ハンカチ屋の朝は早い
私の朝は早い。
ごはんの支度、洗濯、掃除。お母さんはほとんど家にいないから、全部私の仕事だ。
あんまり遅く起きると、井戸の水汲みの時や洗濯場で、近所のおばさんに捕まって噂話をされたりする。
その会話の中で、さりげなく私のことを聞いてくるんだ。
そっちが目的で、仲良くなろうとしてるよね。
お母さんが、本当は帰ってきていないこと、近所の人なら気づかないわけがない。
話しても、噂のネタになるだけだ。何をしてくれるわけでもない。お母さんが侍女をしていて貴族街にいて、お金だけはあることは、みんな知ってる。
私の出自も、怪しまれている。
おかあさんが、おきぞくさまの、お手つきで私を産んだんじゃないかって。
いやそれどっちでもいいよ。私には、これからの展開の方が大事だ。
でも、顔には出さない。様子見は、得意技だ。
そうして、早く家の仕事を終えて、ハンカチも別に有り余っている時。私は、教会の図書館に行く。
この国のことを、少しでも学ぶんだ。
私の立場。お母さんの勤め先のこと。この先どうしたらいいのか。なんでもいい。情報が欲しい。切実に。
お母さんは、私に地味な格好をするようにしつこく言う。とにかく集団で目立つなと、言う。
お母さん自身も、太ることにかなり熱心だ。
おてつきになりやすいのは、美しく若い侍女。お母さんは、この世界の基準では若くはないけどまだ二十代。日本では結婚適齢期にあたる。
もし見た目で解雇されても、侍女というのは専門職だから、どこかでまた雇ってくれるから。だから、太るのだそうだ。
とても美味しそうに、余り物の甘いパンを沢山食べる。
……甘いものが好きなだけじゃ……ないよね?
そうして、最近になってやっと落ち着いた職場が、ノーリス男爵家だったんだ。
私のお父さんは、誰なんだろう。
お母さんは、やっぱりおてつき、されたんだろうか。多分、そうなんだろうな、
このまま、私も侍女として働いて、おてつき、になるなんて、嫌だ。
今日も、私が必死に貴族名鑑を読んでいると、ロザリーがやってきた。手前の英雄譚の物語の棚に座って、鎖のついた本を斜めの机に広げて読む。
ねえ、ロザリー。相談したいよ。
あなたは、どうやって、この世界になじんだの?
この先のストーリーを、どうするつもりなの?
あなた、悪役令嬢よね。
リーナに、もう既に負けてるよね。
私は、ゲームに出ても来ないモブだから、自由に生きられるけど。
あなたの運命は、決まってる。
居酒屋の件で、クラスで口走る数々の日本の言葉で。あなたが転生者であることはわかってる。
相談、しようかな。
でも、秘密を知ってるからって、消されるのも嫌だからな。公爵令嬢よね一応。私ごときひとひねりよね。
とりあえず、様子見だ。気配を消して音を立てないように、そっと図書室を出る。
様子見は、私の得意技だ。
次は、花壇の水やり。司祭様に朝早く来ていることを知られてから依頼されて、毎日やっている。
これが、けっこう楽しい。教会の庭は、猫や鳥がたくさんいる。家から持ってきたパンをあげるようになってから、懐かれて猫達は寄ってきてくれるようになった。ふわふわの白い猫が、一番食いつきがいい。ちょっと笑ってしまう。
私の、秘密の楽しみだ。勝手にシロと呼んで可愛がっている。
日本で生きていた時は、花やら道端の猫やらなんて気にする余裕はなかった。
東京生まれ、東京育ち。私は、受験生だった。
両親は通勤にちょうどいい高級マンションを買ったから、中高一貫に行くようなお金はない。でも私には両親から受け継いだ要領のいい頭があった。
公立の高校から、大学は国内最高峰の国立を志望していた。なんとか合格圏内にいたのよね、これでも。
両親とも企業に雇われた薬学系の研究者だった。どちらも帰りが遅くて、私は一人っ子。
遠隔授業で、家に帰ってから塾の講義を聴く毎日。パソコンやタブレットも最新のものを与えられた。
公立の高校では、進学組はとてもぴりぴりしている。塾に通えない子もたくさんいる。だから、私は自分の成績の秘密をひた隠した。
みんなと一緒だよ、家でガリ勉だよー眠いよー。
……嘘だけどね。教材の差って大きいのよ。
クラスでは、家でやってる遠隔授業をひた隠し、時折始まるいじめも見て見ぬ振り。とにかく様子見をして、目立たないように。それが処世術だった。
友達だった子がいじめのターゲットになった時も、こっそりSNSで励ますくらいしかしなかった。
ある日、その子から、転校するとメッセージが届いた。
高校三年生で?受験捨てるようなものじゃない?
