だといいよな」
「たしかにな」
「……恋愛フラグ立つかな」
「バカは消しゴムでも立ててろよ」
月炉と烏帽子のいつもの馬鹿話が聞こえてくるが、気にせず席につく。教室の空気に釣られてか、ふと昨日のことを思い出してしまう。
住宅街。
夕焼け。
知らない女の子。
「……」
いやいや。そんな都合の良い話があるわけない。そう思ったところで教室の扉が開いた。
「今日から転校生が来ますよん、美少女の。嬉しいな嬉しいな」
我らが担任教師さっちゃん先生…、百目鬼 祭歌先生の声が響く。
「では、美少女。入場」
一瞬、教室が静まり、
──がら。
戸の開く音だけが響く。
皆の視線が集まる先、入ってきた少女を見て息が止まる。
昨日の子だった。
腰まで届く赤みの強い栗色の長髪。
大きな瞳。ルビーのような紅い色。
間違えようがない。
「陽戸 廻琉です!」
元気よく頭を下げる。
「よろしくお願いします!」
ざわつく教室。
廻琉と名乗った少女は少し照れ臭そうに笑っている。
「席は……凪乃の隣だ、空いてるから。
あそこね。窓際、大当たり席。嬉しいね」
よりによって、私の左隣。
何事もないかのような顔をして、廻琉は空いている席へと歩を進める。短いような長いような時間が過ぎて、
──がたり。
隣から聞こえた椅子の音に合わせて目だけを向けた。視線の先、昨日会ったばかりの少女はこちらに笑顔を向けたまま、
「よろしく、ね」
まるで初対面みたいに笑いかけてきた。
「……よろしく」
昨日のことは言わない。
言うほどのことでもない。
そう思った。思ったのだが。
転校生はどこか嬉しそうに笑っていた。
***
一時間目は生物基礎。祭歌先生の担当だ。
高等部に進学してからというもの、ろくに授業が進行した試しがない。
「コレ、先に配っちゃうよーん
締切は昏休み明けでぃ〜す」
頬杖をついたまま紙束を揺らし、気怠げに間延びした声が教室に流れる。ああ、今日もやる気ない日か。
右列から順に進路希望調査票が配られる。
……進路、か。
まだ一年だというのに、また随分と気が早い。
前の席から紙を受け取る。
一枚。
指先でそう確認した。余りは無い。
机の上に置く。
その時だった。
「ごめーん、転校生いるから一枚足りないかも」
さっちゃん先生がぱちん!と手を合わせて謝意を示す。そんな杜撰な。
「陽戸だけ後で職員室、よろしく〜」
「はーい!」
転校生が返事をする。
なんとなくそちらに目を向けて、それから手元の紙へ視線を落とした。
──かさ。
紙が擦れる音。
「……?」
違和感。
紙を持ち上げる。
一枚だと思っていた。
いや、一枚だった。だが、下からもう一枚出てきた。
進路希望調査票。同じものが。
重なっていた。
まるで最初からそこに在ったかのように。
「……」
そんなことあるだろうか?
