わんこ君とロザリーと
今日の授業も、家で全部勉強してることだった。
ふぅ、と、教科書を目で追いながら、さすさすと戻ってきた机を撫でて過ごした。
置物になっている時間はようやく終わって、帰ろうとした時。
あの、わんわん君が声をかけてきた。
「おい、お前、ちょっと来い」
は?なんで?
私は無視して道具を片付け、鞄にしまい込む。
「強いんだろ。証明してみせろ!」
私は睨んだ。その子を。
あ、初めてちゃんと顔を見た。茶色い大きな目に、茶色いくるくるの巻き毛。
痩せてるけど、丸顔。
本当にわんこみたいだ。なんだ、かわいいじゃん。
「ふふっ、暴力はよくないわ。ここ、教会ですわよね?」
わざと丁寧に言ってやった。さっき殴っただろお前という意味を、たっぷりと大盛りで乗せてやった。
「わんわん君って、悪口だろ。それはいいのかよ!
俺は人間だ。犬じゃねえ!!」
ぶはっ。吹き出してしまった。
あ、ちょっと他の子も笑ってる。
わんこ君の顔は真っ赤だ。
そのわなわなした顔を見て、黒いどろどろは、またちょっと大人しくなった。
「あ、うん、それはごめん。でも、机を捨てるのも悪いことだよね?どっちが悪いのかな?」
ぐっ、と、言葉に詰まったわんこ君。
黒いものは喜んでいた。
うん、そうだね。うまく遊んでみたら楽しいかも。
「ちょっと、机の上に腕を乗せて」
「なんだよ、それ」
「冒険者達の遊び。わん…ごめん、ええと、カイル君だっけ。うでずもうっていうんだよ。
こうして、向かい合って手を繋いで、相手の手を机につけた方が勝ち」
「俺はお前と戦いたいんだ!」
また赤くなって怒る。
どうしても私に正式に勝ちたいらしい。
ふふ、無理だよわんこ君。
「私は剣術コースをとってないからそっちでは勝負できないんだよ。それ以外で戦ったら、ただのケンカでしょ?
これで冒険者は勝ち負けを決めること、けっこうあるんだけど。賭け事になったりもする、正式な勝負だよ」
ちょっと嘘だ。ただのお遊びだ。
でもわんこ君にはわからないだろう。
大人になって気づいた時にちょっとイラっとしなさい。
それが仕返しってことで許してあげる。
「わかった!絶対勝つからな!!」
机の前に立ち、どん、と肘を置き、お互い利き腕の右を握る。いやほんとは私左利きなんだけど。
周りに、ギャラリーが集まってくる。主にお祭り好きの男子だ。
あれ、ロザリーがいない。ほかの主犯格の女の子達も。帰るの早いな。
ふふ、恐れをなしたか。そうだ。怖がれ、私を。
私は、つよいんだ。
相手は、普段から体を鍛えている男の子。
私は、普段からお皿を運んでいる給仕の女の子。
誰が見ても、勝敗は明らか。
明らか、なんだけどね。
と、言うわけで、わんこ君を瞬殺して帰宅しました。
レディー、ごっ、くらいでどすんと。秒で。
もう描写も省略されるくらいの負けっぷりに、わんこ君は肩を落として帰って行った。
ちょっと待てわんこ君この後剣術あるでしょ。
いいのか。まあいいか関係ないし。
いつも下ばかり見ている帰り道、きれいな花が気になった。
小川でちょっと立ち止まって景色を見た。
なんだかいろんなものがきれいに見える。
そのまま、川辺に座って少し休んで帰った。
黒いどろどろが喜んでいたからだ。
そうに違いない。あいつ性格悪いからな。
あ、出元は私なのかそうなのか。
帰宅して、いつも通り髪を洗い、乾かし、櫛で梳いてお水で濡らした布巾で体を拭く。髪はちゃんと結い直し、エプロンをきゅっと締める。
そうしていつもの習慣、身なりを整え、部屋からきれいな夕日を見た時。私の朝がやっとやってきた。
今日の夜は長かったな。
背筋がしゃんとする。今日はやけに気持ちがいい。何だって頑張れそう。
「お母さん、お手伝いは?」
階段を降りて開口一番、いつもの習慣。
大好きなお母さんは、そっと入り口を見やった。
私も視線を向けると、そこにはカラムと、ニムルスと……ロザリー、あと知らない煌びやかなおじさんが、奥の目立たない席に座っていた。
え、なんでいるの。
どろっとしたものがまた出てくる。
うちに入ってこないで欲しいんですけど。
煌びやかなおじさんは、立ち上がった。
「君が、リーナちゃんだね。私はロザリーの父代わりをしている、ロダンという。
今回は、娘があらぬ噂を立てていたようで、本当にすまなかった」
煌びやかなおじさんは、その銀髪をざっと翻して深々とお辞儀をした。
そう、おじさんはロン毛だ。肩までのストレート。どうでもいいけど。なんでロン毛。
淡い緑の目と、目が合った。おじさんは、ロザリーには似ていなかった。お母さん似なの?
でも、おじさんは関係ない。ロザリーに謝ってもらわなきゃ意味はないし、まず誤解を解かないと。
ロザリーを見る。その顔には表情がなかった。
どろっとしたものが、また復活する。
そう、何も解決していない。
「おじさんに謝られても……。とりあえず座ってください」
煌びやかなおじさん…ロダンは、背を丸めて腰掛けた。
私も席について、本当に聞きたかったことを聞く。
ここは私の家だ。何があっても大丈夫。
嫌だけど、怖いけど、聞かなきゃ。
少し下を向いて、目が合わないロザリーに、語りかける。
「ロザリーは、本当に私がそんな…その、あの、お客さんと、そんなことしてるって、思ってるの?」




