第七話:一
【七】
左右を厚く暗い森に覆われた道を歩いているヒロト達の前に、一体のモンスターが姿を現す。そのモンスターは大きなくちばしを使って地面を突き、時折周囲を警戒するように辺りを見渡している。
「アックスビークだ」
「ついに来たわね」
敵を視界に捉えたナナミが一度立ち止まる。そして、剣と盾を抜いて後ろに居るヒロト達を振り返った。
「行くわよ」
「いつでもいいぜ」
「は、はい!」
「ああ」
ナナミの後ろに付いてきていたヒロト達がそう返事をすると、ナナミは一度頷いた後に体をアックスビークの方向に向ける。
「戦闘開始! ハルトガード!」
ナナミは走り出して戦闘開始を告げながら、ハルトガードを発動する。ナナミの手にしている盾に白く輝くオーラが集中する。ハルトガード発動中のエフェクトだ。
「ハアッ!」
呑気に地面を突いていたアックスビークに、ナナミの振り下ろした剣が攻撃を加える。すると、アックスビークは怒った表情でナナミに攻撃を加え始めた。
「ナナミ、立ち位置はパーティーメンバーとの間にアックスビークを入れるようにしろ。アックスビークの背中がリーナに向くようにするんだ」
戦闘開始でナナミの攻撃が数回アックスビークに命中するのを見ながら、ラルスが三節棍を抜いてアックスビークに攻撃を開始する。そして、攻撃を加えながらナナミへ指示を出した。
「分かった!」
ナナミはラルスの指示に従い、さっきまではヒロト達に背を向けて戦っていたが、アックスビークを横切って振り返り、体の正面をヒロト達に向けて、ヒロト達の間にアックスビークを挟む位置取りに立ち位置を移動する。
「リーナ、焦らなくて良いから、ナナミのヒットポイントが減ったら落ち着いて回復」
「は、はい! キュアセンテンス!」
ヒットポイントが半分近くまで減ったナナミに、リーナが詠士の固有技キュアセンテンスを唱える。キュアセンテンスはマジックポイントを消費して、対象を中回復する回復技。そのキュアセンテンスで、ナナミのヒットポイントが八〇パーセント近くまで回復する。
リーナが硬い表情で回復するのを見ながら、ヒロトは弓に矢をつがえてアックスビークに向かって発射する。そして、視線をアックスビークの向こう側で戦うナナミに向ける。
ナナミからは体の固さが感じられず、自然な体の動きと腕の振りで剣を振り抜く。そして、アックスビークのくちばしによる突き攻撃に合わせて盾で防御している。それを見ると、なかなか根性があるのが分かる。
ロール制のMMORPGの経験がないプレイヤーがタンクをやると、まず戸惑うことがある。それは、攻撃を受けるということだ。
シックザールのようにアクション要素のあるゲームをやる人は、最初に攻撃を避けるという思考になる。
シックザールには普通のアクションゲームのように、緊急回避は出来ない。だから、敵にターゲットされたプレイヤーは基本的に攻撃され続けることになる。
タンクはその攻撃を受けながら、防御バフを使って耐えるのが仕事だ。敵に突っ込んで行って、敵に自分を攻撃させ続ける。その仕事は、避けることが身についたプレイヤーが最初に戸惑うことだ。だが、ナナミはその状況にも一切臆した様子は見せない。
ナナミは時折、通常攻撃の間にスラッシュラッシュ、ラウンドライオットと、剣士の攻撃系の固有技を入れている。固有技は敵視上昇等の特殊効果もあるが、通常攻撃よりも威力が高い。それに、防御バフと同じように、温存するよりは使った方が良い。
ナナミは、防御バフの話で他の固有技も温存する必要はないのではないかと考えた。固有技を使うという習慣を身に付けるためには、ナナミの考えは正しい。
度胸もあるしプレイスキルを向上させようという意識がある。それはMMORPGに限らず成長するには必要な要素だ。
「やった! 倒した!」
アックスビークのヒットポイントをゼロにして、倒れたアックスビークが光の粒になって霧散する。それを見て、ナナミが飛び上がって歓声を上げる。後ろに居たリーナは、小さく息を吐いた後にナナミに近付く。二人にとっては、初めての本物のパーティー戦闘だった。
「ナナミ、ごめんなさい。二回、オーバーヒールをしてしまいました」
「え? 何?」
戦闘が終了し、突然、リーナがナナミに頭を下げて謝る。しかし、ナナミは聞き慣れない言葉に戸惑って首を傾げる。そのナナミに、少し険しい顔をしたラルスが口を開く。
「オーバーヒールって言うのは、最大ヒットポイントを越えて回復することだ。ナナミは回復でもヘイトが上がるのは知ってるか?」
「知ってる」
「たとえば、ナナミのヒットポイントが一〇〇だとして、リーナのキュアセンテンスが五〇回復するとする。それで、ナナミのヒットポイントが八〇の時にキュアセンテンスを使ったら、二〇回復して三〇分の回復量が無駄になる。この三〇分の回復が余分な回復、いわゆるオーバーヒールになるんだ。だが……」