受け取った時は一枚だった筈だ。
少なくとも私はそう思った。
現れた用紙を数秒、見つめてみる。寸分違わず同じものだ。表記やサイズに狂いはない。
答えは出ない。なら、もう。
「陽戸……さん」
考えない。
余っているのなら、と。左隣の少女へと差し出した。
「あ」
転校生が目を丸くして、
「ありがと!」
笑う。
その顔がなぜだか少しだけ引っかかった。
「先生ぇ〜!余りありました!」
転校生が手を挙げる。
透き通るような、よく届く声。
「超ラッキーじゃ〜ん?」
……ラッキー、ね。
***
昼休み。
廊下に声が増え、中庭の辺りがにわかに騒がしくなる。
「凪乃ぉ〜ん」
「飯だ飯」
「ん」
見慣れた顔の二人がやってくる。
いくら梳かしても跳ねるアホ毛をおったてたままの碧。威圧的な三白眼に加えて挑発的に口角を上げた悪い顔が常の兎。でこぼこコンビが私の元へやってくる。
その後ろから。
「私もご一緒してもいいかな?」
転校生。
陽戸 廻琉だった。
「当たり前ぇ〜っ!」
「断る理由ねーし」
碧と兎が即答して、自然な流れで四人になる。
「喉乾いた!!飲み物買いに行こぉ〜っ!」
いつの間にか兎に抱えられていた碧が鬨の声を上げ、喉を潤すべく階段を下りて中庭にある自販機へ向かうことになった。
「そういえば!凪乃」
兎に抱き抱えられた碧が、後ろを歩くこちらへと屈託のない笑顔を向ける。その様はどう見ても幼児のそれだ。
「今回も!ありがとねぇ」
「なんのこと?」
「赤点回避できました〜っ!ギリ!三十六点!」
「あ〜…」
そういえば対策ノート貸してんだっけ。
「あ〜じゃないよぉ!」
碧が大袈裟に叫ぶ。その様子に廻琉が小さく笑う。
「夜明さん、勉強できるの?」
「別に、普通」
「普通じゃねーよ」
隣から兎が口を挟む。
「万年二位の皇が何回中庭に池を作ったのかも知らないのか?」
神代桜は中高一貫校。勉学にはそこそこ注力しているようで、月末模試の学内順位が中庭に張り出されるようになっている……らしい。
「ん。わざわざ見に行かないから」
「罪な女だねぇ〜っ!」
皇さん、話には聞いたことがある。話した事もあるようなないような。
けど知らない、順位の事も。私はたまたま通った時に一瞬見てみるだけにしている。理由は面倒だから。
「そんなに気にすることでもないし」
「だろうな」
即答だった。
「なぁ陽戸。こいつな、凄いんだぜ」
兎が私の肩に手を回して抱き寄せる。頬を撫ぜる髪がくすぐったい。兎に抱かれたままの碧も抱きついてきて暑苦しい。
「ペット探し引き受けたりぃ」
「部活の助っ人したり」
「文化祭も駆り出されてたねぇ!」
「ナントカ研究所…?の補助員もやってんだよな!」
百目鬼研究所、バイトね。
生活費の為に、ということで祭歌先生に紹介してもらったバイト先だ。研究所というよりはなんでも屋のような事をやらされている気がするが、特に文句はない。理由は給料が良いから。
「つーか薄食んとこの犬逃げ過ぎだよな、五回って。懐かれてねーだろアレ」
「脚早いしねぇ!追いかけるのたいへんだったなぁ」
いろいろと好き勝手言われているが、そんな事もあっただろうか。
少し考えるが、思い出せない。
正直なところ、あまり覚えていない。
犬を探したことも。助っ人したことも。
文化祭も。ノートを貸していたことも。
頼まれたからやった、それだけだった。
「ほら、凪乃なににするぅ?」
碧の声で顔を上げる。
中庭、渡り廊下。日陰の下に自販機が四台。
「あたしはコーラ。酸素ボンベだぜ」
がこん。
ピロン♪【 7 7 7 8 】デデッデ♪
「わたしはコレ!夏といえば麦茶だよねぇ」
がこん。
ピロン♪【 7 7 7 8 】デデッデ♪
「ん、じゃあ私は」
ファンタにしよう、グレープの。
理由は美味しいから。
小銭を入れて、お目当てのボタンに指を伸ばす。
「……あ」
売り切れてる。じゃいいや、後で。
「陽戸さん。先どうぞ」
「ありがと!」
二歩後ろに下がり、間を空ける。
一人分。と、私のパーソナルスペース。
ラインナップを順繰りと眺めながら、何にしようか頭を悩ませる。暑くなってきたし、炭酸で口の中をすっきりさせたい気分だし、なんて事を考えながら転校生の方に視線を向ける。
転校生も口元を手で覆い、小さく首を傾げて悩んでいる様子だった。
「じゃ、ここ」
転校生の指先が伸びる先にあったのは、
″揉んで揉んで抹茶ゼリー 大容量七○○ml″。
ああ、あれは。
「ありゃハズレだ、量に釣られたな」
兎が小さく呟く。
そう、あれは我が校随一の不人気商品。悪名高きクソ飲料。
「陽戸ちゃんそれは─────」
がこん。
「ありゃあ」
碧が止めに入るも、一歩遅かった。
転校生が取り出し口に手を伸ばす。
「ご愁傷さまだねぇ」
碧が手を合わせる。
「一口で捨てたくなるぞ、金ドブってやつだな」
兎の追撃を受けた転校生が慌てて取り出し口を覗き込んで数秒、首を傾げて、なにやら小さく笑っている。
「どうした?」
「これ」
取り出されたのは紫色のボトル。
「……ん?」
思わず声が出る。
ファンタグレープ。
売り切れていたはずのもの。
私が買おうとしていたもの。
「えっ」
「なんで?」
呆気にとられて固まる。碧も、兎も。
当然、私も。
その空間で、転校生だけが平然としていた。
「これ飲みたかったんでしょ!あげる!」
当たり前みたいな顔をして差し出される。
向けられたボトルと自販機とを見比べた。
赤いランプが点灯している。たしかに売り切れているはずだ。あの時に確かに見た、今だって。
業者が入れ間違えていた可能性も……ある。
それでも、
「…大丈夫、ありがと。私は別の買うよ」
言い知れぬ違和感だけが胸に残る。
「でも、」
その時、
ピロン♪
【 7 7 7 7】
パーパパラパーン♪イッポンムリョウッ!!
