神様の罰
金髪縦ロールは、ふむ、と口に手を当てた。
考え込む仕草になっている。
なんかね、似合ってるんだよね。そういう、仕草の一つ一つが。庶民離れしてるっていうかさ。
なんなのこいつ。散々うちのこと、嘘のうわさで傷つけてさ。何がしたいのよ。
私があんたに何かしたこと、ないよね?
「……それでも、やっぱりあの店はいかがわしいわ。大通りにきれいなお店ができたのに、どうしてまだ繁盛しているのよ。
あなたが、いかがわしい仕事をさせられているからではないの」
イラっとした。あっちはあっちで勝手にやってればいいでしょうが。
ちょっと言い返そうか。
せっかくの機会だ。たっぷりどろどろの気持ちをぶつけて……
「うちの店は小さいから、静かにごはんが食べたいひとに人気なんだよ。
新しいお店は、がやがやしてて苦手だって人が来るの。昔からの常連さんもいるし」
……あれ、普通の切り返しをしてしまった。
黒いどろどろ、もっとあいつを傷つけないと。
どこに行ったの。
「それでもおかしいわ!!」
かちゃっ。
ロザリーが叫んだちょうどその時、司祭様が、私の机と椅子を持って現れた。
「遅れてすまないね、ちょっとゴミ捨て場に大事なものが落ちていたもので。
さあ、授業を始めますよ。皆さん、座りなさい」
がたがたと、みんなが座る音が響く。ロザリーは、どかっと不満気に荒々しく席に着いた。
私の席は一番前だ。司祭様は、机をいつもの場所に置いて、ハンカチを出した。
「口が切れていますね。どうしました?」
これだ。これを待っていた。はずなのに。
「ちょっと転びました」
嘘をついた。
主犯がしゃべり出した今、司祭様に間に立ってもらう必要はない。うん、ない。
私に、わんわんくんを断罪しろと黒いものが囁いている。けど、さっきからこいつは弱ってしまった。
なんでだ。
多分、ニムルスのせいだ。実行犯も追い詰めようとしていたのに、やる気がなくなった。
黒いどろどろが、小さくなっていく。
悔しい。なんか気持ちいいのが、悔しい。
「いや、おれ「転びました」」
「だからおれ「転びました」」
「おまえなに「転びました」」
わんこ君が何か言おうとしたけど無視した。
司祭様は、頭を抱えてため息をついた。
「……まあ、よいでしょう。
神に賜わった教会の備品である机を、捨てた者。
捨てさせた者。あなたが転んでぶつかった者。
神の導きにより相応の罰はあるでしょうから」
はっとした。司祭様、全部わかってる?
相応の、罰。司祭様が怒ってくれるのかな?
「神は全てを見ています。人の行いを、全て。
その者達は、悔い改めない限り、己の心に苦しめられるでしょう。
リーナ、覚えておきなさい。罰は、神が与えるものです」
そっと、司祭様は私の頰に触れた。そして、明らかにロザリーの方を、じっと見つめた。
私の位置からは、彼女の顔は見えない。
どんな顔でこっちを見てるんだろう。
いや、見てないのかな?
反省、するのかな。
神様が、罰を与えるのかな。
いや、違う気が、する。
私は、声を上げなきゃいけないんだ。
神様の罰。
それは、己の心が己を苦しめるものだと、司祭様は言う。
それも、一つの対策かもしれない。
大人になって、取り返しのつかない過ちを犯すまで直さないであげるのも、いい仕返しなのかもしれない。
でもその間、その犠牲になる人たちはどうなるの。
その人が間違いに気づくその時まで、傷つきつづけるたくさんのひとたちのおもいはどうなるの。
また、黒いどろどろが少し盛り返した。
司祭様。違う。ちゃんと怒らないと、伝わらない時も、ある。
教義ができた太古の昔は、戦争も、暴力も、報復も、日常だった。簡単に人が死ぬ世界だった。だから、罪を償えといって人を殺したら、その殺した人がまた殺される、連鎖が起こる。
そんな時代には、画期的だったと思うよ。
でも、平和的に伝えられるなら。
嘘の噂を流したその罪を、明らかにしてもいいと思う。神様なんか待ってたら、次の犠牲者が出てしまう。
ぐるぐるぐる。黒い気持ちが盛り返してきた。
「リーナ、その傷は自分で治せますね?」
こくりと頷く。
まだ習っていない、最上級生しか使えない治癒魔法。しかも適性がなければできないそれは、私には簡単なことだ。
手を当てて少し集中する。すうっと傷は消えた。
「……うそ」
あ、教室を出ようとしていた女の子だ。
うん、君は多分中立だから、許す。
ロザリー以外には、なんだか寛大な気分なんだ。
「あ、魔法は習ってないのも一通り使えるよ。何か困ったら言ってね?」
振り返って、にっこりと微笑んでやった。ロザリーにも見えるように。
ぐぎぎぎ、と、手元でハンカチを引っ張っているロザリーは、先生の前で事を起こす気はないようだ。
また、ふう、と、司祭様がため息をついた。
「……リーナ、あなたは、もう専門校に行った方がいいかもしれません。
商学校や冒険者養成所、貴族が通う学校にも特別生として、あなたなら私が口利きはできますが……」
「お父さんが、この学校に行けと言ってたので。相談しないとわかりません」
「……わかりました。では、授業を始めます。それで、よいのですね?」
こくり。頷く。机のことは、まあ、なんだかどうでもよくなっていた。
司祭様の、もう知っている話をつらつらと聞きながら、窓辺をそっと見遣る。
ニムルスは、こちらを見て、にやっと笑った。
黒いどろどろは、あいつに蓋をされて抑えられているみたいだ。
カラムだけじゃない。どろどろが活躍できなかったのは、あいつのせいだ。
目があって、笑顔を向けられる。
はじめての、教室での私の味方。
それだけで、黒いものはすうっと奥にしまわれた。
悔しいけど、そのあとしばらく、出ては来なかった。