人類災厄の殺意 名無
僕は君代先生の話をよく聞いていなかったので(寧ろ全く聞いていなかったと言っても過言ではないだろう)、人類災厄の殺人鬼が、殺すときかはたまた殺した後かそれはわからないが、人間の内臓を抜き取るということを知らなかった。
知っていたら、珠美さんと同じ単語を発していたかもしれない。
そして同じ単語を発してしまったことを気恥ずかしく思うのかもしれなかったが、そんなもしもの話は余計な話である。
ともあれ、僕は珠美さんの言葉によって目の前の女の子が人類災厄の殺人鬼であることを知った。まだ本人には人類災厄の殺人鬼であるかどうかの確認は取っていないのだが。
しかし、なんだこの展開の早さは?
いくらなんでも早すぎる。予想外の早さだ。そう、まるで運命付けられているような。
「よおし、これで証拠隠滅完了。さてと……」
女の子は今起こったことが何でもないように、そして僕らに全く気づかないのか、そのまま階段を降りていった。
「ま、」
僕らは誰も動けない。展開の早さに全くついていけない。
「待て!!こら!!」
そんな中で一番早く動けたのが君代先生だった。
君代先生の動きは素早くあっという間に階段まで到達する。
「ちっ、もう外に出たか!」
そう言うと同時に、降りると言うよりも飛び降りると言うかたちで君代先生は階段を下っていった。
残されたのは、このフロアで生きている者は僕と珠美さんのみとなった。
僕はまだ目が覚めない。混乱が終わらない。
人類災厄の殺人鬼、綿貫鶴君、死んでいる、生きている、心臓、つぶされる、女の子、綿貫鶴君、写真の中で死んでいる人物、綿貫鶴君、男性、死んでいる、死んでいる、死んでいる、死んでいる……
「あ、そうだ」
僕は男性の死体を見た。
動かない。表情がない。当たり前か。死んでいるのだから。
これが、死か。
男性の死体を見たことによって、僕は正気に戻った。
異常かもしれないがそれで正気に戻り、僕が真っ先にするべきことがわかった。
追わなくては、あの二人を。
僕は立ち上がった。急がなくては二人を見失う可能性がある。
窓から外を見ると君代先生が走っているのを確認することが出来た。なるほど、あっちに行ったのか。方向さえわかれば追うのはそう難しくはない。
「さて、行こうか」
別に珠美さんに言ったわけではなく自分を奮い立たすために言ったのだが、その言葉に珠美さんがビクッと震えた。
「わ、私は……私は行けない」
「……」
「あれは、あれは人間じゃない。化け物だよ。見てわかったの。とても、とても人間が太刀打ちできる相手じゃない」
「……」
残念感知の桜守珠美。あの女の子を視て、何を見たのか?
それは僕にはわからない。おそらくわからないほうが良いのだろう。
「私の今回の役目は現場検証だった。犯人追跡や、犯人と戦うことは含まれていないの」
「……」
「だから……私は行けません」
僕も同じだ。
桜守さんと同じで今回は犯人を見つけるまでが仕事である。
まだ確定したわけではないのだが、もしも先ほどの女の子が人類災厄の殺人鬼であるというならばこれで僕の仕事は終わりだ。
終わりなのだが……
「そう。じゃあ僕は行くね」
僕は行くことにした。
自ら危険なことに足を踏み入れようとしていた。
珠美さんは僕に何かを言いかけてやめた。
それは「どうして行くの?」という質問なのかもしれないし、「やめたほうがいいよ」という忠告の言葉だったのかもしれない。
しかしそんな言葉は無意味だ。
他人の感情を知ったところで何の意味もないし、制止をしても僕は行くのをやめるつもりはなかった。
僕は君代先生と同様にあの女の子を追うことにした。
ともあれ君代先生と人類災厄の殺人鬼だ。その脚力はどうやら凄まじいようで、僕が外に出たときには既にその姿は全く見えなかった。
走っていった方向はわかっているんだから、簡単に見つかると考えていたのだけれど、甘かった。
見失った。
と言えばまだ聞こえは良いのだろうが、実際は外に出てから一度も彼女らの姿を視認していないのだから見つからなかったが正しいのかもしれない。
うーん、こっちの方向に走っていったのは見たんだけどなぁ。
君代先生はまだ追跡中なのだろうか?それとも既に人類災厄の殺人鬼と戦闘中に入っているのだろうか?