そう言ったラルスが小さくため息を吐いた後、リーナに視線を向ける。
「ヒットポイントが全快なのに回復を続けるならまだしも、ちょこっと最大ヒットポイントを越えたってタンクの稼ぐヘイトは越えない。リーナは誰にオーバーヒールの話を聞いたんだ?」
「同じギルドの人に……」
「そいつに聞いたことはとりあえず全部忘れろ」
ラルスは明確に嫌悪感を露わにしてリーナに言う。しかし、それはリーナに向けたものではなかった。ラルスは、リーナの所属している超栄旅団に向けて嫌悪感を示しているのだ。
エーヴィヒバウム攻略開始からのリーナの様子を見ると、誰だってリーナが事前にかなりヒーラーというロールに対して脅しを受けたのだろうという印象を受ける。
リーナは、ナナミのように度胸のある性格ではない。そういう性格のリーナに脅しを掛けるのは逆効果でしかない。更に、オーバーヒールはリーナのような初心者のヒーラーが最初に考えることじゃない。オーバーヒールはタンクのヘイト管理が厳しくなってくる高難易度レイドのような、難易度の高いコンテンツで気にし始めることだ。
シックザールはゲームだ。だから、楽しめなければ意味が無い。だが、リーナは楽しむことよりも、失敗しないようにすることしか考えていない。それでは、楽しむという前にシックザールをプレイすることが苦痛になっていく。
「よーし! 突撃!」
「「えっ?」」
突然、そう言って駆け出したヒロトの後ろから、ナナミとリーナがそう抜けた声を発する。しかし、ヒロトはそれに構わず一人で突っ込み、通路の先に居たクロウラーに弓で攻撃をする。
芋虫型のモンスターであるクロウラーは、攻撃をしたヒロトに怒ってノソノソと這ってくる。そして、ヒロトの立っている地面の上に、赤い扇状の範囲エフェクトが表示される。
地面に表示された扇状の範囲は、エリアエフェクトと呼ばれている。エリアエフェクトが出ている範囲には、エリアエフェクトが消えた直後に範囲攻撃が来る。だから、エリアエフェクトが表示されたらエリアエフェクトの外に出る。それが基本的な動きだ。しかし、それを当然知っているはずのヒロトは、そのエリアエフェクトの上から動かずに立ち続ける。
「うぎゃ!」
ヒロトがエリアエフェクトの上に乗っていると、クロウラーが吐いた糸でヒロトがダメージを受ける。更に、糸の追加効果で拘束のバッドステータスを受けた。
拘束は、一〇秒間、通常攻撃や固定技、それからアイテムの使用は出来るがその場から動けなくなる。その拘束のバッドステータスを受けたヒロトは、その場で動けず突っ立ったまま、目の前で大きな口を広げたクロウラーが噛み付いて来るのを見ていた。
「ヒロト!」
レベル一〇にレベルシンクされている上に、タンクに比べて防御力のバイタリティが低いアタッカーだったヒロトは、クロウラーの噛み付き攻撃で一気にヒットポイントを減らされる。そして、遂にはヒットポイントをゼロにした。
「やられた~」
ヒットポイントを全て失ったヒロトは、全く緊迫感のない声を上げながらその場で倒れる。
戦闘不能になったヒロトは、ダンジョン開始地点に戻るかというメッセージを受諾する。一瞬視界がブラックアウトした後、ヒロトはエーヴィヒバウムの開始地点に戻された。
「いやー参った参った」
ヒロトが走って三人が居た場所に戻ると、ナナミがキッとヒロトを睨んで駆け寄ってくる。
「こら! 勝手に突っ込んでいくなんて何考えてるのよ!」
「ごめんごめん。でも、クロウラーの糸攻撃を食らうことなんてなかったから、一度やってみたかったんだ」
「もう! でも、さっきの赤い扇状の範囲は避けないといけないのね」
「そうそう。あれはエリアエフェクトって言って、エリアエフェクトが消えた瞬間に範囲攻撃が来るんだ。でも、そういう知識がなくても大体みんな初見で何か攻撃が来るって察して避けちゃうから。俺も食らったことなかったから一度食らってみようかと思って」
「アタッカーが単独先行するとこうなるって良い例だな。ただ、芋虫にやられるハンターの姿は面白かった」
ラルスがガハガハ笑いながらヒロトを見る。そして、視線をリーナに向けた。そのリーナは目を丸くしてヒロトのことを見ていた。
「アタッカーの先行は迷惑行為だって……」
「そうだぞ。敵を釣ってくる釣り役以外のアタッカーがタンクより前を走って、しかも一人で勝手に戦闘を始めるなんて自殺行為だし、他のパーティーメンバーにとっては迷惑な話だ。そういうやつに会ったら、回復せずに笑って後ろで見てろ。でも、俺はみんなだからやったんだ。みんななら、お前バカかって呆れるか笑うかだろ?」
「ヒロト……」
ニコッと笑うヒロトは、リーナの両肩に手を置く。
