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第八話 願望と友人の間で


「……ふーむ」

「エミ、どうしたの?」


 私たちは大学の図書館にいた。定期試験が近くなったので、勉強をしようと思ったのだ。

 だがエミはどこか勉強に集中できていないようだった。まあ、この人はこんな様子でもきっちりと試験で高評価を勝ち取るのだが。


「私は小説書きに向いていないのかもしれないな」

「は?」


 どうやらまた小説のことを考えていたらしい。


「向いていないって、どういうこと?」

「ふむ、私は周りの人間と感覚が少し違うらしい」


「…………え?」


「なんだね、その顔は」

「い、いやその……」


 え? 今更? わかっていた上で『殺されたい』とか馬鹿げた願望持ってたんじゃないの? 


「それでだ、私はどうも一般的な感覚というものをあまり理解していないということを、ルリとの会話の中で知ったのだよ」

「う、うん。私もあまり一般的な感覚わかってないけど」

「そんな私が、大衆に受け入れられる小説を書けるかと聞かれると、難しいと言わざるを得ない。そういうことにはならないかね?」

「うーん……」


 まずい。ここでエミが小説を書くことを止めると、彼女の願望を吐き出す場所が無くなってしまう。ここはなんとしても小説を書いていてもらわないと。


「でもさ、エミはそもそも人に見せるために小説を書いていたわけじゃないよね?」

「ん? そうだね、確かに元々は私の願望を文章で表現するのが目的だ」

「それだったらさ、別に人に見せなくてもいいんじゃないの?」


 そもそもなんでエミは、自分の小説を私に見せたりしたのだろう?


「ふむ、確かに君の言うとおり、不特定多数に見せる必要はない」

「そうだよね、だったら……」


「だが、君には読んでもらいたいのだよ」


「え? わ、私に?」

「そうだ」


 そこまで言われて、私はなぜエミが小説を見せることに拘っていたのかを考えてみる。

 私はエミの願望を完膚なきまでに潰した。それはもう、残酷なまでに。彼女はもう一生、自身の悲願を達成することは出来ない。

 

 もしかして……これはエミの『復讐』なのかもしれない。


 エミはこれから望まない人生を数十年歩まなくてはならない。もし、彼女にとってそれが堪えがたい苦痛なのだとしたら。

 いや、苦痛に間違いない。何一つ自分の楽しみが達成できない人生が苦痛でないはずがない。そのことは他でもない私が良く知っている。


 だとしたら、その苦痛を強いる私を強く恨んで当然だ。


 エミは自分の願望を籠めた小説を私に見せることで、その願望を潰した罪悪感を私に背負わせようとしているのかもしれない。事実、あの時からずっと私は大切な友達であるエミの願望を潰したことに対する負い目は少なからず感じていた。

 もしそのことに彼女が気づいていたら。その罪悪感を増幅させるための行為が、小説を見せるということなのだとしたら。


 本当は、エミは私を苦しめたいほどに恨んでいるのということになる。


 ……そうだとしても、私の行動は変わらない。私はこれからもエミのことを守り続け、彼女の願望を潰し続ける。

 だけど、そこまでして守りたいと思っている相手から嫌われて、平気でいられるほど私は超越した存在ではない。黛瑠璃子は『支配者』の役を被った一人の人間に過ぎないのだ。


 エミ、あなたは、私が隣にいて苦痛なの?


「どうしたのだねルリ? 顔色が悪いようだが」

「え? あ、いや、なんでもないよ」


 エミはいつになく不安そうな顔で、私のことを覗き込む。その顔には私への恨みなど感じられない。

 でも、一度沸き起こった疑念は私の心から離れない。こんな弱い私が、エミをこれからも守り続けられるのだろうか。


「ふむ、今日の君は少し不調のようだね。流石のルリも、常に万全とはいかないか」

「ご、ごめんなさい」

「なぜ謝るのだね? 友人が不調となれば、心配をするのは当然だろう?」

「え?」


 ……怒って、ないの?


「エミ……?」

「なんだね?」

「どうして、私に小説を見せてくれたの?」


 話の流れに沿わないが、思わずその言葉が口から出てしまった。


「何を言っているのかね?」


 そしてエミは心底不思議そうな顔をして、言った。



「好きなものを友人と共有したいという気持ちは、誰しも持っているものだと思っているのだが、君は違うのかな?」



「……!」


 そうか。そんなことだったんだ。エミはただ、私と一緒に楽しみたいだけだったんだ。

 そう言えばそうだった。エミはいつだって自分の願望を私に嬉しそうに語ってくれた。私はその願望そのものを理解することは出来なかったけれど、彼女がそれを私に語ってくれるのが嬉しかったのを思い出した。

 

 何を迷っていたのだろう、エミは私を友人だと認めてくれている。それなら私は『支配者』である前に『友人』として彼女を守っていられる。


「エミ」

「ん?」


 だから私は、彼女にこう言おう。


「小説、見せてくれてありがとう」


 そう言われたエミは、いつもとは違う柔らかい笑顔を浮かべて『どういたしまして』と返してくれた。


「それとさ、エミってそこまで人と感覚がズレてるわけじゃないと思うよ」

「おやおや、それなら私の小説も人気が出る可能性があるかな?」

「それはどうだろうねえ」

「くはは、手厳しいね」


 図書館の一角で、私は友人と何気ない日常を過ごす喜びを思う存分噛みしめた。



柏恵美の理想的な小説 完

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