出来れば君代先生と先に合流したいものだ。
僕は戦闘能力が皆無に等しい。トモの洗濯剣を複製すれば一般人よりは戦えると思うが、それでも異常者との戦いとなった場合は手も足も出ないだろう。
ましてや相手は百人以上を殺したという殺人鬼。異常者をも殺す殺人鬼。
僕に勝ち目は万に一つもない。
まあもともと戦う気もないんだけどね。
戦いは君代先生の役目であるし、それに僕は直接的に人類災厄の殺人鬼に恨みや憎しみがあるわけではない。
僕が人類災厄の殺人鬼を追う理由。それは好奇心からだ。
珠美さんほどではないにせよ、僕もあの女の子を見て感じ取った。
あれはおかしい。確かにおかしい。
僕はあの時眼鏡をしていたから殺意を視認できなかったが、それでもおかしいとは思った。
彼女は人類災厄の殺人鬼ではないかもしれないが、そんなことはもうどうでもいい。
とりあえず、もう一度会いたい。彼女に会いたい。
こう言うと何だか恋しているようだが、断じてそんなことはないのでそこは間違えないでもらいたい。
僕には小鳥という可愛い彼女がいるしね。
そんなどうでもいいことを考えていたから、僕は気づかなかった。
いつの間にか人気が全く無くなっていたことに。
そして僕は何の考えもなしに、まるで導かれるように、ビルとビルの間に出来た裏道のような道に入っていった。
「うい?ありゃりゃ、見つかってしまったね。ういうい、これはついていない」
「あ」
その裏道には彼女がいた。
先ほどのポニーテールの女の子……つまり人類災厄の殺人鬼。
「えっと……」
君代先生の姿は見当たらない。
どうやらまだこの女の子を探しているようだ。
つまりは……
「これは最悪の事態だな」
災厄に出会ってしまったという最悪。
さて、どう切り抜けようか?下手すると死んでしまうのだけれど、まあそれでもいいか。
所詮死ぬだけだ。壊れるよりもマシだ。
「ういうい。おかしいな。このあたりは人間にとっては嫌っ気(あまり近寄りたくない雰囲気のようなものか)が多いから、普通は気づかないんだけどなぁ。お兄さんもしかして普通じゃない?」
「結構異常だね」
「おぉう。もしかして異常者?人類災厄の殺人鬼とか追ってたりする?」
「追ってたりするね」
「ういうい。お兄さんってさっきファーストフード店にいた人だよね。もしかして他の人たちも人類災厄の殺人鬼を追っていたりする?」
「追ってたり追っていなかったりだね」
君代先生は追っているし、珠美さんはリタイアだ。
「まだ追われているのかぁ。おかしいなぁ?もう情報は入っていると思うんだけどなぁ」
「情報?」
「お兄さん、お兄さん。お兄さん知らないようだから教えておいてあげるよ。人類災厄の殺人鬼はね、もういないんだよ」
彼女の口からそんな言葉が飛び出した。
……彼女は人類災厄の殺人鬼ではないのか?
勇さんは人類災厄の殺人鬼は死んでいると確かに言っていたが、それでは目の前の女の子は何だというのか?
……本当に僕はそれがわからない?
「それなら……君はいったい何なんだ」
いや、本当はわかっている。
しかし、そんなことあるのだろうか?
僕はわかっている。最初はわからなかったが、集中すればわかる。
僕は殺意が視える。どういうわけか視える。
その形は人それぞれだ。
剣だったり、ナイフだったり、拳銃だったり、人それぞれなのだ。
僕は殺意が視えるせいなのか、殺意に酷く敏感だ。
だから、わかる。
例え眼鏡をしていてもわかるんだ。
この目の前の女の子は、彼女は……
「ふい?私のことが知りたいの?いいよ。教えてあげる。私は人類災厄の殺意。マスターからは名無って呼ばれてるんだよ」
彼女は殺意だった。
これが僕と人類災厄の殺意の名無とのファーストコンタクトだった。
このときの僕はまさかこの殺意と長い付き合いになることなんて思いもよらなかった。




