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剋生の孔雀  作者: 氷炎
新しい世界 定めた目標

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2/18

Ep.1 停滞した楽園 ― AIが統べる世界

 


 海面上昇によって大地の大半は海に沈み、人類が陸を離れて海上都市で暮らすようになってから、もう長い時間が過ぎていた。プラットフォームと人工建造物は水平線の先まで続き、鉄骨とコンクリートで組まれた街並みが、海の上に浮かぶ島の群れみたいに広がっている。その光景の上から、人工ではない太陽だけが変わらず降り注いでいた。白くあたたかな光が街を照らし、そのぬくもりだけは、作り物ではないものに触れた気がした。


 歩行者用の通路には端末やモニターが整然と並び、人の移動も、通信も、買い物も、ほとんどが自動で処理されている。労働はすでに機械へ置き換わり、食事も医療も清掃も娯楽も、必要になればすぐ手に入る。人々はAIの管理のもとで、穏やかに暮らしていた。けれど、その穏やかさは、双葉 孔雀(ふたば くじゃく)の胸の内までは埋めてくれなかった。


 孔雀は、いつものカフェのテラス席から窓の外を眺めていた。視線の先には、管理された気候の中で季節に関係なく遊べるレジャー施設が並んでいる。歩きやすく整えられた散歩道がまっすぐ伸び、その奥にはガラスで覆われた砂浜が見えた。街路樹も、水面を揺らす波も、人の肌を撫でる風も、すべて精巧に作られた模造の自然だ。綺麗ではある。けれど、胸を打つような強さは薄い。通りを行き交う人たちにも暮らしの気配はあるのに、笑い方や身振りの向こう側までは、うまく伝わってこなかった。


「なにか、楽しい事ないかなぁ」


 独り言が、ぽつりとこぼれる。


 飢えも貧困もない。困ることの少ない生活だ。それなのに、生きている手応えのようなものが、どこにも引っかからない。胸の奥に広がる空っぽさを、孔雀はどうにもできずにいた。


 なんとなく外を眺めたまま時間を潰していると、腕につけた端末が小さく鳴った。孔雀はわずかに肩を揺らし、視線を落とす。表示されていたのは、親しい友人からのメッセージだった。


『面白そうなゲームあるんだけどさ、一緒にやろうよ~!』


 短い文と、ゲーム紹介ページへのリンク。それだけで、胸の内がかすかに動く。その友人が勧めてくるゲームは、だいたい趣味が合う。外れだった記憶は、片手で数えられる程度しかない。画面の上を指先でなぞりながら、孔雀は少しだけ考えた。


 現実の生活は保障されている。自由だってあるはずだった。それでも、いつも何かが足りない。刺激も、困難も、手を伸ばしたくなるようなものも少ない毎日だ。そんな日々の中で、ほんの少しでも変化の匂いがするものに目が向くのは、自然なことだった。


 孔雀はリンクを開いた。


 画面いっぱいに表示されたのは、開発中のフルダイブ型VRMMO《Elemental Shadows》の概要ページだった。世界観の簡単な紹介。五行思想。相生と相剋。そして、『十二影座』という単語。情報量は多くないのに、いくつかの言葉が目に残る。


「……少し、面白そうかも」


 小さく呟く。


 まだ詳しいシステムまでは載っていない。剣と魔法の異世界ファンタジー。映像は写実寄りではなく、どこか絵本みたいにデフォルメされたアニメ調。大枠だけ見れば、珍しいタイプのゲームではなかった。


 それでも、『十二影座』の項目だけは、妙に引っかかった。


 ざっと読んだ説明では、イベントなどで敵対勢力として動く側に、プレイヤー自身がなるらしい。その一文だけでも、胸の奥が少し騒ぐ。ほかにも断片的な情報はいくつかあったが、孔雀の意識はそこに強く留まった。


「よし……やってみようかな?」


 静かに決める。


 胸の奥に沈んでいた虚無感を押し返すように、手の中の端末を握る指先へ力がこもった。新しい世界へ踏み出す理由としては、それで十分だった。



 リリース日。


 双葉孔雀はベッドに腰掛け、ひとつだけ深呼吸をした。手にあるのは、フルダイブ用のVR機器だ。


「今日から、新しい世界かぁ」


 誰に聞かせるでもなく、独りでそうこぼす。


 そのまま機器を頭に装着し、ベッドへ横になる。ゲーム本体のデータは先にインストール済みで、起動すればすぐ始められる状態になっていた。確認を終えると、孔雀は起動用のキーワードを口にする。


 その直後、意識がゆっくり暗く沈みはじめた。


 体の感覚が薄れていく。肌に触れていたシーツの感触も、部屋の空気の匂いも、少しずつ遠のいていった。耳の奥には、期待で早くなった鼓動だけが残る。ほかの感覚がひとつずつほどけていく中で、孔雀の意識は自然に闇の中へ沈んでいった。


 薄れていた意識が、今度は逆にはっきりしていく。


 仮想世界への同期が無事に終わったのだと、孔雀は感覚で理解した。そう認識したところで、目の前に白と黒の文字が浮かび上がる。


≪Elemental Shadows≫


 これから自分が入るゲームのタイトルだった。孔雀はひとつ息を呑み、小さく言う。


「ゲーム開始」


 光が、ゆっくり広がっていく。


 周囲にはまだ何もない。景色も空間も輪郭を持たず、ただ孔雀の基本アバターだけがそこに立っていた。そこへ、感情を感じさせない機械的な音声が流れはじめる。


[――《Elemental Shadows》へようこそ。

 これより、初回ログイン時の利用規約を読み上げます]


[第一条。行動データの記録。

 本ゲーム内におけるすべての行動、発言、戦闘記録、選択結果は、システム最適化およびアルゴリズム調整のため記録・解析されます]


[第二条。アーカイブ保存。

 プレイヤーの行動はすべてアーカイブ保存されます。アーカイブされたデータは、特定条件下において随時使用される場合があります]


[第三条。安全管理。

 フルダイブ中、生命活動は外部管理AIにより監視されます。危険が検知された場合、強制ログアウトが実行されます]


[第四条。禁止事項。

 システムの不正利用、重大な違反行為が確認された場合、アカウント停止処分を行います]


 内容自体は、特別珍しいものではない。けれど、第二条の文言だけは、少しだけ引っかかった。孔雀はその違和感を覚えたまま、続きを読み上げる音声へ意識を向ける。


 昔のゲームでは、利用規約を読み飛ばすこともあったらしい。けれど、今の社会でそれは軽く扱えるものではなかった。


 AIに管理される世界だからこそ、ルールから外れた行為には厳しい処分が下る。利己的な振る舞いを重ねれば、ゲームの外の生活にまで影響が及ぶ。そういう時代だった。


[――以上。規約への同意を確認します。

 同意しますか]


 第二十条まで続いた音声ガイダンスが終わると、目の前に同意と不同意の選択肢が現れた。


「利用規約にすべて同意します」


 孔雀がそう告げた途端、視界が明るさを増していく。白かった世界に色が差し込みはじめ、その変化を見ていた孔雀は、次の瞬間に広がった一際強い光へ思わず目を閉じた。



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