どうしよう。なんて返事しよう。
頭がまとまらない。
ふと、コンビニに行こうと思い立った。
私の家は、駅に直結した高層マンションだ。
下の階に行けばコンビニはある。でも、好きなドーナツが、向かいのコンビニにしか、ないんだよね。
その時。
暴走してきた軽自動車が、歩道に突っ込んできた。
私は、店の壁と車に挟まれた格好で、事故に遭った。
痛みは、なかった。ないのが問題だ。
ああ、死ぬんだと、思った。
「ねえ、やり直したい?」
なんかみすぼらしいおばさんが声をかけてきた。
染めてない、真っ黒のくせ毛をひとつに結っただけ。切りっぱなしの古いジーンズに、穴の空いたパーカー。洒落っ気もなにもないひと。
え、どこにいた?この界隈でその格好は目立つよ?
「今度こそ、諦めない?」
なんだか知らないけど、私は何も諦めていない。死にたくない。まだ返信もしてないんだ。
こくん。頷く。口から大量の血が出てきた。
「助からなかったら、そうするね。安心して。あ、救急車は呼んだから。助かってやり直せたら、いいね」
その人は、ふっ、と、その場から消えた。
え、ちょっと待って助けてくれるんじゃないの。
救急車はありがたいけど、周りのこえが、もう、きこえない。
からだがつめたい。息が苦しい。全身から何かが抜けて行った。
そうして、私は、この世界に生まれ落ちた。
始めは、ちょっと不便な中世の世界だな、くらいにしか思ってなかったけど。
ロザリーに会って、あれ、と思った。見事な巻き毛に既視感を覚えた。
学校で習って、国の名前、都市の名前、国王の名前を聞いて、確信した。
うん、やったことある。このゲーム。
難しいって友達に聞いて借りたけど、ひと月で全キャラ攻略して返却した。もちろん鬼のような難易度の隠しキャラまで出したなんて言わない。面白かったよー、受験終わったらまた貸してね。
そう言った友達には、もう会えない。
私は最後まで、友達と同じレベルでしか物事を処理できないふりを、押し通した。
多分一度も、本当の自分で他人に接したことは、ない。それが人を不快にすることを、私はよく知っている。
本当にあるんだ。ゲームの世界に転生とか。
様子見は、私の得意技だ。
でも、その様子を、一切見ないとても単純明解なこころを持ったひとが、いた。
「やっぱり早いな。今日もやってるのか」
振り返ると、薄い茶色のくせ毛に、茶色の瞳。丸顔が年相応でかわいらしい、羨ましいくらいまっすぐで単純な。
「カイル。おはよう」
ちくりと胸が痛む。
リーナに負け続けて、みんなにわんわん言われ続けて、それでも全力で正面から、いつも、正直に。
もし生きていられたら、あの子にSNSで私は、何を言ったんだろう。
役に立つようなことは、言えなかったと思う。
様子見は得意技だ。それでいいと思っていた。
でも、カイルを見ていると、ちくり、ちくりと胸が、痛い。
私はリーナに謝っていない。謝れない。何から謝っていいのか、わからない。
ねえ、カイル。
そんなふうに強く、なりたいよ。
「おはよう。ちょっと早く起きちゃってね」
口からつるりと出てくる言葉は、いつも通りの無難なものだった。