自販機が陽気な音を鳴らす。
ルーレットの当たる音。
「ハハ。超ラッキーだな、マジで」
兎が肩を竦めて笑う。
「次はちゃんとしたの!選ばないとねぇ!
オススメ教えたげる!」
碧も笑って、「これとこれと、」と小さな指で転校生にオススメ商品を教え始めていた。
……気にならないのだろうか?
***
───結局。
私はファンタグレープを受け取った。
「ほらぁ、遠慮しないのぉ」
「せっかくなんだし貰っとけ」
碧と兎に背中を押される形だった。
「……ありがと」
「うん!」
転校生は嬉しそうに笑っていた。
その笑顔が妙に眩しく見えて視線を逸らした。目を合わせられなかった。
その後の時間は、普通に過ぎていった。
碧が延々とどうでもいい話をして、兎が適当にツッコんで、転校生が笑う。
いつもの昼休みに転校生が来ただけ……の筈だった。
私だけがどうしても気になっていた。
キーホルダー。
進路調査票。
売り切れていたはずのファンタ。
ルーレット。
偶然。そう言われればそれまでだ。
でも。
妙に出来すぎている気がした。
チャイムが鳴る。
昼休み終了を告げる音に続いて、慌てて立ち上がる碧の声が中庭に響き渡る。
「やばっ!移動教室だったの忘れてたぁ!」
「毎回忘れてんな。……で、どこだっけ」
「理科室!ほら!走るよぉ!」
騒がしい二人が先に去っていく。
「凪乃!陽戸ちゃん!じゃあねぇ〜!」
軽く手を振って、その後ろ姿を見送った。
「じゃ、私は先生のとこ、呼ばれてるから!」
「……ん」
二人の背中が見えなくなった頃、転校生が立ち上がり、職員室のある校舎へと歩いていく。時々、こちらを振り返りながら。
私は、二人の時と同じように彼女を見送った。
小さく手を振って、
「また、ね!」
「………ん」
遠のく背中を見届ける。
後は私も教室に戻って、準備して。
それで終わりの筈だった。
なのに。
気付けば立ち上がっていた。
「……」
理由はない。私はこの後自習だったから、時間はある。それに、ただ少しだけ聞きたいことがあった。……それだけだ。
廊下へ出ると、少し先を歩く背中が見える。
赤みの強い栗の色。一束の絹糸のような綺麗な長髪。
昨日見た後ろ姿。
少しだけ、歩く速度を上げた。
「陽戸さん」
呼び止める。
転校生が振り返る。長い髪が揺れて、垂れ幕のように隠された顔が顕になる。
その表情は、なぜか。
「……来てくれた」
とても、とても嬉しそうに笑っていた。
「……聞きたいことがある」
「うん」
廊下の先に人の気配は少ない。午後の授業前特有の、少しだけ空いた時間。遠くから碧の声が聞こえた気がしたが、すぐに消えた。
「昨日のキーホルダー」
転校生の表情が少しだけ動く。
「今朝の進路調査票」
「……」
「ファンタ、さっきの」
ひとつずつ並べる。
並べてみると、私がおかしくなったみたいだった。
「……ルーレット」
転校生はしばらく黙っていた。
怒るでも、誤魔化すでもなく。ただ、少し困ったように笑った。
「…やっぱり気付くよ、ね」
「まぁ、普通なら」
「そっか」
「なにが?」
声が少し硬くなる。自分でもわかった。
「偶然じゃないの?」
転校生は私から目を逸らさなかった。
「どうでしょう」
「どっち」
「どっちも、かも」
否定でも肯定でもない、曖昧な返答。
意味がわからない。
考えうる可能性は能力だけ。
でもそれは、それにしては……随分と。
困惑する私の顔を見て、転校生がぐるりと周囲を見回す。誰もいないことが確認できたかのように頷いてから、ポケットに手を入れた。