「失敗しても良い。失敗しても、結果的に楽しければ良いんだ。何回全滅させたって、何一〇回オーバーヒールをしたって、楽しければ良いんだよ。シックザールは仕事や義務じゃない。みんな楽しむためにやってるんだ」
ヒロトはリーナにそう言い聞かせる。
シックザールの高難易度レイドを攻略する一部のプレイヤーには、仕事のように徹底的なスケジュール管理の下で攻略を進めるプレイヤー達も居る。
ただ、それは高難易度レイドクリアという目標に向かって、みんなが納得した上でやっていることだ。そして、難しいコンテンツをクリアするということを楽しんでいる。でも、リーナはまだ始めたばかりのルーキープレイヤーだ。そんなリーナに、楽しむ前に全滅させることが悪だと刷り込ませたり、オーバーヒールが悪だと刷り込ませたりするのは間違っている。
最初に刷り込まないといけないのは、シックザールの楽しさだ。
「よーし、バカが戻ってきたところで仕切り直していくぞ。ナナミはクロウラーのターゲットを取ってこっちにクロウラーの背を向ける。リーナはナナミのヒットポイントをゼロにしないように回復。オーバーヒールくらい気にするな。それで、俺とバカはクロウラーを攻撃。いいか?」
「分かった!」
「はい! 分かりました!」
ラルスが動きを纏めると、ナナミは剣を軽く振って笑顔で先頭に歩み出て、リーナはニコッと笑って魔導書を広げて構える。
ヒロトが後ろからその二人を見ていると、ヒロトの方を振り返ったラルスはニヤッと笑う。
「バカはクロウラーに食われないように気を付けろよ」
ラルスがそう言うと、ナナミはプッと隠すことなく吹き出し、リーナは手で口を隠してクスクス笑う。ヒロトは、リーナの横を通り過ぎてラルスの横に並び、パーティーメンバー全員に聞こえる声を出す。
「分かってるって。芋虫め、さっきの恨みを晴らしてやる!」
エーヴィヒバウムはシックザールで最も難易度の低いダンジョンだから、プレイヤーが道に迷わないよう途中に分かれ道のようなものはない。それに、配置されているモンスターもそんなに多くもない。だから、ヒロト達のダンジョン攻略は順調に進んでいた。
「リーナ、ナナミの麻痺を治してやれ」
「はい! リリースセンテンス!」
ラルスの指示で素早くリーナが、ナナミに付いた麻痺のバッドステータスを治す。
「リーナ、ありがとうっ!」
「いえ! 回復は任せてください! キュアセンテンス!」
魔導書を構えながら回復魔法を使ったリーナの体と表情に、エーヴィヒバウム攻略開始時のような堅さはない。
今は、キノコ型のモンスター、マタンゴを二体同時に相手にしているところだ。
ナナミは二体のマタンゴにきっちりラウンドライオットを命中させながら、ハルトガードも使っている。先輩タンクであるラルスのアドバイスで、二体のマタンゴに交互に攻撃をするということもこなしていた。
誰も攻撃を加えていないモンスターでも、ヒーラーの回復によるヘイト、ヒールヘイトによって、ヒーラーに対するヘイトが上昇してしまいモンスターがヒーラーに攻撃をしてしまう。だから、ヒールヘイトにモンスターのターゲットを取られないように、タンクは戦闘を行っている全てのモンスターのターゲットを自分に集める必要がある。そのために、一体だけではなく、全てのモンスターに攻撃を分散させるテクニックが必要だ。ただ、モンスターの数も少ないこともあり、ナナミは問題なく二体のマタンゴに攻撃を分散している。
「よし! マタンゴ討伐!」
マタンゴ二体を倒し終わると、満面の笑みのナナミが三人を見る。それにリーナは嬉しそうに微笑みを返し、ヒロトとラルスは微笑ましそうに笑顔を返した。
「ナナミもリーナも慣れてきたな」
「もうバッチリよ!」
「なんとか、緊張せずに出来るようになりました」
ラルスに、ピースサインを向けるナナミと、照れたように頬を赤くして微笑むリーナ。ヒロトは、二人の楽しそうな様子を見て安心したように笑顔を浮かべる。
「結構進んできたけど、木こりのおじさんの娘さんは居ないわね」
「そうですね。入り口にリボンが落ちてたので、中に入ってしまったとは思うんですけど」
並んで歩くナナミとリーナは、森の周囲を見渡し、話ながら歩く。
クエストの流れでは、行方不明になった木こりの娘を探している途中だ。エーヴィヒバウムの入り口にリボンが落ちていたということは、十中八九、エーヴィヒバウムの中に木こりの男性の娘が入っていたと考えるのが普通だ。
「でも、娘さんが何歳か分からないけど、普通こんな森の中に入る?」
ナナミが周囲を見渡して首を傾げる。
エーヴィヒバウムの雰囲気は明るいというわけではなく、木々に覆われて光があまり届かない暗い森だ。そんな森の中に、幼い女の子が一人で足を踏み入れるのは不自然だった。