「私の能力、なの」
そう言って取り出されたのは、一枚の白いカード。
カード。
啓示を受けた人間に与えられるもの。
能力が記された、本人だけの証明書。
転校生はそれを私に見せた。
そこには短くこう書かれていた。
『ほんの少しだけ 思い通りになる』
「……は?」
間抜けな声が出た。
「書いてある通り、だよ。
思い通りになるの、ほんの少しだけ」
「……いやっ」
言葉が詰まる。そんな能力、聞いたことがない。
範囲が広すぎる。定義が曖昧すぎる。
普通、能力はもっと限定的なものだ。
消しゴムが倒れないとか。
シャーペンの芯が折れないとか。
そういう、どうでもいいくらい狭いもの。
「……なにそれ」
「そう思う、よね」
転校生はカードを指先で摘まんだまま小さく笑った。
「でも、本当にほんの少しだけなの」
「キーホルダーは?」
「落ちてくれたらいいなって思った」
「私が気付かずに?」
「うん」
「調査票は?」
「足りないなら、あったらいいなって。
それに受け取りたかったの、夜明さんから」
……なにを。
「ファンタは」
「飲みたそうだったから、夜明さんが」
……私が。
「ルーレット」
「…当たったら、もう一本買えるでしょ?
そしたら、受け取ってもらえるかなって」
………私に?
軽い。
本当に、軽い。
大したことじゃないみたいな言い方だ。
それが余計に気味が悪い。
「押したの、抹茶ゼリーだった」
「うん」
「でも出たのはファンタだった」
「うん」
「なんで」
「押す場所はどこでもよかったの」
背筋に細いものが走る。
″どこでもよかった″。
つまりこの子は"ジュースを"選んでボタンを押したわけじゃない。
"結果"を選んだ。
ファンタが出る、という結果を。
私が欲しいものが、手に入るという結果を。
「……それ、便利じゃん」
思わず口に出た。
「そうでもないよ」
転校生はすぐに首を振る。
「強くは効かないし外れることもある。
本当に、ほんの少しだけ……なの」
「でもっ」
「それに」
転校生が一歩だけ踏み込む。
転校生と私の距離が縮まる。
近い。
反射的に下がりそうになる。
けれど、足は動かなかった。
「他人の気持ちは、思い通りにならないの」
はっきりとした声だった。
「だから、ちゃんとやる」
「……?」
カードをポケットにしまって、まっすぐ私を見る。
昨日の夕方と同じ目だった。
大きくて、紅くて、まっすぐで。
逃げ道を塞がれるような目。
「私、夜明さんに一目惚れしました」
「……はぁ?」
今日二度目の、間抜けな声が出た。
「夕焼けの道で、一目見た時から」
「待って」
「待たない」
「……待って」
「待たないよ」
即答だった。
「能力でどうにかするつもりはないの。
できないし、したくない」
一度だけ息を吸って、
「だから、ちゃんと振り向いてもらう」
「……」
「能力じゃなくて」
少しだけ照れたように。
でも、一切の迷いなく。
「私で、あなたを」
チャイムが鳴った。
午後の授業開始を告げる音。
廊下の空気が震える。
転校生はぱっと表情を明るくして、いつもの笑顔に戻る。
「じゃ、戻ろ!」
「……今ので?」
「うん」
「戻れると思う?」
「戻れるよ」
「……私は無理なんだけど」
「えへへ」
あどけなく笑って誤魔化される。
意味がわからない。
能力も。告白も。この子も。
何もかも意味がわからない。
それなのに。どういうわけか。
私はもう、陽戸廻琉を無視できなくなり始めていた。




